文化逍遥。

良質な文化の紹介。

さよなら崙書房、感謝をこめて

2019年06月21日 | 本と雑誌
 かつて、地方出版が隆盛をみた時代があった。神田のすずらん通りには、1976年から2007年まで地方出版を専門に取り扱う「書肆アクセス」という書店もあり、全国の小さな出版社から出た本が所狭しと並べられていた。出版部数が少ないために1冊あたりの価格はどうしても高めだったが、各地の歴史や現在の実情を知る上で貴重な資料を提供していたものだった。その「書肆アクセス」も無くなって久しく、各地方出版社も数を減らしていった。
 そんな中でも、千葉県流山市にある崙(ろん)書房出版は、県内の歴史に関する証言や小説を中心に出版を続ける貴重な存在となっていた。しかし、その崙書房出版も経営難のため七月三十一日に業務を終える、という。1970年に初代社長の小野倉男さんが創業したというから、半世紀近くがんばってきた、と云える。実際、その出版指向は、「売れる本」ではなく「良い本」を出す、という品質重視なものだった。正直、こんな本ばかりで商売が成り立っているのかな、と感じることも多かった。おそらく、「すぐれた本を市場に供給する」という信念で続けてきたに違いない。頭が下がる思いだ。ささやかだが、長年の労苦に対する称賛をここから送りたい。


というわけで、わたしの蔵書の中から崙書房によるものを2冊。


 2015年刊『永遠の平和―千葉の「戦後70年」を歩く』。東京新聞の千葉版の記事を同千葉支局が編集したもの。文庫サイズで1500円は少し高いが、内容はそれ以上のものがある。


 2016年刊『古文書で読む千葉市の今むかし』。幕末期を中心に、現在の千葉市周辺の江戸期の歴史を生で感じ取れる古文書の読み取りと解説。千葉市史編さん担当者による編集。地道な研究の成果といえる。

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セイラ・アレン・ベントン著『高機能アルコール依存症を理解する』2018年星和書店刊

2019年02月16日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本の中から1冊。



 この本のテーマである「高機能アルコール依存症(The High-Functioning Alcoholic)」とは、要するに、仕事や学業などは人並みかそれ以上だが日常的にアルコールが手放せない状態、を言っている。日常会話で、「あいつは酒にだらしないが、仕事はちゃんとしているようなので、まあいいだろう」、といったことはよく耳にする。が、その時にはすでに深刻なアルコール依存状態で、早急に治療が必要なレベルなのだという。
 判断基準のひとつとしては、「飲酒による記憶の欠落(ブラックアウト)」があることだという。飲んだ後どうやって家に帰ったか憶えていない、そんな経験をした人は少なくないだろう。その時には、すでに依存症になっていると考える必要があるというのだ。

 わたしの父もアルコール依存で、家族を混乱に陥れたあげく、53歳で亡くなっている。アルコールに限らず、全ての依存症はやがて周囲を巻き込み、時に他者を傷つける深刻な病だ。「酒の上の事だから」といった甘えは、けっして許されるべきことではない。

 飲み始めたら止まらない、など、飲酒量が自分でコントロール出来なくなってる人、あるいは本人以外でも家族の中に酒癖の悪い飲酒者がいる人には参考になる本だと思った。

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イルセ・サン著『鈍感な世界に生きる敏感な人達』2016Discovoer刊

2019年01月27日 | 本と雑誌
 最近はドライアイで眼精疲労が出やすく、なかなか読書もママならないが、比較的軽い読み物や大きい活字の本を図書館から借りてゆっくりと読むようにしている。今回は、そんな本の中から一冊。標題をみれば、ほぼ内容の察しがつくだろう。著者のイルセ・サン(Ilse Sand)は、デンマークのオーフス大学で神学を学んだ心理療法士。デンマーク国教会の司祭を数年間務めた後、現在は主にセラピストとして活躍しているという。

