フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月24日(日) 晴れ

2017-09-25 13:45:13 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日は日曜日。残念だ。『ひよっこ』がない。考えたくないが、来週からは平日でも『ひよっこ』がないのだ。

先週の木曜日の『ひよっこ』、みね子がヒデに思いもかけない形で告白をし、ヒデがみね子に先走りのプロポーズをした回だが、1つ感想を書き忘れていた事があるので、書いておこう。

みね子がヒデとの恋愛に踏み出すことを躊躇する理由として、彼女自身は2つのことを女子会の場で口にしていた。1つは、純一郎との恋愛に失敗したばかりなので、恋愛が怖い(臆病になっている)ということ。もう1つは、純一郎とヒデと友人関係にあったが、新しい恋人が元彼の友人というのはどうなのだろうといこと。2つともわからないではない理由であるが、私が気になったのはみね子が語らなかった3つめの理由である。それは前の恋愛と今度の恋愛の間隔が短いということである。

それがなぜ問題なのか。結婚であれば、前の結婚と次の結婚との間に一定の期間をおくことが法律で定められいるが、恋愛についてはそういう制約はない。好きになってしまったのだからいいじゃないか、と早苗あたりはいいそうである。しかし、前の恋愛が失恋で終わった場合、次の恋愛との間隔が短いというのは、ある疑問を生じさせる可能性があるのだ。それは、「新しい恋人は失った前の恋人の代替物ではないのか」という疑問である。世の中を見渡すに、実際、そうした恋愛はけっこう多いのではないかと思われるが、そうした疑問を私のような第三者が勝手に抱いているのであれば問題はないが、当の二人が、つまりみね子とヒデの二人が、「私は純一郎さんを失った空洞をヒデさんで埋めようとしているだけなのではないのか」「僕はみね子にとって純一郎の代りなのではないか」という疑問を抱いてしまった場合はやっかいなことになる。その疑問を解消する、振り払うことは、そう簡単ではない。自分の内面をじっと見つめて、「いや、私はヒデさんという人を好きなんだ。けっして純一郎さんの代りではない」という確信を得たとしても、次の瞬間、「でも、本当にそうかしら?」とその確信に自ら水を差すことを人はしてしまえるからだ。こうした自問自答には切りがない。

近代の恋愛観(ロマンチックラブ・イデオロギー)は、愛情に高い純度を求め、恋愛の相手に「代替不可能性」(唯一無二の存在であること)を求める。あまりにバーを高く揚げて、バーをクリアーする(恋愛をする)ことが出来なくなってしまっては、元も子もないのではと思わないでもない。恋愛の素晴らしさと不可能性は紙一重である。

ドラマの中では、みね子とヒデはこうした疑問に悩まされている様子はない。本来であれば、純一郎との恋愛とヒデとの恋愛の間隔はもっと広くとった方がよかったのだが、いかんせん『ひよっこ』というドラマの時間の中では無理な注文である。告白→プロポーズ→周囲の承認というプロセスが一話の中で一挙に進行するのだ。超早送りのドラマなのだ。だから、「世界で二番目に好きな者同士の恋愛は可能か」とか、「新しい恋人は前の恋人の代替物ではないのか」といったやっかいな問題は不問に付すしかないのである。一般に朝ドラの明るさは、やっかいな問題については不問に付す(少なくともそれでいつまでも悩むことをしない)ことから生まれる明るさである。これはこれで有効な人生の処方箋である。

10時過ぎに家を出て、妻とわが家の菩提寺に墓参りに行く。

鶯谷の駅前の陸橋を渡る。

言問通りの根岸一丁目の交差点からはスカイツリーが見える。

お寺で妹夫婦と合流し、墓参り。

 父が亡くなって12年目、母が亡くなって3年目である。

日比谷線の入谷駅から地下鉄に乗って二つ目の仲御徒町駅で降りる。

「人形町 今半」(上野広小路店)へ。

私は厳選すき焼き弁当(2500円)を注文。

本当は厳選でない普通のすき焼き弁当(1500円)でよいのだが、席を予約した場合は2500円以上のメニューを選んで下さいということになっているのである。普通と厳選との違いは、牛肉のランクだそうだが、1500円でも十分美味しい。平日の昼に一人で飛び込みで来るとき(たとえば上野の動物園や美術館を観た後とか)はそちらを注文する。 

