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わたしのレコード棚ーブルース143 Roosevelt Sykes

2021年07月19日 | わたしのレコード棚
 ピアノとヴォーカルのルーズベルト・サイクス(Roosevelt Sykes)は、1906年1月31日にアーカンソー州エルマー(Elmar)で生まれ、1983年7月17日にニューオリンズで亡くなっている。ただ、一部の資料では没年を1984年としているものもある。

 育ったのはアーカンソー州のヘレナ近郊で、15歳の頃からバレルハウス・スタイルのブルースをピアノで弾いたという。その後、ミズーリ州セントルイスに行き、そこでピアニストのセントルイス・ジミー・オーデン (St. Louis Jimmy Oden) に出会う。オーデンは、後にブルースのスタンダードとなる「Goin' Down Slow」の作曲者となる人で、1903年生まれ。サイクスとは歳も近く、二人は意気投合したようで、共にセントルイスを拠点としてクラブやハウスパーティなどで演奏したらしい。その後、1940年頃にはシカゴに進出し、二人は共にシカゴブルースを支えるブルースマンとなっていった。しかし、サイクスの演奏スタイルは、ある意味ではモダンなジャズにも近く、洒落たクラブの演奏には重宝されたようだが、戦後主流となっていったエレキギターを使ったモダンブルースには合わなかったようだ。その為か、彼は1954年頃にはシカゴを離れ、ジャズの本拠地のひとつとも言えるニューオリンズに移動し、時にはメンフィスやセントルイスなどにも行き、そこのクラブなどで広いレパートリーを生かして演奏を続けたようだ。

 サイクスの録音歴は長く、1929年頃にはニューヨークへ赴き、オーケー・レコード で吹き込みを行なっている。その後もデッカ・レコードや、ブルーバード・レコードと契約。他にも芸名というか変名を使って、様々なレーベルに吹き込みをしている。これは、レコード会社と契約をすると他のレーベルでは録音できなかったためで、サイクスが使った変名は、イージー・パパ・ジョンソン (Easy Papa Johnson)、ドビー・ブラッグ (Dobby Bragg)、ウィリー・ケリー (Willie Kelly) などだった。1960年代のブルースリヴァイバルでサイクスも見直され、彼にも再び録音の機会が訪れ、ヨーロッパツアーなどにも参加している。下2枚目に取り上げたストーリーヴィル・レコード (Storyville Records)のLPは、そのようにしてしてヨーロッパで録音された一枚だ。


 このブログでもすでに紹介したウォルター・デイビス(Vo)のLP、OT1213。1930年6月12日オハイオ州シンシナティのホテルでの録音3曲、及び1933年8月のシカゴ録音12曲などで、サイクスはウィリー・ケリーの名前でピアノを弾ていて、これが我が家にある彼の最も古い録音になる。


 ドイツのSTORYVILLEレーベルのLP6.23706AG。1966年10月コペンハーゲンでの録音。代表曲「44Blues」や、ブギウギナンバーなどを含む12曲を収録。
 この人のピアノは左手のタッチが抜群だ。ピアノの最低音部は左手小指で弾くことになるが、普通のピアニストでは出来ない、と感じるほどの安定感と繊細さを持っている。ブルースファンには、今一つ評価されていないが、力のあるヴォーカルと相俟ってブルースピアノの歴史の上で重要なプレーヤーの一人と、わたしは考えている。

 以下3枚の写真は、YAZOOレーベルのヴィデオ506『Out Of The Blacks Into The Blues』から、テレビ画面をデジカメで撮ったもの。撮影された年代は特定できないが、ニューオリンズのクラブで撮られていて、かなり歳を取っているようにも見えるので、シカゴを離れてからかなり後のものと思われる。演奏の合間に、ニューヨークへ録音に行ったときのことなどを語っていて、酒場の雰囲気を盛り上げるエンターテイナーとしての側面も窺(うかが)える貴重な映像。







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