 本の内容には関係ないが、例えば次のようなブルースの詞がある。
「The sun going down,boy - dark gonna catch me here・・(陽が沈み、闇が俺を捉えてゆく・・)」
 ロバート・ジョンソンの『Cross Road Blues』の一説だが、似たようなフレーズはブルースの中には多い。こういった感性は、誰しもが持っているものだと若い頃は思っていた。が、どうもそうではないらしい、と感じるようになったのは自分がかなり歳を取ってからの事だ。競争の中で、数字を上げることで自分の存在価値を見出す。そんな社会で息苦しさを感じずに生きていけるタフな人達が少なからずいる。そして、自分はそこに違和感を感じ、疲れ果てていた。今、リタイアし、やっと自分の時間の流れの中で呼吸していられるように感じている。
 本の中では、敏感な感性の人達をHSP(High Sensitive Person)と呼び、現代社会の中で少しでも生きやすくなる為の対処法を教えてくれている。

 「生きづらさ」を感じる人には、お奨めの一冊。


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白石一郎著『江戸の海』

2018年11月07日 | 本と雑誌
 最近は目の疲労が激しく読書もママならないが、図書館には大きな活字の本が用意してあるので、たまにそれを借りてきて老眼鏡をかけて読んでいる。もちろん、大活字に変換されている本は多くは無いが、それでも目が弱くなってきた者には大いに助かる。自分もそういう歳になったんだ、とも感じて寂しい気もするが、弱い者に対する対策がある事に素直に感謝したい。

 さて今回読んだのは、歴史短編小説集『江戸の海』。著者の白石一郎氏は、1931年(昭和6年)11月の 生まれで、2004年(平成16年)9月20日に亡くなっている。わたしは初めて読んだが、海を舞台にした小説を書かせればこの人の右に出る者はいない、と言われるのも肯ける作品だった。海に生きる者たちの心象風景に優れ、読み終わった後に何故かホッとする。これは、テレビなどではけっして味わえない感覚だ。やっぱり本はいいなあ。次は、直木賞受賞作品の『海狼伝』を読んでみたい。

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坂口尚著『石の花1~5』講談社漫画文庫

2018年08月24日 | 本と雑誌
 坂口尚(ひさし)は、1946年東京まれ。1963年に手塚治虫の「虫プロ」に入社。その時16~17歳で、まだ定時制高校に在籍していたが、その後仕事との両立が出来なくなり学校はやめたという。作画およびストーリーの構成力は抜群で、この人の作品を読むと、自分が大学の文学部を卒業していることが恥ずかしくなる。1995年、急性心不全により49歳で亡くなったのが惜しまれる。



 『石の花』は、1941年に旧ユーゴスラビアがナチスドイツやイタリアなどに分割統治されてから、チトー率いるパルチザンによって解放されるまでを描いたコミック作品で、初出は1986年『月刊コミックトム』(潮出版社)。5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つといわれる複雑な国家だったユーゴスラビア。それが1990年以降の内戦を経て、今は分離独立。しかし、内部には依然紛争の種が燻り続けている。ヨーロッパ、特に東ヨーロッパから中東の地理や宗教のことはなかなか理解しにくい。たとえば、カトリックと東方正教会の教義が具体的にどのように異なるのか、なぜその違いが市民戦争にまで行きつくのか。おそらく、対立する利害関係がそこにはあるのだろう。この作品を読み直すのは、今回が3回目くらいだ。読むたびに勉強になる。

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水木しげる著『コミック昭和史1~8』

2018年08月14日 | 本と雑誌
 今年も、広島と長崎の原爆忌が過ぎ、8月15日がやってくる。酷暑の中での長崎の追悼式典では、国連事務総長のスピーチが心に残った。
 そして、8月8日には翁長雄志(たけし)沖縄県知事が67歳で亡くなった。もともとは自民党の沖縄県連会長で、辺野古移転も容認していたというが、政府のあまりに一方的な対応に反発して基地移転を容認しない人の中心的存在になったという。この人は1950年沖縄生まれで、1975年に法政大学の法学部を卒業している。わたしが同校に入学したのが1977年で、すでに翁長氏は卒業した後だし、わたしは文学部だったので知りえることはない。が、市ヶ谷の校舎などは同じで、当時の混乱したキャンパス状況はさほど変っていなかったはずだ。70年安保闘争の余韻が残り、移転問題があり、さらに新左翼の各セクトのせめぎ合いの末の内ゲバ、挙句に死者まで出た。わたしは、5年間在籍していたが、後期の試験が行われたのは1回だけだった。そんな中で青春時代を過ごした沖縄出身の保守政治家が政府に対抗し、癌を患い志半ばで急逝せねばならなかった人生を改めて想い、ご冥福をお祈りしたい。
 実は、もう一人法政大学の法学部を近い時期に卒業した保守の政治家がいる。菅義偉(よしひで)官房長官だ。1948年秋田県生まれで、1973年に卒業しているので、地方出身の翁長氏と境遇が似ており、あるいは学内での面識があったのかもしれない。10日に行われた翁長氏の通夜にもわざわざ沖縄まで行き参加しているのも、あるいはそのためかとも思う。

