サン・ハウス(Son House=Eddie James,Jr)は、1902年ミシッシッピー州リヴァートン(Riverton)生まれ。'30年5月、パットンやブラウンらと共に北部グラフトンに行って最初の録音。'41年と'42年にミシッシッピーで議会図書館のための録音をしたあと音楽活動を停止してニューヨーク州ロチェスターに移り、鉄道会社で荷物運びなどをしていたらしい。その後フォーク・リヴァイバルが起こり'64年に「再発見」され、'74年に健康上の理由で引退するまで多くの録音・ライブ・映像を残した。'76年にミシガン州デトロイトに移り'88年10月に同地で亡くなっている。
BIOGRAPHレーベルのLPで、BLPー12040。グラフトンでの6曲を含む、ブラインド・レモン・ジェファーソンとのカップリングレコード。ジェファーソンとの組み合わせは異質なようだが、FOLKLYRICレーベルのLPに入っている「Country Farm Blues」はジェファーソンの「See That My Grave Is Kept Clean」を基にしており、あるいは追悼のための曲かもしれない。
ROOTSレーベルのLPで、RSE-5。上のLPと同じ1930年のサン・ハウス6曲と、その時サンと共にグラフトンに行き録音した朋友のウィリー・ブラウン、さらに女性ヴォーカルのルイース・ジョンソンなど、さらに、1941年のブラウンのギターをピックアップした3曲を収録。道に迷った時、進むべき方向を教えてくれる名盤中の名盤。
FOLKLYRICレーベルのLP9002。1941年および'42年のアラン・ロマックス(Alan Romax)による議会録音14曲を収録。フィールド・レコーディングのため「Shetland Pony Blues」には近くを走る汽車のシュシュという音が入ってる。わたしは、このLPが一番好きだ。再発見後の演奏は聴衆の好みに引きずられてかブルース・ゴスペルを強調したものが多いが、この時にはヴァリエーションが広くノーマルチューニングでフィンガーピッキングに近い演奏もある。多才で音感のすぐれた人だったのだ。
CBS/ソニーから出た再発見後'65年4月録音のLPでSOPJ94。下の2枚組CDは、コンプリート盤。このLPを買ったのは確か高校生の時で、’70年代の中頃だったろうか。最初は正直あまりピンとこなかったなあ。この人の良さが本当にわかるのは、中年過ぎて身近な人が亡くなってゆくのを体験するようになってからだった。
上の録音時のコンプリート盤CD2枚組で、COLUMBIA/LEGACYレーベルのC2K48867。
KING BEE RECORDSレーベルの2枚組LP1001。1965年4月、オハイオ州オバーリン大学(Oberlin College)でのコンサートのライブ録音。このときは声の張りがあり、乗りもよく、良い演奏になっている。
同裏面。写真は左から、サン・ハウス、スキップ・ジェイムス、ブッカ・ホワイト。
同LP内の写真。
イギリスのMagnumというレーベルのLPでBMLP1020だが、音源は上のLPと同じもので、曲数を減らして1枚に編集したもの。
わたしの聞いたところ、サン・ハウスという人はその日の気分(体調?)によってキイを変える人だったようだ。この時は、以前オープンGでやっていたものを全体に一音落としてFにしているようだ。リゾネーター・ギターで低くチューニングするとピッチが狂いやすいので、最初はオープンEで1カポかと思った。そこで、実際に自分のリゾネーター・ギターでFオープンまで落として低くチューニングして試してみたが、思っていたほど狂いは無く演奏できた。
ロバート・ピート・ウィリアムスとのカップリングLPで、AUTOGRAMレーベルALLP-263。1965年のライブだが、この時は体調が悪かったのか声に張りがなく、あまり良い演奏とは言えない。が、「サン・ハウスでもこんな演奏をする時があるんだ」と、一人の人間としての彼を感じる様で、自分が演奏する時の参考にはなる録音と言える。
DOCUMENTレーベルのCDでDOCD-5148。1969年9月ニューヨークのサン・ハウスの自宅に録音機材を持ち込んで行われた、いわゆるロチェスター・セッション。自分の家にいる気安さからか、かなりリラックスして歌っているように聞こえる。7分を超える曲が5曲あり、その内8分を超える曲が1、20分を超える曲が1ある。この時、サンは67歳だったはずだが、20分を超えるブルースを一人で歌いきっている。驚異的、と言うしかない。
1970年のロンドン・セッション。P-VINEが国内発売したPCD-765。客が騒ぎすぎていて、ちょっとうるさい感じ。
