9/30(月)、千葉劇場にて。監督呉美保、出演吉沢亮、忍足亜希子。
作家の五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化。
宮城県塩釜市で生まれ育った聞こえない両親を持つ少年、名前は原作者のままで五十嵐大。誕生から青年期までを丹念に描き、おそらく、かなりな時間をかけて制作されたことが想像される労作。
わたしは大学2年の時、聞こえない学友と親しくなり、彼に手話を教えて貰って授業の際のサポートなどをした。必然的に、手話サークルや福祉施設などにも行って、様々な障害を抱える人達とも交流する機会があった。ある時、脳性麻痺により重い障害を負った人、聞こえない人、健常者など4人で会話したことがあった。つまり聾者は一人だけだったわけだが、その際に、聞こえる人同士の会話も全て手話で表現して、聞こえない人にも話題が分かるように努めていた。すると、障害を負った人から「耳はちゃんと聞こえるので、僕と話すときには手話は必要ない」と、かなり強く言われた。さらに「障害者の気持ちを分かってもらいたい」とも・・正直言って対応に苦慮し、今でも記憶に残る苦い思い出になっている。一口に「障害者」と言ってもそれぞれに違いがあり、複雑な心境を抱えた人たちで、敏感で傷付きやすくプライドが高い人が多い。
すでに半世紀近く前のことで、手話も今ではほとんど忘れている。この作品を観て、あの頃のことを思い出した。
作家の五十嵐大による自伝的エッセイ「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」を映画化。
宮城県塩釜市で生まれ育った聞こえない両親を持つ少年、名前は原作者のままで五十嵐大。誕生から青年期までを丹念に描き、おそらく、かなりな時間をかけて制作されたことが想像される労作。
わたしは大学2年の時、聞こえない学友と親しくなり、彼に手話を教えて貰って授業の際のサポートなどをした。必然的に、手話サークルや福祉施設などにも行って、様々な障害を抱える人達とも交流する機会があった。ある時、脳性麻痺により重い障害を負った人、聞こえない人、健常者など4人で会話したことがあった。つまり聾者は一人だけだったわけだが、その際に、聞こえる人同士の会話も全て手話で表現して、聞こえない人にも話題が分かるように努めていた。すると、障害を負った人から「耳はちゃんと聞こえるので、僕と話すときには手話は必要ない」と、かなり強く言われた。さらに「障害者の気持ちを分かってもらいたい」とも・・正直言って対応に苦慮し、今でも記憶に残る苦い思い出になっている。一口に「障害者」と言ってもそれぞれに違いがあり、複雑な心境を抱えた人たちで、敏感で傷付きやすくプライドが高い人が多い。
すでに半世紀近く前のことで、手話も今ではほとんど忘れている。この作品を観て、あの頃のことを思い出した。