「サニーボーイ・ウィリアムソン」を名乗るブルースハープ(10穴ハーモニカ)とヴォーカルを演奏するブルースマンは二人いる。一人は既にこのブログでも取り上げたが、戦前から戦後にかけてシカゴで活躍し多くの録音を残したジョン・リー・ウィリアムソンで、1948年にシカゴで暴漢に襲われ30代半ばで亡くなっている。もう一人は、今回取り上げる南部で活動したライス・ミラー(Rice Miller)と呼ばれることが多いサニーボーイ・ウィリアムソンだ。一般には、ジョン・リー・ウィリアムソンが「サニーボーイ・ウィリアムソン#1」で、ライス・ミラーを「サニーボーイ・ウィリアムソン#2」と区別して呼んでいる。ライス・ミラーは、先に人気が出た#1にあやかって勝手に名前をいただいた、という説が有力だ。が、ロバート・パーマー著『ディープ・ブルース(1992年JICC出版局)』p290には、「ミラーは、自分が‟唯一のサニー・ボーイ”であり、自分より少なくとも15歳は年下のジョン・リー・ウィリアムソンは‟サニー・ボーイ”の名前を自分から盗用して、一九三七年にシカゴへ移っていったと、死ぬ日まで力説していた。」とある。今となっては真偽は分からないが、ここでは取りあえず、一般的に認知されている呼び方を採り、ライス・ミラーの方を「サニーボーイ・ウィリアムソン#2」として先に進めることにしよう。
閑話休題・・以前、セッションに来てブルースハープを吹いていた若い人に「パーピストでは誰が好き?」と聞いたらサニーボーイ・ウィリアムソンとの答えだった。なので、「#1か#2、どっち」かと尋ねたら、#1の存在そのものを知らなかった。今では、「サニーボーイ・ウィリアムソン」と言えば#2の方で、ジョン・リー・ウィリアムソンの存在は忘れられようとしているようだ。しかし「好いプレーヤーになりたかったら歴史的な名演奏を聴き込まないとダメだろう」と、言いたい・・・けど、「うるさいジジイ」がいると思われて来なくなると困るので、我慢している。
さて、そのサニーボーイ・ウィリアムソン(#2) Sonny Boy WilliamsonⅡだが、生年について多くの説があり特定できない。ヨーロッパツアーの時、 Sonny Boy Williamson名でのパスポートに1909/4/7と書かれていたらしく、それを採る解説書もある。が、実際はそれよりかなり前だったという説が有力だ。下のLP裏面のポール・オリバーによる解説は1899/12/5で、生地はミシシッピ州グレンドーラ(Glendora)としている。また、P-VINEのCDの小出斉氏による解説は1897/12/5で場所はやはりグレンドーラとしている。いずれにしろ、ウィリアムソン#2の方が#1よりもかなり年上だったことは間違いなさそうだ。亡くなったのは、1965年5月25日アーカンソー州ヘレナだった。
このウィリアムソン#2は、ライス・ミラー(Rice Miller)というのもニックネームで、本名はアレック・ミラー(Aleck Miller)だった説が有力だ。それにしても、パスポートに芸名やいい加減にサバを読んだ歳を記載できるものなのかねえ。その辺りが、不可解なところ。
この人を紹介する上で忘れることが出来ないのは、キングビスケット・タイム(Kingbiscuit Time)というヘレナのラジオ局KFFAで1941年から放送された番組だ。月曜から金曜の昼12時15分から15分間、自分のバンドをバックに生演奏を放送した。当時、南部ではかなりな人気番組で、「キングビスケット」という小麦粉?の商品もかなり売れたという。人気があった割には録音をしたのは遅く、1951年にそのキングビスケット・タイムで演奏した自分のバンドを率いて「トランペット」というローカルのレーベルに行ったのが最初だ。下のLPがその時のもので、アーホーリー・レーベルから再発されたARHOOLIE2020。
サニーボーイは、この時すでに50歳は過ぎていたことになるが、声に張りがあり、自分のバンドとの息も合って、ハーモニカ・ブルースの歴史的録音と言える。特に、ギタ-のウィリー・ウィルキンス(Willie Wilkins)はジャズの要素を取り込んで巧みに演奏しており、聴きごたえがある。ジャケット写真のマイクの前に置かれている小麦粉袋が「キングビスケット」。
ジャケット裏面。左上の写真に写っているのは、ギターがヒューストン・スタックハウスでドラムスがペック・カーチス。1965年にサニーボーイが亡くなる少し前のものだという。晩年のキングビスケット・タイムのバンドメンバーということになり、放送は25年近く続いたことになる。