サン・ハウスは、南部出身のブルースマンにしては珍しく大きな移動をし、長生きした人だった。ミシッシッピーのプランテーション(大農園)で生まれ、パーチマン・ファームで囚人生活を送ったこともあるという。差別の激しかった時代にあちこち移動して、さまざまな職をこなすにはよほど器用でなくては不可能だ。この人の86年間の生涯を想像すると、アメリカという国の20世紀の一面を垣間見る気もする。
2022年6月加筆改訂。
BIOGRAPHレーベルのLPで、BLPー12040。グラフトンでの6曲を含む、ブラインド・レモン・ジェファーソンとのカップリングレコード。ジェファーソンとの組み合わせは異質なようだが、FOLKLYRICレーベルのLPに入っている「Country Farm Blues」はジェファーソンの「See That My Grave Is Kept Clean」を基にしており、あるいは追悼のための曲かもしれない。
ROOTSレーベルのLPで、RSE-5。上のLPと同じ1930年のサン・ハウス6曲と、その時サンと共にグラフトンに行き録音した朋友のウィリー・ブラウン、さらに女性ヴォーカルのルイース・ジョンソンなど、さらに、1941年のブラウンのギターをピックアップした3曲を収録。道に迷った時、進むべき方向を教えてくれる名盤中の名盤。
FOLKLYRICレーベルのLP9002。1941年および'42年のアラン・ロマックス(Alan Romax)による議会録音14曲を収録。フィールド・レコーディングのため「Shetland Pony Blues」には近くを走る汽車のシュシュという音が入ってる。わたしは、このLPが一番好きだ。再発見後の演奏は聴衆の好みに引きずられてかブルース・ゴスペルを強調したものが多いが、この時にはヴァリエーションが広くノーマルチューニングでフィンガーピッキングに近い演奏もある。多才で音感のすぐれた人だったのだ。
CBS/ソニーから出た再発見後'65年4月録音のLPでSOPJ94。下の2枚組CDは、コンプリート盤。このLPを買ったのは確か高校生の時で、’70年代の中頃だったろうか。最初は正直あまりピンとこなかったなあ。この人の良さが本当にわかるのは、中年過ぎて身近な人が亡くなってゆくのを体験するようになってからだった。
上の録音時のコンプリート盤CD2枚組で、COLUMBIA/LEGACYレーベルのC2K48867。
KING BEE RECORDSレーベルの2枚組LP1001。1965年4月、オハイオ州オバーリン大学(Oberlin College)でのコンサートのライブ録音。このときは声の張りがあり、乗りもよく、良い演奏になっている。
同裏面。写真は左から、サン・ハウス、スキップ・ジェイムス、ブッカ・ホワイト。
同LP内の写真。
イギリスのMagnumというレーベルのLPでBMLP1020だが、音源は上のLPと同じもので、曲数を減らして1枚に編集したもの。
わたしの聞いたところ、サン・ハウスという人はその日の気分(体調?)によってキイを変える人だったようだ。この時は、以前オープンGでやっていたものを全体に一音落としてFにしているようだ。リゾネーター・ギターで低くチューニングするとピッチが狂いやすいので、最初はオープンEで1カポかと思った。そこで、実際に自分のリゾネーター・ギターでFオープンまで落として低くチューニングして試してみたが、思っていたほど狂いは無く演奏できた。
ロバート・ピート・ウィリアムスとのカップリングLPで、AUTOGRAMレーベルALLP-263。1965年のライブだが、この時は体調が悪かったのか声に張りがなく、あまり良い演奏とは言えない。が、「サン・ハウスでもこんな演奏をする時があるんだ」と、一人の人間としての彼を感じる様で、自分が演奏する時の参考にはなる録音と言える。
DOCUMENTレーベルのCDでDOCD-5148。1969年9月ニューヨークのサン・ハウスの自宅に録音機材を持ち込んで行われた、いわゆるロチェスター・セッション。自分の家にいる気安さからか、かなりリラックスして歌っているように聞こえる。7分を超える曲が5曲あり、その内8分を超える曲が1、20分を超える曲が1ある。この時、サンは67歳だったはずだが、20分を超えるブルースを一人で歌いきっている。驚異的、と言うしかない。
1970年のロンドン・セッション。P-VINEが国内発売したPCD-765。客が騒ぎすぎていて、ちょっとうるさい感じ。
サン・ハウスは、南部出身のブルースマンにしては珍しく大きな移動をし、長生きした人だった。ミシッシッピーのプランテーション(大農園)で生まれ、パーチマン・ファームで囚人生活を送ったこともあるという。差別の激しかった時代にあちこち移動して、さまざまな職をこなすにはよほど器用でなくては不可能だ。この人の86年間の生涯を想像すると、アメリカという国の20世紀の一面を垣間見る気もする。
2022年6月加筆改訂。