フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月22日(日) 曇り

2024-09-23 14:10:25 | Weblog

8時半、起床。この時間になっても私が起きないとチャイが体の上に乗って来て「もう起きなさい」アピール。

チーズトースト、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。軽めなのは、今日は午前中に墓参をして、その流れで早い昼食になるから。

朝刊に文芸評論家の福田和也氏の訃報が載っていた。63歳。お若い死である。癖の強い文章だが、自分の「読み」に自信を持ち、いや、持たねばならぬと覚悟を決めて、書かれた文章であった。最後に読んだ氏の本は昨年の7月に出た『放蕩の果て 自伝的批評集』(草思社)だった。師である江藤淳の死(妻を亡くした翌年に自殺)に接して、「信じられなかった。『幼年時代』のようないい文章を書いていて、どうして死んでしまうのか。まだ連載が始まったばかりではないか。(中略)いい文章を書くだけでは人は生きられないのか―。これが江藤氏の死に接して私が痛切に感じたことであり、いまにいたるまで私自身への問いにもなっている」という箇所が印象に残っている。ご冥福をお祈りします。

昨夜のうちに書いた昨日のブログをアップして、10時頃家を出る。妻は帯状疱疹ワクチンの副反応からの回復がいまひとつなので、私だけで出かける。桜並木の落葉が一段と進んでいる。

鶯谷の駅には11時ちょっと前に着いた。

この線路沿いの飲食店の集落が、空中の駅舎と並んで、私にとっての鶯谷駅の風景である。

言問通りを歩く。

お寺の近く、金杉通りの角にあるカフェ「ジャン」は閉店してしまっていた。

店主さんが体調を崩して休業していて、6月に前を通ったときは、「少しずつよくなっていると思いますが、まだ6月は無理のようでお客さまにはご迷惑をおかけして申し訳ございません」と書かれていたが、そうか、再開は断念されたのか。

お寺で妹夫婦と合流。

父が81歳で亡くなってから18年、母が88歳で亡くなってから9年である。

今日の昼食をお寺の近くの洋食屋「香味屋」を11時半に予約しておいた。今日はすべてのテーブルが予約で埋まっている。

大正末に花柳界として賑わっていた根岸の地に輸入雑貨の店として開業し、芸者衆からの要望で珈琲や軽食を出すようになり、戦後まもなく、本格的な洋食レストランとして再開した。ランチタイム、ディナータイムに関係なく、いつでもフルメニューで営業しているのは、食事の時間の不規則な芸者衆の要望に合わせていた時代の名残だそうである。

ビーフシューとメンチカツが名物だが、これも人気の洋食弁当を注文する(妹は弁当A、私と義弟は弁当B)。洋風幕の内で、箸で食べる。

オードブル、おかず、ごはんの三段重。

オードブル。あれこれ食べられて楽しい。

おかず。

食後に珈琲を注文する。

妹夫婦から「梟サブレ」なるものをいただく。秩父神社の名物とのこと。私が鳩サブレ―が好きなことを知っていて、「こんなのもあるのよ」ということだろう。

珈琲のお供にしたいところだが、店のテーブルで食べるわけにはいかないので、中身の確認は家に帰ってからだ。

店には1時間半、滞在した。ごちそうさまでした。

大森で途中下車して「ベイクマン」に取り置きをお願いしてある食パン(二斤、六枚切り)を受け取りに行く。

「本の庭」に寄っていく。

昼食はもう済ませているので、モーモーチャーチャーと梅ソーダを注文する。

モーモーチャーチャーとはマレーシアの言葉で「ごちゃまぜ」という意味。音を重ねるのは「喧々諤々(ケンケンガクガク)」とか「戦々恐々(センセンキョウキョウ)」とかと同じで中国語由来の言葉なのだろう。ココナッツミルクの上にサツマイモや小豆がなどが載っている。あんずのような形をしているのは白玉である。「混ぜて食べる」のが本来の食べ方なのだろうが、私は「混ぜない派」なので(見た目の美しさにこだわる)、そのまま食べた。

珈琲を注文し、小説の続きを読む。長い物語も終わりに近づいている。

 それから僕はここで出会った様々な人々について考えてみt。隣室の大佐や、官舎に住む老人たち、発電所の管理人、そして、門番―彼らは今おそらくそれぞれの部屋の中で、外を吹きあれる雪まじりの風の音に耳を澄ませているだろう。
 僕はそんな風景のひとつひとつ、そんな人々の一人一人を永遠に失おうとしている。それからもちらん彼女もだ。しかし僕はおそらくいつまでも、まるで昨日のことのようにこの世界とそこに住む住人たちのことを覚えているだろう。もしこの街がたとえ僕の目から見て不自然で間違っているにせよ、そしてここに住む人々が心を失っているにせよ、それは決して彼らのせいではないのだ。僕はあの門番をさえきっと懐かしむことだろう。彼もやはりこの街の強固な鎖の輪にくみこまれたひとつの断片にすぎないのだ。何かが強大な壁を作りあげ、人々はただそこに吞みこまれてしまっただけのことなのだ。僕はこの街の中のすべての風景と人々を愛することができるような気がした。僕はこの街にとどまることはできない。しかし僕は彼らを愛しているのだ。(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』第36章より)

「本の庭」には1時間ほど滞在した。近くにある和菓子屋「翁家」でおはぎを買って帰る。粒あん、こしあん、ゴマ、きなこの4種類あったが、粒あんを4個買った。お店の方にどれが人気がありますかと聞いたら、それぞれにファンがいるそうで、まんべんなく売れているそうである。うちは妻が粒あん一筋なので、どうしても粒あん中心になるのだが、もし私一人でおはぎの昼食にするのであれば、4種類を買って、粒あん、きなこ、ごま、こしあんの順に食べたい。

帰宅して、仏壇におはぎを2つ供えてから、妻とおはぎを食べる。

梟サブレは梟の形状はしておらず、小判型で縄文の埴輪のような模様である。鳩サブレーよりサクサクしており、バターの風味が強い。

鳩サブレーの携帯缶に収まった(ただし収まる角度が限られているのでうまくやらないと割れる)。

夕食は、私のリクエストで、かた焼きそば(海老と野菜のあんかけ)。

食事をしながら『マル秘の密子さん』第9話(録画)を観る。あれこれ話をひっぱってようやく来週が最終回である。

寝違えたのか、朝から首の後ろの右側の筋が痛む。これも原稿書きの後遺症だろうか。文字通り「首が回らない」。ロキソニンを飲み、ロキソニンの湿布薬を貼る。

風呂から出て、今日の日記を付ける。

1時半、就寝。