 沖縄経済は、すでに基地依存度が5%程度だと云われている。観光客が増え、住みやすい気候なので移住者も多く人口は増えている。実際この夏の気象情報などみていると、本州が連日猛暑日を記録しているのに、沖縄は31~2度でとどまっている。これは、アフリカなどでも赤道直下よりもその南北周辺が暑くなり砂漠化するのと同じで、地球規模のフェーン現象らしい。そんなことも考えあわせて、今後の米軍基地の在り方を根本的なところから考えなおしてみたい。



 さて、そんなわけで、平成最後の夏に「昭和」という時代をもう一度考えてみようと思い、水木しげる著『コミック昭和史1~8』を本棚から出してきて読み直していた。著者自身南太平洋に従軍し、左腕を失い帰還するという経験をしている。これはそんな経験を中心に自伝的にまとめられた歴史漫画だ。読んでいるのは講談社のコミック文庫だが、単行本は1988年にコミック社から出ている。なので、書かれたのは1980年代と思われる。つまり、古い史料を参照して書かれている部分も多いので、今となっては史実と少しずれていると言わざるをえない個所もある。が、全体に良くまとめられ、今でも十分読む価値のある長編漫画といえる。

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ジョン・ウィリアムス著『Stonerストーナー』2014年作品社刊

2018年06月24日 | 本と雑誌
 図書館から借りて読んだ本から1冊。訳は東江一紀(あがりえ・かずき)。解説によると、本書がアメリカで最初に刊行されたのは1965年。本国アメリカでは一部の愛好家に評価されただけでほとんど忘れられていたという。が、2011年にフランスで翻訳されてベストセラーになり、ヨーロッパ各国で翻訳が進み、さらに本国アメリカでも再評価されるに至ったという。
 著者のジョン・ウィリアムスは、1922年テキサス生まれ。デンヴァー大学で文学を専攻し、ミズーリ大学で博士号を取得。その後は、主にデンヴァー大学で文学と文章技法の指導に当たり、1994年アーカンソー州で亡くなっている。つまり、この小説が評価される20年近く前に亡くなっていたことになる。訳者の東江一紀は、1951年生まれ。200冊以上の翻訳をものし、晩年は癌との闘病の中で本書の翻訳に取り組み、2014年に最後の1ページを残して無くなったという。



 主人公のストーナーは貧しい農家に生まれるが、父の勧めで1910年ミズーリ大学に入学、最初農学を専攻する予定だったが、その後文学に転向。苦学の末、同大学の教員の職を得る。その後、裕福な家庭に育った女性と結婚するが、妻となった人は貧しい暮らしに耐えられず精神的に不安定になってゆく。家庭にも職場にも問題を抱える中で、いつしか若い研究者の女性と深い仲になり・・・。

 第1次世界大戦から経済恐慌、さらに第2次世界大戦という混乱期の中で、文学の大切さを信じ、もがくように耐え続ける主人公。そして彼は歳を重ね、大学の定年に至り癌を発症し死んでゆく。なんの変哲もないストーリーなのだが、その心象風景の描写が実に細やかで、訳も優れている。訳者は、自分の姿をストーナーに重ね合わせていたのかもしれない。久々に心に沁みる小説を読んだ。

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劉暁波著『独り大海原に向かって』2018年書肆侃侃房刊

2018年05月11日 | 本と雑誌
 図書館から借りて読んだ本を一冊。訳・編集は、劉燕子氏と田島安江氏。なお、田島安江氏は、書肆侃侃房(福岡)の代表取締役でもある。