「アメ横」を見ていくという妹夫婦とは御徒町の駅のところで別れた。

蒲田に着いて、ちょっと「phono kafe」に寄って行く。

梅ソーダを注文。今日の梅ソーダはちょと濃かった。大原さんにそれを言ったら、「風邪が治りかけなのですが、舌の感覚がちゃんと戻っていないのかもしれません。すいません」とのこと。自家製梅ジュースの原液は瓶によって濃度が違うので、カップで測ってグラスに入れているのではなく、大原さんが味見をして作っているのだということを初めて知った。そうなんだ。でも、薄いよりは濃い方がいいです。適度に水で割って飲みますから(笑)。

「清水(直子)さんの展示会のDMです」と言って、大原さんが持って来てくれた。私の好きなリンゴ柄の皿がDMに使われている。

10月7日(土)から9日(月=祝日)までの三日間、中目黒駅(日比谷線)の近くの「ハイジ」というハンドメイドの雑貨屋さんでやっている。ここには何度か行ったことがある。

私は6日(金)からゼミ合宿で8日(日)の昼に帰ってくるのだが、8日の午後か9日に行ってみよう。リンゴ柄のお皿が残っているといいのだけれど、売れてしまいそうな気がする。

帰宅すると、玄関先でナツがお出迎え。「ニャー」と軽い鳴き声は、とくにお腹が減っているときの鳴き方ではなく、単純に挨拶の鳴き方だ。社交的な野良猫なのである。そうやってエサをくれる家を複数確保しているのだ。

夕食はハンバーグ、サラダ、玉ねぎの味噌汁、ご飯。

ハンバーグは二つにしますか、一つにしますかと聞かれたが、一つにした。

食事の後におはぎを2個(粒あんと、きなこ)食べるからである。

妹夫婦からいただいたお菓子を賞味期限順に並べ替える。右手前のどら焼きから食べていくことになる。

2時半、就寝。


9月23日(土) 曇りのち晴れ (完成版)

2017-09-25 00:41:14 | Weblog

8時半、起床。

おにぎり2個(鮭と鶏五目)、サラダ、冷麦茶の朝食。

朝食にトーストが登場しないのは昼食にパンを食べる(=「パン日和あをや」に行く)予定だからである。

今日の『ひよっこ』。愛子が戦争で亡くなった婚約者への変わらない愛を語り、省吾が病気で亡くなった妻へのも変わらない愛を語り、その上で、二人が交際すること(その延長線上には結婚がある)を確認した。最初のデートはそれぞれの最愛の人の墓参りになりそうだ。「世界で二番目に好きな人」同士の恋愛だ。そういうことか・・・と私は思った。

われわれの社会では、「二股、三股はダメ」とされている。愛情は至上の価値で、それ故、他の価値(たとえばお金)との交換はタブーとされている。至上の価値が貶められるからだ。愛情は愛情としか交換できない。恋愛は愛情の交換(コミュニケーション)の典型である。だからわれわれの社会では恋愛は素晴らしいものとして奨励される。「命短し恋せよ乙女」。

その素晴らしき恋愛において「二股、三股はダメ」とされるのは、一つには、恋愛→結婚というルートが想定されていて、かつ、重婚が禁止されているためである。しかし、論理的に考えると、恋愛と結婚は別のことであるし(結婚を前提としない恋愛はある)、百歩譲って、恋愛が結婚に至るルートであるとしても、時間差のある複数の恋愛を経て(恋愛遍歴)結婚相手を選ぶことは構わないのに、なぜ時間差のない(同時並行的な)複数の恋愛の中から結婚相手を選ぶことはタブーなのかは、案外、説明が難しいのではないだろうか。

