子どもが保育園にいっている頃の親仲間というのは、なんといったらいいか。当時は友人というより、同士というような間柄だったと思う。
精一杯仕事をしながら、子育てをするには、大変なこともたくさんあったけど、お互いに助け合い、相談しあい、励ましあうような仲間がいたので、乗り切ることができた。
私はその頃、最初の本「ぼくらの夏は山小屋で」が一般公募していた講談社児童文学新人賞を受賞したものの、何年間も本にならずに、行き詰まっていた。担当してくれていた男性編集者のいうままに、原稿をなおしたものの、一向に連絡もこないし、本になる気配もなかった。翌年の新人賞の人の本も、その翌年の人のも本になって世に出た時に、私のはダメなのかと、とことん落ち込んだ。半分は子どもの本を書いてゆくことをあきらめかけていた。
そして、前にアルバイトしていたマーケティングの会社で、再び働き始めた。本を書くつもりで、二ヶ月間も二人の子どもを連れて、イギリスを旅してきた直後だった。さらに、カナダに書きたい題材があったが、行ってもどうなるかなあという思いもあったし、それよりまず、行くための旅費を稼がなくてはならなかった。
そんな頃、安井さんと出会った。保育園に子どもを預けにゆき、通勤の電車で、よく安井さんと一緒になった。私は、電車の中で、行き詰まっていた本の話しをした。
幸運だったことに、安井さんは、凱風舎という編集プロダクションの仕事をしていたのだ。社長だったことを知るのは、だいぶ後になってからだ。
安井さんは、海のものとも、山のものとも知れない私の話をちゃんと聞いてくれて、アドバイスをくれた。
新人賞の作品はさておき、とりあえずもう一つ何か書いてみたら。それを見てあげるよと。
それから、私はアルバイトをするかたわら、安井さんに見てもらう原稿をせっせと書いた。後に「緑色の休み時間」になる物語である。
そして、数ヶ月かかって書き上げ、安井さんに渡した。
安井さんは、すぐに読んでくれた。そして、おもしろかった。もっと自分自身にも、自分が書いたものにも自信を持ちなよ。新人賞のも本にしてもらうようにちゃんとかけあいなよ。とアドバイスをくれた。
さらに、私が出版社とかけあって、それでもだめなら、自分がどこかに売り込むなりしてあげるから。ともいってくれた。
まだそれから、「ぼくらの夏は山小屋で」が出るまでには、大手出版社の男性編集者とケンカしたり、一山も二山もあったけれど、安井さんの言葉にささえられて、乗り切ることができたのだった。
安井さんのことを、明日、またもうちょっと書こうと思う。
(写真は1991年「パパさんの庭」 野間賞児童文芸賞受賞式の時の。後ろの左から三番目が安井さん)
精一杯仕事をしながら、子育てをするには、大変なこともたくさんあったけど、お互いに助け合い、相談しあい、励ましあうような仲間がいたので、乗り切ることができた。
私はその頃、最初の本「ぼくらの夏は山小屋で」が一般公募していた講談社児童文学新人賞を受賞したものの、何年間も本にならずに、行き詰まっていた。担当してくれていた男性編集者のいうままに、原稿をなおしたものの、一向に連絡もこないし、本になる気配もなかった。翌年の新人賞の人の本も、その翌年の人のも本になって世に出た時に、私のはダメなのかと、とことん落ち込んだ。半分は子どもの本を書いてゆくことをあきらめかけていた。
そして、前にアルバイトしていたマーケティングの会社で、再び働き始めた。本を書くつもりで、二ヶ月間も二人の子どもを連れて、イギリスを旅してきた直後だった。さらに、カナダに書きたい題材があったが、行ってもどうなるかなあという思いもあったし、それよりまず、行くための旅費を稼がなくてはならなかった。
そんな頃、安井さんと出会った。保育園に子どもを預けにゆき、通勤の電車で、よく安井さんと一緒になった。私は、電車の中で、行き詰まっていた本の話しをした。
幸運だったことに、安井さんは、凱風舎という編集プロダクションの仕事をしていたのだ。社長だったことを知るのは、だいぶ後になってからだ。
安井さんは、海のものとも、山のものとも知れない私の話をちゃんと聞いてくれて、アドバイスをくれた。
新人賞の作品はさておき、とりあえずもう一つ何か書いてみたら。それを見てあげるよと。
それから、私はアルバイトをするかたわら、安井さんに見てもらう原稿をせっせと書いた。後に「緑色の休み時間」になる物語である。
そして、数ヶ月かかって書き上げ、安井さんに渡した。
安井さんは、すぐに読んでくれた。そして、おもしろかった。もっと自分自身にも、自分が書いたものにも自信を持ちなよ。新人賞のも本にしてもらうようにちゃんとかけあいなよ。とアドバイスをくれた。
さらに、私が出版社とかけあって、それでもだめなら、自分がどこかに売り込むなりしてあげるから。ともいってくれた。
まだそれから、「ぼくらの夏は山小屋で」が出るまでには、大手出版社の男性編集者とケンカしたり、一山も二山もあったけれど、安井さんの言葉にささえられて、乗り切ることができたのだった。
安井さんのことを、明日、またもうちょっと書こうと思う。
(写真は1991年「パパさんの庭」 野間賞児童文芸賞受賞式の時の。後ろの左から三番目が安井さん)