 2010年に獄中でノーベル平和賞を受賞し、2017年7月13日に瀋陽の病院で多臓器不全のために亡くなった文学者劉暁波。1955年12月28日吉林省長春の生まれというから、わたしよりほぼ1年年長ということになる。この本は、1990年頃からの詩編や、獄中からの夫人への手紙、そして哲学的な思考を詩的に表現した散文詩などが収められている。訳者の劉燕子氏が「むすびにかえて」の中で「詩は厳密にいえば翻訳不可能である。」(P263)と述べられている。それはもっともなことで、たとえば、李白や杜甫の詩を現代日本語に訳したものなど想像できない。しかし、それでもここに収められた詩文からは胸に沁みる想いが伝わってくる。若い頃の理想に忠実に生き抜いたひとりの詩人が確かにいたことを伝えてくれている。本文P186以下を少し引用しておきたい。

 「・・ぼくは殉難を覚悟しあふれ出る熱気で深淵に沈んだ魂を救おうとするのだが、その魂は相変わらず混沌として、不潔で卑俗だ。・・」

 同時代人として、魂の奥に刻み込んでおきたい人の一人、といえる。

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葉室麟著『草笛物語』(2017年祥伝社刊)

2018年03月30日 | 本と雑誌
 図書館から借りて読んだ本を一冊。



 昨年12月23日に66歳で亡くなった著者の、これは遺作とも云える作品になるだろう。
 内容は、直木賞受賞作の『蜩の記』の続編で、著者の出身地である九州に設定した羽根(うね)藩シリーズの完結作となる作品。比べてはいけないのかもしれないが、やはり藤沢周平の海坂(うなさか)藩を舞台とした作品群がどうしても頭に浮かぶ。話に引き込む力では、勝るとも劣らない。が、人物の心象風景の描写に今ひとつもの足りなさを感じざるを得なかった。66歳という年齢は、今では若くして亡くなった、と言えるだろう。仕事をし過ぎたのだろうか。もう少し長く生きて、深みのある作品を残して欲しかった。残念だ。ご冥福をお祈りしたい。

 余談だが、わたしも長くフリーランスで仕事をしてきて、依頼されたものを断る怖さは身に沁みて分かっている。実際に、依頼された仕事があまりに遠かったために断らざるを得なかったことがあり、その後にはペナルティーとして暫く仕事を回してもらえなかったこともあった。横暴といえばそうなのだが、仕事を握っている方が圧倒的に力が上であり、下は耐えるしかないのが資本主義社会の法則なのだ。それを逆手に取る方法も無いことはない。水面下で仕事を依頼してくれる取引先を増やしておけばよいのだ。言うは易く行うのは簡単ではないが、その不安定さを楽しむ位の気持ちで事に臨めばけっこう生き延びていける。まあ、わたしの場合は巡り合わせが良かった、とも言える。仮に今だったら、そう楽観していられないだろう。それでも、無理に仕事を受けて体を壊しては元も子もない。実際に、何人かの仕事仲間が若くして体を壊し、その内の何人かは命を落としている。その中には、わたしよりも若い人が数人いた。気持ちを落ち着けて、やれることをしっかりやっていきたい。

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奥野修司著『魂でもいいから、そばにいて』(2017年新潮社刊)

2018年03月16日 | 本と雑誌
 東日本大震災から7年。この時期はテレビやラジオなどでも特集番組が組まれるが、今年は関連した本を図書館から借りてゆっくり読むことにした。読んだのは、ノンフィクション作家のルポとも言える著作で、副題には「3.11後の霊体験を聞く」とある。



 東北は、『遠野物語』の地であり、また、恐山のイタコに代表される「巫(シャーマン)」の伝統が残る所でもある。この本は、そんな東北の地(主に宮城・岩手)で被災し、「お知らせ」や「お迎え」という不思議な体験をした人達の話がまとめられている。人は極限状態の中で、合理的な説明が出来ない体験をすることも時にはあるだろう。しかし、それは一方でカルトなどを生じさせる危険性を含んでいる。そのことを踏まえた上で読みたい著作とも思う。また、著者によるとこの本は、宮城県で2千人以上を看取った岡部健医師の勧めで書かれたものというが、その岡部医師が興味深いことを語っているので引用しておく。「人間が持つ内的自然というか、集合的無意識の力を度外視してはいかんということだよ。それが人間の宗教性になり、文化文明を広げていったんじゃないかね」(P13)。おそらく、著者もこのような視点でインタビューをする気になったのではないかと推測している。取材は、震災の2年後から3年半程の期間をかけて行われたという。
 大切な人を亡くした方達の「想い」が伝わってきて泣ける話も多かったが、一方で他の被災者から心無い言動を受けた人も多数いたことも実感させられた。甚大な災害は、必ず襲ってくる。その時、生き残った者はどの様な心構えでそれに臨むべきなのか、考えてみる契機になる本である。