恋愛において「二股、三股はダメ」とされるもう一つの論拠は、愛情の純度ということである。複数の相手に分散される愛情よりも、一人の相手に集中される愛情の方が純度が高いと。当然、純度の高い愛情は純度の低い愛情よりも素晴らしいと。ここに恋愛における「独占」の感覚が生まれる。「あなたは私(だけ)のもの」「私はあなた(だけ)のもの」という感覚である。独占的な恋愛は「一途な愛」と呼ばれ、素晴らしいものとされる。「一途な愛」を称賛する背後には愛情の純度という考え方があるのである。しかし、これも論理的に考えると(あるいは屁理屈を述べるならば)、愛情の純度の高さをキープしつつ同時に複数の相手と恋愛することは不可能とはいえないのではないだろうか。それを不可能と考えるのは、「エネルギー保存の法則」のように個人が所有する愛情の量が一定だと仮定しているからであって、しかしそのような仮定は結婚し、子どもが生まれ、さらに2人目の子どもが生まれというケース(一般的なケースである)に当てはめて考えると、家族一人一人への愛情がだんだん目減りしてという結論になるのではないだろうか。愛情の対象が増えるについて愛情の総量が増えていくという仮定の方が家族の幸せのためにはよいのではないだろうか。

至高の価値とされる愛情にも弱点がある。移ろいやすいやすいことである。いま愛し合っている二人でも、それがいつまで続くかは定かではない。結婚式で「永遠の愛」を誓うのは、逆説的に、「永遠の愛」がどれだけ難しいものであるかを示している。困難であるからこそ誓うのである。「永遠の愛」を可能にする一つの有力な方法は「愛と死の結合」である。死と結びつくことによって愛情の弱点(移ろいやすさ)は克服される。だから愛する者同士の心中(天国に結ぶ恋)は、悲劇的ではあるが、ロマンチックなものとして語られるのである。

「愛と死の結合」で問題になるのは、片方が生き残った場合である。その生き残ったものが生涯、一人身を通せば、「永遠の愛」が完遂したとみなされるが、もしほかの人と恋愛や結婚をすれば「永遠の愛」を裏切ったものとして身内や世間から非難される。1963年12月に出版された『愛と死をみつめて』は、大学生、河野実(マコ)と、骨肉種で死んだ女子大生、大島みち子(ミコ)との往復書簡を書籍にしたもので、150万部を超えるベストセラーとなり、マコとミコの物語はドラマ化や映画化がなされ、青山和子が歌った「愛と死をみつめて」は翌年の日本レコード大賞を受賞した。ところが、その後、マコが他の女性と結婚したことから、世間からバッシングを受けることになった。ちょうど『ひよっこ』の時代の話である。

愛子と省吾の恋愛は、亡くなった婚約者や妻のことを忘れるのではなく、「最愛の人」として温存しつつ、「世界で二番目に好きな人」との恋愛として描かれている。われわれの社会に存在する恋愛についてのタブーをギリギリのところで回避したことで(「「二股、三股はダメ」というのは生きている人間が相手の恋愛の場合のタブーであるとする)、愛子と省吾の恋愛は身内からの祝福と、視聴者からの支持を得ることになったのである。ただし、二人の恋愛は『ひよっこ』の中でのあくまでも1つのトピックスであり、もしこれをメインしたドラマを書くとなったら、話はそう簡単にはいかないだろう。「世界で二番目に好きな人」同士の恋愛が本当に成立するのか、一瞬のことではなく、持続可能なのかという問題は出て来るだろうと思う。朝ドラはそうした難しい問題を探究するには相応しい舞台ではない。泣いても笑っても『ひよっこ』は残すところ一週間となった。

12時に南武線の矢向駅で、卒業生のケースケ君とユリさん(共に論系ゼミ3期生)と待ち合わせ、「パン日和あをや」に向かった。

卒業生が男女のペアでこのブログに登場するのは何回目だろうか。おそらく10回に満たないはずだ。しかもそのうちの何組かは単に2人で来たということであって、カップルとして来たわけではない。今回の2人はカップルである。同期のシュンヤ君とリナさんに続く、2組目のカップルでの登場である。

