フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月13日(金) 晴れ

2024-09-14 12:01:34 | Weblog

7時50分、起床。13日の金曜日だ。

チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。

このところ珈琲は「きりん珈琲」のきりんブレンド(中煎り)の豆を挽いて淹れているのだが、同じものであっても、そのときどきで微妙に味わいが違う。ということが、わかってくる。今年一年を振りかえるのはまだ早いが、「日傘を使い始めたこと」と「珈琲を豆から淹れるようになったこと」は日常生活(習慣のシステム)の中での変化として記録されるだろう。

来週の朝ドラの予告で、あのミサンガの女美佐江がセーラー服姿で寅子の前に現れた。もちろんもうそんな年齢ではない。まさかコスプレというわけではあるまい。幻か。いずれにしろ、舞台が新潟から東京に移ってからずっと美佐江のことが気になっていた(そういう視聴者は多いに違いない)。

朝刊の一面トップは昨日の夕刊と同じだ(写真やレイアウトや語句をちょっと変えただけ)。そう感じることが増えたように思う(気のせいかな)。いま払っている朝刊夕刊セットの料金は4400円。朝刊のみにすると3400円(夕刊のみというのはない)。どうしようかな。ただし、新聞の購読そのものを止めることはないと思う(オンラインの記事も読めるしね)。ネットがあるから紙の新聞はいらないと言っている人の多くは、ネットの新聞も読んでいないように思う。

昨日のブログを書く。

夕方からのゼミ論相談(オンライン)の資料に目を通す。

昼食は近所の蕎麦屋「吉岡家」に食べに行く。途中にある床屋「NAO」の店先の黒板にはいつもなかなか読ませる。この床屋には小学生の頃行っていた。いまはあのときの店主さんのお孫さんがやっているのかな。初めてではなくても、60年ぶりに開く床屋のドアもきっとかなり重いだろう。

このところ雲のない青空が続いている。

2時を回った店内にはほかに客はいない(店主さんは奥の部屋で食事をしていた)。テレビではワイドショーでコメンテーターが「ドンファン殺人」のことで何かしゃべっている。

胡麻だれ蕎麦を注文。あまり空腹感はなくても何か食べなきゃというときによく頼むメニューだ。本(キンドル)を読んでいて、薬味(山葵と葱)を汁の中に入れるのを忘れてしまった。

食べることで胃が刺激されたのだろう。店を出るときは店に入るときよりも食欲を感じている。

切りのいいところまで(章の終わりまで)蕎麦屋で読むことができず(47頁もある長い章だった)、帰宅して珈琲を淹れて、ドーナツを食べながら、読む。主人公の「私」と博士の孫娘は、世界の終わりを回避するために、博士のいるであろう地下の避難所をめざして、暗闇の中、長い長い洞窟を歩いている(だから話が長いのだ)。

 「僕らが生きのびることはできるのかな?」
 「信じるのよ。さっきも言ったでしょ? 信じていれば怖いことなんて何もないのよ。楽しい思い出や、人を愛したことや、泣いたことや、子供の頃のことや、将来の計画や、好きな音楽や、そんな何でもいいわ。そういうことを考え続けていれば、怖がることはないのよ」
 「ベン・ジョンソンのことを考えていいかな?」と私は訊ねてみた。
 「ベン・ジョンソン?」
 「ジョン・フォードの古い映画に出てくる乗馬のうまい俳優さ。すごくきれいに馬に乗るんだ」
 彼女は暗闇の中で楽しそうにくすくす笑った。「あなたって素敵ね。あなたのことすごく好きよ」
  (『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』21章)

「ベン・ジョンソン」と聞いて、私はカール・ルイスのライバルで、ソウル・オリンピック(1988)の100メートルで金メダルを獲得したものの、直後のドーピング検査で失格となった選手のことしか思い浮かばなかった。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が出版されたのはソウル・オリンピックの3年前である。 

5時からTさんのゼミ論相談を1時間ほど。

夕食まで原稿を書く。

夕食は肉野菜炒め、白菜の漬物、味噌汁、ごはん。

味付けはジンギスカン風。

デザートはシャインマスカット。

食事をしながら『シュリンクー精神科医ヨワイー』第2話(録画)を観る。今回の患者は双極性障害のラーメン店店主。看護学校の教材にそのまま使えそうなドラマである。

原稿を書く。あと少し。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

寒気を感じる。風邪を引いたか?と思ったら、書斎の冷房の設定が「27度」になっていた。いつもは「28度」なのだが、何かの拍子に1度下げてしまったようだ。それだけのことで体感温度は違ってくる。風呂の温度は1度違うとわかるが、冷房もそうなんですね。私はカフェや電車の冷房をいつも寒く感じる。

1時15分、就寝。