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わたしのレコード棚ーブルース128 Ma Rainey

2021年04月15日 | わたしのレコード棚
 「クラシックブルース」と言われる音楽ジャンルがある。基本的にはブルースのコード進行なのだが、クラシック音楽の手法を取り入れて、マイナーに転調したり、小説数を工夫したりしてメロディアスに仕上げ、主にショービジネスの世界で広まった。

 マ・レイニー(Ma Rainey)ことGertrude Pridgettは、そんなブルースの女性ヴォーカリストだった。生まれは1886年4月26日ジョージア州コロンバス(Columbus)、亡くなったのは1939年12月22日で、やはり生地だった。10代後半でウィル・レイニー(Will Rainey)と結婚し、以降マ・レイニーとしてミンストレルショーやテントショーで南部や中西部を回ったという。そんな中で、8歳ほど年下の若いベッシー・スミスと出会い、共に旅回りしたりしたらしい。つまり、20世紀初頭に旅回りのショービジネスの世界で生きていたわけだ。ハンディー(W.C.Handy)が「セントルイスブルース」を作曲したと言われるのが1914年なので、マ・レイニーは、クラシックブルースの嚆矢とも言える女性ヴォーカリストと言っても良いのではないだろうか。録音は、1923年12月にはパラマウントに行っている。
 マ・レイニーが亡くなったおよそ半年後の1940年6月、メンフィス・ミニーは『マ・レイニー(Okeh原盤 05811)』という追悼曲を録音している。後の女性ヴォーカリストに与えた影響は大きい人だった。


 MILESTONEレーベル2001。FANTAZYレコードのジャズ向けのレーベルなので、主に管楽器やピアノをバックにしたものを中心に12曲を収録。1924年から1927年までのシカゴでの録音。すでに、100年近く前の演奏、ということになる。録音されたものでは彼女の声量が十分に伝わってこないが、マ・レイニーが旅回りしていた初期の頃は拡声用のマイクなどというものはまだ無く、全てが生音で演奏されたいた。当然、ヴォーカリストも自分の声だけでバックバンドに負けないだけの声を出していたわけだ。聞き及ぶところマ・レイニーは後になってマイクが普及しても、それを使うことを恥としていた、という。すごいもんだ。


 国内盤P-VainのCD、3752。「P-ヴァインーブルースの巨人」シリーズの12で、選曲・編集・解説は佐々木健一氏。1995年に発売された雑誌『ブルース&ソウル・レコーズ』NO.7にわたしがCD評を書いたので、その時に支給されたもの。上のLPと重複している曲もあるが、こちらには、タンパ・レッドのスライドギターやパパ・チャーリー・ジャクソンのギターバンジョーをバックにしたブルース色の強い曲も入っている。

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