ひと口にカントリー・ブルースと云っても、広いアメリカのことなので便宜的に地域で分けることが多い。ミシシッピー・ブルースや、あるいはイースト・コースト・ブルースなどなど。今回は、あまり注目されることのないアラバマ州(ミシシッピー州の東隣)の古いブルースマン、エド・ベルを取り上げる。
アラバマの代表的ブルースマンと云えるエド・ベル(Ed Bell)の生年は、P-vineのCD『The Story Of Pre-War Blues』の解説によると、1905年5月アラバマ州フォート・デポジット、となっている。現在、わかっている録音は上のDocumentのCDに入っている24曲で全てらしい。1927年にエド・ベルの名前でシカゴで4曲。1929年にニューヨークでギターの名手クリーフォード・ギブソン(Clifford Gibson)とスルーフット・ジョー(Sluefoot joe)の名前で8曲。さらに、同年から翌1930年のかけてアトランタでベアフット・ビル(Barefoot Bill)などの名で残りの12曲を録音している。
この頃の演奏を聴くと、後の時代には聞けなくなった素朴さを感じる。実際、ロバート・ジョンソンが録音するのは1936~37年で、その時にはエド・ベルやクリーフォード・ギブソンの奏法に影響を受けながらも「ウォーキング・ベース」と言われるような後の8ビートロックに繋がるリフが出てきている。このCDで聞けるのは、溜めの聴いたシンプルなリズムで、8ビートとは遠い。おそらく、古くは地域の集まりなどで週末に小人数を前に演奏していたものから徐々に酒場など大きな会場で演奏するに至り、リズムも変わっていったのだろう。ここで聞けるギブソンとベルのギターデュオは、ブルースの歴史的録音と言っても過言ではないだろう。現代のギター・プレーヤーのなかで、この古いリズムに合わせてしっかりと演奏出来る人は、おそらくいないと思われる。
マムリッシュ(Mamlish)というコレクターズレーベルから出たLP『Barefoot Bill's Hard Luck Blues』。エド・ベルは5曲、ジョン・リー(John Lee)4曲、メイ・アームストロング(May Armstrong)1曲、ソニー・スコット(Sonny Scott)1曲、さらにベルの演奏仲間だったフィリー・ボウリング(Pillie Bolling)3曲(うち1曲はベルと共演)などを収録している。このLPが出るまでは、スルーフット・ジョーやベアフット・ビルがエド・ベルの変名かどうか諸説あったという。が、SP盤からこのLPを編集した際に、録音時の詳しいで調査研究がなされ、同一人物という事で論争に決着がついたらしい。当時は、レコード会社の都合でトラブルを避けるために名前を変えて録音した事がけっこうあったという。LP解説によると、経済の大恐慌の時代になってから、ベルも音楽活動を止めて伝道の道に入ったという。亡くなったのは、1960年頃アラバマでらしい。
アラバマの代表的ブルースマンと云えるエド・ベル(Ed Bell)の生年は、P-vineのCD『The Story Of Pre-War Blues』の解説によると、1905年5月アラバマ州フォート・デポジット、となっている。現在、わかっている録音は上のDocumentのCDに入っている24曲で全てらしい。1927年にエド・ベルの名前でシカゴで4曲。1929年にニューヨークでギターの名手クリーフォード・ギブソン(Clifford Gibson)とスルーフット・ジョー(Sluefoot joe)の名前で8曲。さらに、同年から翌1930年のかけてアトランタでベアフット・ビル(Barefoot Bill)などの名で残りの12曲を録音している。
この頃の演奏を聴くと、後の時代には聞けなくなった素朴さを感じる。実際、ロバート・ジョンソンが録音するのは1936~37年で、その時にはエド・ベルやクリーフォード・ギブソンの奏法に影響を受けながらも「ウォーキング・ベース」と言われるような後の8ビートロックに繋がるリフが出てきている。このCDで聞けるのは、溜めの聴いたシンプルなリズムで、8ビートとは遠い。おそらく、古くは地域の集まりなどで週末に小人数を前に演奏していたものから徐々に酒場など大きな会場で演奏するに至り、リズムも変わっていったのだろう。ここで聞けるギブソンとベルのギターデュオは、ブルースの歴史的録音と言っても過言ではないだろう。現代のギター・プレーヤーのなかで、この古いリズムに合わせてしっかりと演奏出来る人は、おそらくいないと思われる。
マムリッシュ(Mamlish)というコレクターズレーベルから出たLP『Barefoot Bill's Hard Luck Blues』。エド・ベルは5曲、ジョン・リー(John Lee)4曲、メイ・アームストロング(May Armstrong)1曲、ソニー・スコット(Sonny Scott)1曲、さらにベルの演奏仲間だったフィリー・ボウリング(Pillie Bolling)3曲(うち1曲はベルと共演)などを収録している。このLPが出るまでは、スルーフット・ジョーやベアフット・ビルがエド・ベルの変名かどうか諸説あったという。が、SP盤からこのLPを編集した際に、録音時の詳しいで調査研究がなされ、同一人物という事で論争に決着がついたらしい。当時は、レコード会社の都合でトラブルを避けるために名前を変えて録音した事がけっこうあったという。LP解説によると、経済の大恐慌の時代になってから、ベルも音楽活動を止めて伝道の道に入ったという。亡くなったのは、1960年頃アラバマでらしい。