橘家円蔵師匠が、この7日に亡くなっていた。81歳だった。
わたしも、何度か寄席の高座に接した事がある。タレント色が強く、登場しただけで会場が沸く、明るい芸風の噺家さんだった。噺はというと、演目も少なく、けっして上手い人ではなかったが、人気者で客を集められるので寄席には必要な芸人さんだったことは間違いない。晩年は呂律(ろれつ)が少し回らなくなり、話も途中で詰まったりしていた。そこを又明るさで塞ごうとしていたようで、聴いていても辛いものがあった。そのためか、ここ数年は高座からも遠ざかっていたようだ。
昭和に活躍した芸人さんが、またひとり消えていった。合掌。
わたしも、何度か寄席の高座に接した事がある。タレント色が強く、登場しただけで会場が沸く、明るい芸風の噺家さんだった。噺はというと、演目も少なく、けっして上手い人ではなかったが、人気者で客を集められるので寄席には必要な芸人さんだったことは間違いない。晩年は呂律(ろれつ)が少し回らなくなり、話も途中で詰まったりしていた。そこを又明るさで塞ごうとしていたようで、聴いていても辛いものがあった。そのためか、ここ数年は高座からも遠ざかっていたようだ。
昭和に活躍した芸人さんが、またひとり消えていった。合掌。