「パン日和あをや」に到着。

二人の身長差はかなりある。これはユリさんが小柄だからではなく、ケースケ君が背が高いからである。歴代の論系ゼミ生のベスト3に入っていると思う。

二階席(和室)を予約しておいた。昭和のアパート(『ひよっこ』のあかね荘みたいな)にタイムスリップしたみたいな雰囲気がいい。

まずはセパレートディーとアップルタイザーで乾杯。

本日のメニューから注文する。

オニオングラタンスープ。二人とも「美味しい!」を連呼していた。

たっぷりカレーサンド。本当にたっぷりだ。

サーモン・アボカド・クリームチーズのサンド。女性客には一番人気。

フランスコッペ。

リンゴにハチミツが合うのである。

ケースケという名前はお父様がサザンオールスターズの桑田佳祐のファンだったことかららしい(ただし漢字は同じではない)。『ひよっこ』の主題歌「若い広場」の入った彼の最新アルバム『がらくた』に私が言及したら、「いい曲が多いですね」とのこと。

ユリさんは、もしかしたらサトコになっていたかもしれないという(どちらも「里」という字が使われている)。サトコは昭和っぽい名前で、「あかね荘」や「乙女寮」にいそうである。

食後のデザートにちょっとだけスイーツが食べたくて、フレンチトーストを一皿注文する。 

三人で分けた食べた。

デザートも食べ終えて、窓際のテーブルでツーショットの写真撮影。

「同棲時代」って感じだね(笑)。

カメラの方は観ないで、二人が互いの顔を見ているという構図で撮ったがが、二人は照れることしきりだった。別に「見つめ合って」とはいっていないのだが、視線が合うというのは、親密な感じがかもしだされるからだろう。

並んで写真を撮る(視線は平行)のは恥ずかしくないようだ。 

そろそろ失礼しようと時計を見たら、なんと4時を回っていた。店に来たのが12時過ぎであったから、4時間も滞在したことになる。普通はせいぜい2時間であるから、通常の2倍ということになる。びっくり。

これは2人よりも3人の方が会話の総量が多いからということではなく、ユリさんの話題の出し方が「二段ロケット型」だからである。卒業生が私とカフェで会う場合、とくに聞いてほしい話題や相談事があるケースがある。もちろんとくに相談事というほどのものはなく、気軽なおしゃべりを楽しむというケースもあるわけだが、数か月ぶりに合うとなればその間に生活や人生にいろいろなことがあるわけで、それが話題になることが多い。その場合、用意してきた一番のトピックスや相談事を最初に話題にするのが「一段ロケット型」である。これに対して「二段ロケット型」というのは、あたりさわりのない話題から始めて、会話が中盤にさしかかった辺りで、ときには終盤で、「実は、先生・・・」とその日一番の話題を話し始めるのである。ユリさんはこのタイプの人である。今日についていえば、一段目に2時間(通常の長さ)、二段目に2時間かかったのである。やっぱり二階の和室を予約しておいたのは正解であった(笑)。

店を出るとき、ご主人に写真を撮っていただいた。

帰りも矢向駅まで歩く。

駅前の八百屋さん兼果物屋さんの店先で、本日最後のツーショット。生活感が感じられる(笑)。

二人はこの後、「ノチハレ珈琲店」へ。

私が卒業生の結婚式に出るのは各期につき先着3組までと公言している。三期生については、今年の2月にマイコさん、5月にサキさん、そして来年2月にユキさん(予定)とすでに3組が確定している。しかし、ゼミ生同士の結婚となれば話は別で、特別枠で考えたいと思います。私がそう言うと、ユリさんは安堵した様子で、ケースケ君は「ほらね」と言って、顔を見合わせていた。

「先着3名」ということから自由になっていただいて、どうぞ一番よいタイミングを二人で相談してください。

蒲田には5時前に着いた。

午前中よりもだいぶ青空が広がっている。 

夕食はチキンソテー、サラダ、野菜と卵のスープ、ご飯。

チキンソテーには野菜のソテーを添えて。

デザートは妻のお母さんから送っていただいた巨峰。

そして今日の二人からいただいたお菓子。月と兎の意匠だ。

3時、就寝。