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山本譲司著『累犯障害者ー獄の中の不条理』(2006年新潮社刊)

2018年03月05日 | 本と雑誌
 2/24(土)に放映されたNHKのETV特集「居場所があれば立ち直れる~累犯障害者、社会で生きるために~」の中で長崎県地域生活支援センター長を務める伊豆丸さんという方が影響を受けたとのことで紹介していた本で、読んでみたくなり図書館から借りてきた。



 著者は元衆議院議員で、政策秘書給与の流用事件を起こして2001年2月に実刑判決を受け、433日間の獄中生活を送った人。この本は、刑務所の中で出会った障害者達の姿と、出所後に社会の中で障害者達が繰り返し犯罪に走る実態を調査した労作。驚くべき内容だが、中には思わず吹き出してしまうところもあり、読み飽きない内容になっている。

 それにしても、この本やETV特集を見ると、社会的弱者の置かれた現実は想像以上に厳しい、のだと実感させられた。本の序章に、2004年の『矯正統計年報』による統計が引用されている。それによると、知的障害のある受刑者の七割以上が刑務所への再入所者、だという。14年ほど前の統計だが、今は改善しているのだろうか。ITの普及とともに必要とされない人間が増えて、ますます悪い方向に向かっているのではないか、という懸念は杞憂だろうか。
 ETV特集の標題を逆に読めば「居場所がないので立ち直れない累犯障害者」となるだろう。現実から目をそらさず、しっかりと認識していくことから始めたい。そして、さきの長崎県地域生活支援センター長のように、人知れず社会的弱者のために献身的に働いている方が確かにいることも忘れずにいたい。

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深沢七郎著『笛吹川』2011年講談社文芸文庫

2018年01月26日 | 本と雑誌
 深沢七郎が73歳で亡くなったのは1987年。なので、すでに30年以上の歳月が流れたことになる。その存在を知らぬ人も多くなったことだろう。
 わたしは学生時代に『楢山節考』を読んで、最後の場面で涙が止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。1970年代の終わり頃だったと記憶している。その『楢山節考』が、第1回の「中央公論新人賞」を受賞したのが1956年。深沢七郎が42歳の時のこと。そして、この『笛吹川』が中央公論社から刊行されたのが、1958年。今回、図書館から借りて読んだのは2011年講談社文芸文庫から復刻されたものになる。



 武田信玄の誕生から勝頼の死ぬまで、激動の時代に翻弄される笛吹川沿いに暮らすある農家6世代を描いた小説。深沢七郎は、現在の山梨県笛吹市出身なので、自らの郷里を舞台に設定した作品、ということになるだろう。
 良い小説を読んでいると、時間の流れがゆっくりしてくるように感じる。これを読んでいる時、舟で川を下っていて急流を過ぎ川幅が広いところに出た時に似た感覚をおぼえた。時間をかけて書かれた作品とは、そういうものなのだ。手作業の大切さを、改めて実感させてくれた。便利な道具を使う時には、それが本当に必要なものなのか、立ち止まって考えたい。

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NHKスペシャル取材班『母親に、死んで欲しい』2017年新潮社刊

2018年01月13日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本から。



 本書は、2016年7月3日に放送されたNHKスペシャル『私は家族を殺した~“介護殺人”当事者たちの告白~』をベースにディレクター、記者が書き下ろし、昨年10月に出たドキュメンタリー。題名を読めば、内容はほぼ察しがつくだろう。
 わたしも、認知症だった母の介護を約15年続け、2014年に自宅で看とった。その間、介護自体を辛いとか、苦しいとか感じたことはなかった。しかし、人格が変ってゆく母にどう対応して良いのか、さらには周囲の無理解、そこには苦しんだ。一時期は、軽い精神安定剤を飲んでやり過ごすこともあった。今思えば、一番つらかったのは患者本人で、自分が自分でなくなってゆく不安に常に苛まれているのが認知症なのだった。「認知症の人と家族の会」の会報や、認知症患者本人であるクリスティーン・ブライデンの著作などを読み、知識としては持っていても、それを実感し自らの介護に生かしてゆくことは容易ではなかった。それでも母の場合は、まれに「ありがと」と言ってくれたので、その一言でわたしは救われたのだった。逆にいえば、その言葉が無ければ、この本の「当事者」になっていた可能性はあった、と今も思う。

