8時、起床。
ハムとチーズのサンドウィッチ、グレープフルーツジュース、紅茶の朝食。
11時20分に卒業生のカナエさん(論系ゼミ6→7期生)と蒲田駅で待ち合わせて「まやんち」へ。彼女は6期生としてゼミに入ってきたが、4年生のときにオーストラリアに留学して、卒業は1年遅れて7期生と一緒になった。こういう場合、6期生というべきか、7期生というべきか、悩ましいところだが、本人の気持ちとしては入ってきたときの6期生とアイデンティファイしているようである。これは彼女だけでなく同じような(留学=留年)ケースの学生たちに共通のメンタリティであるように思う。
二人ともモンブランを注文。
二人とも紅茶はニルギリ。
先にデザートを食べて、ランチは彼女の希望で「phono kafe」へ。
カナエさんは信販会社に総合職として就職し、大阪に配属となったが、今週はお兄さんの結婚式と会社の研修で東京に来ている。ちょうどいいので今日、カフェをご一緒することにした。
ご飯セットを注文。今日のおかずのメニューにはないが、昨日「phono kafe」に来たとき春巻をキープしておいてくれるように大原さんにお願いしておいたのである。
料理に箸を付ける前に写真を撮っていただく。
ルッコラと長ひじきのクルミソース
ゴーヤと豆腐の味噌炒め(左) おからコンニャクの竜田揚げ(右)
ネギポテトの油揚げ包み
ニラとコンニャクのピリ辛和え(左) 玄米ビーフンの春巻き(右)
玄米ご飯(軽め)と味噌汁
「仕事の方はどう?」と尋ねたら、まだ腰が座っていないようであった。(9月末で試用期間が終わり、10月から本採用になる)
3年生のとき、就活の流れに身を任せるのが嫌で、立ち止まって考えるために語学留学に出かけた彼女だったが、自分がどのような生き方をしたいのかという問題については結論が出ないままだった。この4月からは大阪で心機一転、バリバリ働くつもりであったが、未解決の問題が後を引いて「バリバリ」とはいっていないようである。
黒目がちの大きな目のためもあるだろうが、彼女は感情が正直に表に出る人である。
食後に梅ジュースを注文。
彼女はリンゴジュースを注文。
彼女は過去を振り返らない人である。現在と未来とが彼女の関心事で、過去には関心がない。それは徹底していて、在学中毎日読んでいた私のブログも4月からパッタリ読まなくなったそうである。では、なぜ今日私と会ったのかといえば、それは懐かしさのためではなく、「まやんち」.のモンブランが食べたいという現在の欲望のためだろう(笑)。
私のことはよいとして、「過去を振り返らない」というのはポジティブな生き方のように見えるかもしれないが、はっきり言って、幼稚な考え方である。「現在の自分」というのは無重力の磁場の中にふわふわと浮かんでいるわけではなく、「これまでの人生」を経て、いまここにいるわけである。自己の内外のさまざまな要因の相互作用の結果として「現在の自分」がいるわけである。そのメカニズムについて振り返って考えることをしないで、「これからの人生」についてちゃんと考えることはできないと思う。「過去を振り返らない」というのは、「これまでの人生」の暗い側面を見つめるのがいやだからという心理が働いているのかもしれない。しかし、人生の明暗というのは、「これまでの人生」にのみあるわけでなく、「これからの人生」にもあるはずである(希望と不安)。だから「これまでの人生」の暗い側面も含めて見つめることのできない人は、「これからの人生」の暗い側面からも目を背けがちで、結局、ふわふわとした、虚ろに明るい、実現可能性の低い人生プランしか立てることができないのではないだろうか。
「phono kafe」を出て、まっすく駅には向かわず、少し回り道をして蒲田の街を散歩しながら、こんなことを話した。
お元気で。たまに私のブログを覗いてみて下さい(笑)。
彼女を改札で見送った後、東急プラザの「くまざわ書店」で、河出書房版「日本文学全集」の2冊を購入。
『近代作家集』Ⅱ・Ⅲ
ちなみに村上春樹は「Ⅲ」に「午後の最後の芝生」で入っている。春樹ファンの私としては彼に一巻が与えられなかったことは不満だが、ノーベル賞作家の川端康成も「片腕」が「Ⅱ」に入っているだけだし、「午後の最後の芝生」はいいチョイスだと思うので、これで手を打とう(笑)。
夕食はモツ鍋。
デザートは今日カナエさんからいただいたお菓子。
2時、就寝。