9時、起床。
昨日に引き続いて台風一過の青空が広がっている。こういう日は出勤のサラリーマンの気分もいくぶん軽いのではないのだろうか。しかも、月曜日が祝日だったから、今週は5連勤ではなく4連勤だ。実際、5連勤と4連勤では大分気分的に違うはずだ。5連勤の場合、初日を働いても週末までまだ4日もあるが、4連勤の場合はあと3日で週末だ。小学校低学年にもわかる引き算だが、この1日の違いは小学校低学年ではわかるまい。
トースト、炒り卵、ボイルドウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
今日の『ひよっこ』のテーマは「女心」だった。同室で寝ることになったみね子と世津子。世津子はみね子の(記憶喪失の)父親と暮らしていたときの話をするつもりはないという。それは自分だけの思い出にしておきたいという。前の回で、早苗がずっと語らずにいた恋の話をした直後だけに、このコントラストは鮮やかだ。
早苗がずっと語らずにいた恋の話をする気になったのは、1つには、自己開示(内面を語ること)をすることであかね荘のみんなとより親しくなりたいという気持ちがあったからだろう。自己開示は、親しくなったからするという面もあるし、それをすることで親しくなるという面もあるのだ。もう1つ、早苗がずっと語らずにいた恋の話をする気になった理由は、「運命の恋」から解放されたいという気持ちも働いていたに違いない。「運命の恋」を信じて、初恋の彼が自分を訪ねて来ることを待ち続ける彼女だったが、それもそろそろ「限界」に来ていると彼女は感じているのである。一方、みね子の父親と暮らした日々について語りたくないという世津子は、その思い出の重さから解放されることを望まず、むしろその重さをこれからの人生を支える拠り所として抱きしめていこうとしている。思い出の私物化。世津子がみね子に「ごめんね」といったのは、みね子の父親の人生のエピソードを、みね子に分け与えず、私物化し続けることの「ごめんね」である。みね子は「わかりました」とは答えず、ただ黙って世津子を見ている。話してほしいけれど、話したくないという世津子の気持ちもわからないではない。この演出はよかった。
同じ頃、奥茨城村の谷田部家では、実が妻の美代子に「東京でのこと」、つまり世津子と暮らしていた日々のことを話そうとしていた。それが「秘密」のようになってしまってはいけないと考えて、自己開示をしようとしているのだ。しかし、美代子は「話さなくていいです」「知りたくありません」という。それが「女心」ですという。「でも、私が話してほしいと言ったときは、隠さずすべて話して下さい」という。それが「女心」ですという。自己開示は、すればいいというものではなく、開示される側の気持ちも考えてしてねということである。そんな美代子を実は「かわいい」と思った。そして「これからも一緒に生きていってほしい」と改めてのプロポーズをする。嬉しさに泣く美代子。この場面で流れていたボレロのような音楽は、この場面のためにだけ作られたもののように思う(名場面集入り決定です)。翌日、美代子はいつもの女子会で実とのやりとりを話していた(野良仕事から帰った実と義父が縁側で聞いているとも知らずに)。彼女は昨夜の出来事を私物化しておくことはできなかったわけだが(嬉しかったのだ)、女友だちだけでなく、義父の心配もこれで解消されたわけである。
後は実の記憶が戻るのかどうかだが、当然、戻るものと思って、そのきっかけは何かということに気持ちがいっていたが、ここに至って、もしかしたら戻らないまま終わる可能性も出てきた。つまり、物語にとって実の記憶が戻るか戻らないかは大きな問題ではなくなってきたからである。しかし、実の立場になって考えれば、人生の大部分の記憶が欠落したまま生きていくというのはやはり辛いことで、記憶は戻るべきだろう。ただ、それと引き換えに、世津子との暮らしの記憶が消えるのだとしたら、世津子が不憫である。個人的には、実の記憶が戻り、かつ世津子と暮らした日々の記憶も残るということにしてほしい。それが「男心」というものである。
10時半に歯科の予約をしてあったのだが、時間を勘違いして(11時半だと思い込んでいた)、予約をすっぽかしてしまった。電話してすみませんと謝り、新たに予約を入れる。明後日の17時だ。普段は木曜日は定休日なのだが、今週は月曜日がお休みだったので、木曜日はやるそうである。
昼食はそうめん。
空はすっかり秋の空だ。
天高く馬肥ゆる秋。秋の三大味覚といえば、秋刀魚の塩焼き、牡蠣フライ、松茸ご飯である。前二者はすでに食べた。残るは松茸ご飯である。妻に尋ねたら、「今日、スーパーに並んでいたのだけれど、中国産なので買わなかった」とのこと。「梅Q」には松茸の釜飯がメニューに出ているかもしれない。
夕方、陽射しが弱くなったので、庭の草割りと生垣(赤芽)の剪定をする。
私は草取り担当。庭の虫やカエルにしてみたらいい迷惑だろう。環境破壊もいいところだ。ごめんね。
夕食は親子丼、春雨サラダ、味噌汁。
今日の親子丼はインゲンがたくさん入っている。
ちょっとご飯をお替りして、明太子で食べる。
デザートは梨。
『伊勢物語』には「女心」や「男心」の話が満載だが、女が男の浮気や心変わりを心配するという恋愛における一般的なパターンよりも、むしろ男が女の浮気や心変わりを心配する話が多いように思う。たとえば、「四十二段」。
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男がいた。
多情な女と知りながら、女と情をかわした。
多情をうらんでもいいのに、男は女をにくまなかった。
男は女のもとへ通いつめた。
それでも、男は女の心がわりを恐れていた。
二日、三日ほど、行けない日があった。
男は、女へ詠んだ。
出(い)でて来し跡だにいまだ変はらじを誰(た)が通ひ路と今はなるらむ
あなたへと通う
わたしくしの足あとは
まだ残っていることでしょう
そしてそのまま
誰かの足あとと
重なっていることでしょう
女をうたぐって、男はついこんなふうに詠んだのである。
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ちゃんと調べたわけではないが、教科書にはこういう「一途な男」と「多情な女」の話は採用されにいくのではないか。「一途な女」と「多情な男」の話の方が、一般通念に適合的だからである。
3時、就寝。