先週のことになるが、「亜欧堂田善」の企画展が開催されている千葉市美術館に行ってきた。JR千葉駅から徒歩で15分位のところにあり、我が家からも自転車で15分ほど。浮世絵を中心に充実した所蔵品を持ち、設備も充実している。
NHKの「日曜美術館」などで取り上げられたこともあり、けっこう混雑していた。かく言うわたしも、テレビを見て行きたくなったひとり。この企画展は、2/26まで。
以下は、美術館のホームページからの引用。
『江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・1748〜1822)は、現在の福島県須賀川市に生まれ、47歳の時に白河藩主松平定信の命を受け、腐食銅版画技法を習得した遅咲きの画人です。
主君の庇護のもとで試行錯誤を重ねた田善は、ついに当時最高峰の技術を身につけ、日本初の銅版画による解剖図『医範提鋼内象銅版図』や、幕府が初めて公刊した世界地図『新訂万国全図』など、大きな仕事を次々に手掛けていきます。
一方で、西洋版画の図様を両国の花火に取り入れた《二州橋夏夜図》や、深い静寂と抒情を湛える《品川月夜図》など最先端の西洋画法と斬新な視点による江戸名所シリーズや、《浅間山図屏風》(重要文化財)に代表される肉筆の油彩画にも意欲的に取り組み、洋風画史上に輝く傑作を多く世に送り出しました。
首都圏では実に17年ぶりの回顧展となる本展では、現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、谷文晁・司馬江漢・鍬形蕙斎といった同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証します。』
最も印象に残ったのが、この「両国図(絹本油彩)」。大きさは、縦が30センチ位で、横幅が1メートル位だったように思う。中央の大きい2人は、力士だという。ここが現在のJR両国駅あたりだとすると、奥が下流方向で、橋の左側は本所・深川方面、右奥側が神田の方向になるのだろうか。油絵の具なども当時は手に入らないので、自分で試行錯誤の上の手作りだったという。陰影を巧みに使った、奥の深い描写は見事。
細密な銅版画も良かったが、小さいものが多く、原版もちょっと見づらい感じだった。
それにしても、50歳近くなってから見出され、更なる修行をして画業を完遂するというのは素晴らしい。当時は江戸後期、50歳にもなれば孫がいて隠居するというのが普通だろう。それを、自らを試行錯誤の中に置き、修練を続けるというのは尊敬に値する。その才能を見逃さなかった松平定信もやはり称賛すべきだろう。
NHKの「日曜美術館」などで取り上げられたこともあり、けっこう混雑していた。かく言うわたしも、テレビを見て行きたくなったひとり。この企画展は、2/26まで。
以下は、美術館のホームページからの引用。
『江戸時代後期に活躍した洋風画家、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん・1748〜1822)は、現在の福島県須賀川市に生まれ、47歳の時に白河藩主松平定信の命を受け、腐食銅版画技法を習得した遅咲きの画人です。
主君の庇護のもとで試行錯誤を重ねた田善は、ついに当時最高峰の技術を身につけ、日本初の銅版画による解剖図『医範提鋼内象銅版図』や、幕府が初めて公刊した世界地図『新訂万国全図』など、大きな仕事を次々に手掛けていきます。
一方で、西洋版画の図様を両国の花火に取り入れた《二州橋夏夜図》や、深い静寂と抒情を湛える《品川月夜図》など最先端の西洋画法と斬新な視点による江戸名所シリーズや、《浅間山図屏風》(重要文化財)に代表される肉筆の油彩画にも意欲的に取り組み、洋風画史上に輝く傑作を多く世に送り出しました。
首都圏では実に17年ぶりの回顧展となる本展では、現在知られる銅版画約140点を網羅的に紹介するとともに、肉筆の洋風画の代表作、谷文晁・司馬江漢・鍬形蕙斎といった同時代絵師の作品、田善の参照した西洋版画や弟子の作品まで、約250点を一堂に集め、謎に包まれたその画業を改めて検証します。』
最も印象に残ったのが、この「両国図(絹本油彩)」。大きさは、縦が30センチ位で、横幅が1メートル位だったように思う。中央の大きい2人は、力士だという。ここが現在のJR両国駅あたりだとすると、奥が下流方向で、橋の左側は本所・深川方面、右奥側が神田の方向になるのだろうか。油絵の具なども当時は手に入らないので、自分で試行錯誤の上の手作りだったという。陰影を巧みに使った、奥の深い描写は見事。
細密な銅版画も良かったが、小さいものが多く、原版もちょっと見づらい感じだった。
それにしても、50歳近くなってから見出され、更なる修行をして画業を完遂するというのは素晴らしい。当時は江戸後期、50歳にもなれば孫がいて隠居するというのが普通だろう。それを、自らを試行錯誤の中に置き、修練を続けるというのは尊敬に値する。その才能を見逃さなかった松平定信もやはり称賛すべきだろう。