フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月22日(金) 曇り、夕方から雨

2023-09-23 10:57:24 | Weblog

8時、起床。

チーズトースト、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。今日はこれから墓参りで、昼食はふだより早めに、かつしっかり食べることになるので、軽めの朝食。

食事をしながら『あさイチ』を観る。プレミアムトークのゲストは神木隆之介。来週の金曜日が『らんまん』の最終回だが、その日のプレミアムトークは次の朝ドラの出演者になるのかしら。まさか長屋の差配人だったおりんさんとか、波多野・藤丸コンビではあるまい。だとしたら面白いけどね。

昨日のブログを書いてアップする。

蒲田発10時半の始発に乗る。

京浜東北線はこの時間帯は快速運転なので、上野で山手線に乗り換えて、鶯谷までは33分。これは普通運転で乗り換えなしの場合と時間は同じ。京浜東北線の快速運転の意味は何なのかとよく思う(快速というわりに停まる駅が多いのである)。

以前は、墓に供える花は蒲田の花屋で買ってもっていくことが多かったが、最近は、お寺の近くの花屋で買うことにしている。ここは「ハ喜」という名前の花屋。店主さんの苗字が「八木」で、「木」を縁起のよい「喜」に代えて店名にした。「花」と書かれた紙を店名の上に貼って、「はなやぎ」と読めるようにしている。

お寺で妹夫婦と合流する。

墓参りを済ませる。

縁側で簡単な写経をして、御朱印をいただく。浄土宗開宋850年にちなんで、最近始められたそうである。

地下鉄(日比谷線)で入谷から2つ目の仲御徒町まで行き、上野広小路まで歩く。地下鉄の中で、電車に乗っているときに人から席を譲られたことがあるかという話になり、私と妹はまだなくて、妻と義弟はそれぞれ一度あるそうだ。妻は小学生に、義弟は若い女性に譲れらたそうだ。私も、一度、前の席に座っている小学生が二人、ひそひそ何か相談して、黙って席を立ったことがあるが、「どうぞ」とは言われなかったし、二人の小学生はそのままドアのところに行って次の駅降りたので、「譲られた」という経験にはカウントしないことにしている。

墓参の後はいつも「人形町 今半」(上野広小路店)で昼食をとることにしている。

注文するものもほぼ決まっている。

私と義弟は厳選すき焼き弁当。

肉は増量で。私がすき焼きを食べるのは年に4回、春と秋の彼岸(「今半」で)と誕生日(自宅)と12月30日(自宅)である。

妻と妹は松花堂弁当。

帰りに「うさぎや」に寄ってどら焼きを買う。週末だと行列ができている人気店だが、平日はすんなり入れた。「仏壇に供えて」と妹夫婦から一箱(6個)いただいたが、自分でも2個買った。

帰宅して、夕方、ご近所にどら焼きのおすそ分け(今日中に食べないと味が落ちる)。

夕食は、昼食をしっかり食べたので、蕎麦にする。茄子とピーマンとエリンギの素揚げと温泉玉子をトッピングして。

食事をしながら『この素晴らしき世界』特別編(録画)を観る。ただの総集編ではないところがよかった。

仏壇からどら焼きを下ろしてくる。

同じ「うさぎや」でも、上野と日本橋と阿佐ヶ谷では形状や食感に違いがある。「どんなふうに?」と聞かれてもすぐには答えられませんけどね(以前、食べ比べたことがあるが、忘れてしまった)。

本日の『らんまん』を観る。

新聞社に勤める万太郎の息子が新聞を寿恵子に見せる。大杉栄と妻と子どもが震災のどさくさの中で憲兵(甘糟大尉)に殺されたという記事が載っている。

清水幾太郎はこの事件に大きなショックを受けた。大杉の本を愛読していたからだ。

大杉栄一家が甘粕という軍人の手で殺されたことを知りました。前に述べた通り、私は、判らないながら、大杉栄の著書を読んでいたのです。著書の全部は理解出来ませんでしたが、彼が深く人間を愛し正義を貴んでいたことは知つていました。人間を愛し、正義を貴ぶ。細かいことが判らなくても、私には、それだけでよかつたのです。それが大切だつたのです。その大杉栄が、妻子と共に殺されたのです。殺したのが軍人なのです。軍隊なのです。日本の軍隊は私の先生を殺したのです。軍隊とは何であるか。それは、私の先生を殺すものである。それは、私の先生を殺すために存在する。いや、もし私が勉強して先生のようになつたら、軍隊は私も殺すであろう。軍隊は、私を殺すために存在する。今日の若い人たちなら、軍隊の持つこうした意味に何もビックリしないでしよう。しかし、戦前の教育を受けていた私にとつて、このことは、一生に一度か二度しか遭遇しないような事件でした。特に、私の場合、父が一兵卒として日露戦争に出征していたこともあり、また、小学校の六年生の時、学校の遠足で、麻布の三聯隊へ見学に連れて行かれ、そこで高橋准尉という人と知り合いになり、小学校を卒業した後も、三聯隊へ遊びに行つて、池でオクマジャクシを捕つたりしたこともあつて、軍隊というものに暢気な親しみを感じていただけに、ショックは言いようもなく大きかつたのです。私は、大地震に打ちのめされた生活の底で、今、日本の社会の秘密を一つ掴んだのです。(清水幾太郎『私の心の遍歴』より)

震災後、人口の流入ですっかり変貌してしまった渋谷を離れ(「山桃」も手放し)、万太郎一家は郊外(大泉)に新居を建てることにした。

それにしても寿恵子は震災の後、いっぺんに白髪が増えた。老化の速度が速すぎないか。

夕方から雨が強くなって、ショーキングは中止。本日の歩数は昼間に歩いた5903歩に留まった。

1時半、就寝。