主な活動場所をシカゴに移した時期もあったが、サニーボーイは南部で長く演奏した人だった。が、その演奏スタイルはモダンで、後のシカゴブルースのハーピスト達に与えた影響は、シカゴで活躍したジョン・リー・ウィリアムソンよりも大きいように感じられる。特に、ハーモニカにヴォーカルを絡めるタイミングは絶妙で、好き嫌いは別にして素朴な感じがする#1よりもバンド演奏には向いていたスタイルと言えるかもしれない。
こちらは、P-VINEのCD1604『ダウン・アンド・アウト・ブルース』。チェッカー・レーベルに残した、1955年から1963年の24曲を収録。当時、シカゴで活躍したブルースマン達をバックにした演奏は、上のLP とは違った味わいがあり、聴きごたえ十分。特に、ロバート・ロックウッド・ジュニアとの絡みは素晴らしい。
閑話休題・・以前、セッションに来てブルースハープを吹いていた若い人に「パーピストでは誰が好き?」と聞いたらサニーボーイ・ウィリアムソンとの答えだった。なので、「#1か#2、どっち」かと尋ねたら、#1の存在そのものを知らなかった。今では、「サニーボーイ・ウィリアムソン」と言えば#2の方で、ジョン・リー・ウィリアムソンの存在は忘れられようとしているようだ。しかし「好いプレーヤーになりたかったら歴史的な名演奏を聴き込まないとダメだろう」と、言いたい・・・けど、「うるさいジジイ」がいると思われて来なくなると困るので、我慢している。
さて、そのサニーボーイ・ウィリアムソン(#2) Sonny Boy WilliamsonⅡだが、生年について多くの説があり特定できない。ヨーロッパツアーの時、 Sonny Boy Williamson名でのパスポートに1909/4/7と書かれていたらしく、それを採る解説書もある。が、実際はそれよりかなり前だったという説が有力だ。下のLP裏面のポール・オリバーによる解説は1899/12/5で、生地はミシシッピ州グレンドーラ(Glendora)としている。また、P-VINEのCDの小出斉氏による解説は1897/12/5で場所はやはりグレンドーラとしている。いずれにしろ、ウィリアムソン#2の方が#1よりもかなり年上だったことは間違いなさそうだ。亡くなったのは、1965年5月25日アーカンソー州ヘレナだった。
このウィリアムソン#2は、ライス・ミラー(Rice Miller)というのもニックネームで、本名はアレック・ミラー(Aleck Miller)だった説が有力だ。それにしても、パスポートに芸名やいい加減にサバを読んだ歳を記載できるものなのかねえ。その辺りが、不可解なところ。
この人を紹介する上で忘れることが出来ないのは、キングビスケット・タイム(Kingbiscuit Time)というヘレナのラジオ局KFFAで1941年から放送された番組だ。月曜から金曜の昼12時15分から15分間、自分のバンドをバックに生演奏を放送した。当時、南部ではかなりな人気番組で、「キングビスケット」という小麦粉?の商品もかなり売れたという。人気があった割には録音をしたのは遅く、1951年にそのキングビスケット・タイムで演奏した自分のバンドを率いて「トランペット」というローカルのレーベルに行ったのが最初だ。下のLPがその時のもので、アーホーリー・レーベルから再発されたARHOOLIE2020。
サニーボーイは、この時すでに50歳は過ぎていたことになるが、声に張りがあり、自分のバンドとの息も合って、ハーモニカ・ブルースの歴史的録音と言える。特に、ギタ-のウィリー・ウィルキンス(Willie Wilkins)はジャズの要素を取り込んで巧みに演奏しており、聴きごたえがある。ジャケット写真のマイクの前に置かれている小麦粉袋が「キングビスケット」。
ジャケット裏面。左上の写真に写っているのは、ギターがヒューストン・スタックハウスでドラムスがペック・カーチス。1965年にサニーボーイが亡くなる少し前のものだという。晩年のキングビスケット・タイムのバンドメンバーということになり、放送は25年近く続いたことになる。
主な活動場所をシカゴに移した時期もあったが、サニーボーイは南部で長く演奏した人だった。が、その演奏スタイルはモダンで、後のシカゴブルースのハーピスト達に与えた影響は、シカゴで活躍したジョン・リー・ウィリアムソンよりも大きいように感じられる。特に、ハーモニカにヴォーカルを絡めるタイミングは絶妙で、好き嫌いは別にして素朴な感じがする#1よりもバンド演奏には向いていたスタイルと言えるかもしれない。
こちらは、P-VINEのCD1604『ダウン・アンド・アウト・ブルース』。チェッカー・レーベルに残した、1955年から1963年の24曲を収録。当時、シカゴで活躍したブルースマン達をバックにした演奏は、上のLP とは違った味わいがあり、聴きごたえ十分。特に、ロバート・ロックウッド・ジュニアとの絡みは素晴らしい。