文化逍遥。

良質な文化の紹介。

加曾利貝塚―2012春

2012年04月13日 | 考古・エッセイ
4月8日、例によって、墓参のついでに加曾利貝塚によってきた。 ここにくると、不思議と気持ちが落ち着く。

Kasori1

今は、公園のようになっているが、この下に大量の貝の堆積層がある。さらに、この奥には、小さいながら博物館もある。

Kasori2

観察しやすいように、このようにトンネルが掘ってある。

Kasori3

こちらが、内部。

ガラス越しなので反射で見にくいが、貝の堆積した様子が見える。 最近の研究で、ここでは単に貝を食べていただけでなく、干した貝を作っていたらしいことがわかってきた。その干し貝は自分達の保存食としていただけでなく、交易品として他の産地の産物と交換をしていたらしい。つまりは、ここは縄文期の「干し貝生産加工場」だった可能性がある。最盛期、ここでは4~5千人が生活していたと推定されている。当時、日本列島の全人口が数十万人といわれているから、かなりな規模だったことは間違いない。縄文期は、我々が想像する以上に豊かな世界だったらしい。

Kasori4_2

復元された住居。


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