 本文中の、ある介護施設長の言葉を引用しておく。
「国は在宅介護を進めているけど、施設のヘルパーでも手に余る人を、素人の家族が朝から晩まで介護することは、精神的に大変なことなんです。自分の身内だからできるでしょうというが、それは違う。認知症で昔と変ってしまった家族を受け入れることは難しいんです」(p70)

 高齢化が進み、けっして他人事ではないのは明白だ。統計によると、昨年の5月時点で、介護を必要としている人は634万人。介護のために離職している人は、年間10万人以上いるという。政府は、介護離職をなくす、と言っているが今のところ掛け声だけに終始している。介護施設でのトラブルも多い。大切な家族を安心してあずけられる施設は少ないのが現実だ。このままでは、間違いなく社会全体がジリ貧になる。
 スマホなどIT技術がさらに進み、孤立する介護者の一助になることを期待したい。が、今のところ現実はそうはなっていない様に見える。多くの人に、読んでもらいたい一冊。

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『9人のギタリスト』ジャス・オブレヒト著、飯野友幸訳(2016年リットーミュージック刊)

2017年12月06日 | 本と雑誌
 さすがに、これは買いました。原題は『Early Blues-The first stars of blues guitar』。自分なりに訳してみると「初期のブルース(録音最初期のブルースギターのスター達)」というほどになるだろうか。



 邦題は、『ロバート・ジョンソンより前にブルース・ギターを物にした9人のギタリスト』となっているが、原題とあまりに意味合いが離れていて、正直困惑している。だいたい、本の中にロバート・ジョンソンのことなどほとんど出てこない。時期的な目安にはなるが、誤解もまねきやすいだろう。おそらく、ロックファンをターゲットにした販売戦略なのだろうが、仮にわたしが著者だったらこんな訳の題はけっして認めない。
 まあ、それは置くとして、内容は非常に詳細で時系列にそった記述はわかりやすい。この本の主役たちは、すでにこのブログでもほとんど紹介済みだが(わたしの「レコード棚」参照)、この本を読んで新たに知ったことも多かった。
 かなり、マニアックな本だが、ブルース、あるいはその歴史に興味のある人にはお奨めな良書、と言える。

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帚木 蓬生著『水神』(2009年新潮社刊)

2017年11月24日 | 本と雑誌
 最近、図書館から借りて読んだ本から一冊。

 図書館といえば、先日、館内の視聴覚コーナーの横を歩いていた時の話。「ちょっと、お兄さん・・」という声、近くを見渡してもわたし以外には誰もいない。思わず声の方に振り返ると、「これの使い方知らない?」と訊かれた。DVDの再生機器の使い方が分らなかったらしい。歳の頃なら70位の女性だったが、まさか還暦にもなって「お兄さん」と呼び止められるとは思わなかった。おどろいたねえ、どうも。もっとも、年齢差を考えれば不思議ではないかもしれないが、世の中高齢化してるんだなあ、と、肌で感じた次第。どっかのタレントみたく、今から子どもでも作ってみるか。もっとも、相手にしてくれる妙齢の女性がいれば、の話だが・・まあ無理だな。


 さて、本題。著者の帚木 蓬生(ははきぎ ほうせい)氏は、1947年福岡県小郡市生まれ、東京大学文学部仏文科卒、九州大学医学部卒で、小説家でもあり精神科の医師でもある。わたしは氏の小説を読むのは今回が初めてになる。



 『水神』は、上・下二冊の長編書き下ろし時代小説。設定は1660年代の筑後久留米藩(有馬家)で、筑後川の近くに位置するも高い台地にあるため水利に苦しむ村々の庄屋五人が堰を作り水を引くまでの苦難の物語。と、言ってしまえばプロットは単純で地味な話だが、時代考証にかなり具体性があり、当時の庶民生活が生き生きと描かれ、その空気までもが伝わってくるようだ。全体に、善人ばかりが出てくる様な気もするが、そこはまあ、小説ということで楽しみたい。同じ著者の、他の著作も読んでみたくなった。「天は二物を与えず」ともいうが、世の中には、才能に恵まれた人がいるものだ。実に、どうも恨めしい、じゃなかった羨ましい。

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