8時半、起床。
あけましておめでとうございます。
年賀状のフォームは、妻の作った図柄、新春の俳句、文章という構成でずっとやってきている。
新年の句は2パターンあるのだが、これは返信用。「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」(能村登四郎)。返信は若い人(卒業生ら)に宛てることが多いので、若い人向けの句を選んだ。グランドで槍投げの練習をするアスリートがいる。槍を投げ、槍のところまで歩いていき、また槍を投げる。黙々と練習する姿はストイックで美しい。論文の書き方を説明するときに学生にいうのだが、論文とは「問い」を解いていく過程であるが、大きな問いをいくつかの小さな問いに分けて、まず一つの問いを放り投げて、それを拾いに行く。拾えたら、また小さな問いを放り投げて、それを拾いに行く。それが章立てをして論文を書くということであると。この「前方に何かを放り投げてそれを拾いに行く」というのはいろいろなことにあてはまる方法論だろうと思う。
「新春講義でした」
一階の炬燵で朝食。お節料理と刺身と(締めに)雑煮。
朝食としては食べすぎである。ブランチと考えて、昨日のように昼食は抜きでもよい。
年賀状は午前中に届いた。
『村上RADIO』をタイムフリーで聴きながら、返信の賀状を書く。
「元日のルーティンですね」
書き上げた賀状を近所のポストに投函する。
時刻は2時半ごろである。
チーズトースト(+ソーセージ)と珈琲の軽めの昼食。
娘が帰るので、玄関先で写真を撮る。意識したわけではないが、日本の家族の代表的な就寝形態であるC中央型(川の字)の拡張版である。
「私も家族の一員なのですね」(チャイ)
息子がお土産にもってきた饅頭(生なごやん)を食べながら昨日のブログを書く。
甘いもののあとはしょっぱいもの(柿の種)。
さんまとキムタク(TV出演は久しぶりである)の特番を観ていたら、地震のニュースに切り替わった。北陸地方で強い地震があったと伝えている。そういえば書斎も少し揺れている気がする。
時間が経つにつれて震度や津波の警報のレベルが上がっていく。能登の震度は7だそうだ。
津波警報が大津波警報になった。アナウンサーが「逃げてください」と叫んでいる。
私も行ったことのある内灘町の映像をネットで見る。砂丘の丘に造成された通りは液状化して被害が大きいようである。何度も行った町中華「泯来」は無事だろうか。
穏やかな元日の一日・・・のはずだったが、とんでもないことになった。
夕食は朝食と同じだが、サラダが加わった。
朝食では食べなかったごはんに刺身をのせて。
TVは9時頃には平常番組に戻ったが(NHKとTBS以外は)、元来は正月気分で観る番組を観る気分ではなかったので、書斎に引っ込んで『椋鳥日記』の最後の章「落葉」を読む。
チャリング・クロス駅から汽車に乗って、南の海峡に面したライと云う小さな町に行った。ライは苔むした丸石で舗装した路が続き、中世の建物の残る古い可愛らしい町だが、この町で遊んでの帰途、アシュフォオドと云う駅で汽車を乗換えた。雨が降り出して、プラットフォオムに出ると寒い。プラットフォオムに軽食堂があるのを見て、何となく、
――蕎麦を食おう・・・。
と思ったのは、どう云う料簡だったか判らない。茲は英吉利だと気が附いたのと、娘が珈琲でも飲みましょうかと云ったのと、どっちが先だったか忘れたが、途端に蕎麦は消えてしまって何だかたいへん淋しかった。これはそろそろ引き揚げる潮時を考えないと不可ない、そう考え始めたのはこのときからである。
『椋鳥日記』を読み終わる。去年今年を貫くいい読書だった。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。