ベッシー・スミスは、1894年4月15日テネシー州Chattanoogaで生まれ、1937年9月26日にミシシッピー州クラークスデイルで亡くなっている。マ・レイニーの後輩といえるクラシックブルースの女性ヴォーカリストだが、ルイ・アームストロングなどとも活動し、どちらかというとジャズヴォーカリストとして評価が高く、後のジャズヴォーカリストへの影響も大きい。1923年からコロンビアなどに170曲ほどの録音を残し、当時としては珍しく映画にも出演しており、戦前のスター歌手と言っても過言ではないだろう。
彼女の死について、ウィキペディアによると・・「スミスは、1937年に乗っていた車がトラックに追突するという不運な交通事故に遭い、近くの病院に搬送されたものの白人専用病院だったので受け入れを頑なに拒否されたためたらい回しにされた。ようやくミシシッピ州のクラークスデールにある黒人専用病院に移送されたが、間もなくスミスは息絶えてしまった。43歳没。」とある。
コロンビアのLP、CL885。1923年から1925年にかけての12曲を収録。バックには、ルイ・アームストロング他ジャズの名手がそろい、彼女の歌唱力を今に伝えている。
下の二枚は、1929年制作の映画『St.Louis Blues』よりの映像をデジカメで撮ったもの。15分ほどの短い作品だが、1929年と言えばまだレコードも78回転盤が普及し始めた頃だろうし、かのロバート・ジョンソンが最初のセッションで録音したのが1936年なので、その7年前に当たる。その時期を考えれば、極めて貴重な映像と言えるだろう。
映画の内容は単純で、恋人に捨てられた「ベッシー」が傷心の思いを込めてセントルイスブルースを歌う、というもの。
バックにはフレチャー・ヘンダーソンのバンドとジェイムス・P・ジョンソンのピアノ、さらには客になって参加しているのはコーラスグループのHall Johnson Choir。
彼女の死について、ウィキペディアによると・・「スミスは、1937年に乗っていた車がトラックに追突するという不運な交通事故に遭い、近くの病院に搬送されたものの白人専用病院だったので受け入れを頑なに拒否されたためたらい回しにされた。ようやくミシシッピ州のクラークスデールにある黒人専用病院に移送されたが、間もなくスミスは息絶えてしまった。43歳没。」とある。
コロンビアのLP、CL885。1923年から1925年にかけての12曲を収録。バックには、ルイ・アームストロング他ジャズの名手がそろい、彼女の歌唱力を今に伝えている。
下の二枚は、1929年制作の映画『St.Louis Blues』よりの映像をデジカメで撮ったもの。15分ほどの短い作品だが、1929年と言えばまだレコードも78回転盤が普及し始めた頃だろうし、かのロバート・ジョンソンが最初のセッションで録音したのが1936年なので、その7年前に当たる。その時期を考えれば、極めて貴重な映像と言えるだろう。
映画の内容は単純で、恋人に捨てられた「ベッシー」が傷心の思いを込めてセントルイスブルースを歌う、というもの。
バックにはフレチャー・ヘンダーソンのバンドとジェイムス・P・ジョンソンのピアノ、さらには客になって参加しているのはコーラスグループのHall Johnson Choir。