先日友人が、小学校時代の思い出として、つぎのようなコメントを残してくれました。
「夏休みに高学年になると「松庵の一夜」という学校にお泊まりする行事がありました。昼過ぎに集合、その後校庭で飯ごう炊さん、食事の後は花火をみんなで楽しみ、その後クラス全員でぞろぞろと銭湯に行きました。確か・・・「玉ノ湯」だったと思います。・・・」
この「松庵の一夜」と「玉ノ湯」で、一気にローカルな話しになってしまうのだけど、私は、その友人のように、小学校にはあまり、というかほとんど楽しい思い出がない。その後知り合った人は信じられないだろうけど、クラスの人と付き合うのが苦手で、暗く、いつも一人でひっそりと本を読んでいるような女の子だった。
学校に行くのが苦痛だったし、ズル休みもよくしていた。
その頃の自分を投影して、「汽車にのって」という本を書いた。でも、あの苦痛な時代があったからこそ、私は子どもの本を書くようになったのだとよく思うことがある。
「夏休みに高学年になると「松庵の一夜」という学校にお泊まりする行事がありました。昼過ぎに集合、その後校庭で飯ごう炊さん、食事の後は花火をみんなで楽しみ、その後クラス全員でぞろぞろと銭湯に行きました。確か・・・「玉ノ湯」だったと思います。・・・」
この「松庵の一夜」と「玉ノ湯」で、一気にローカルな話しになってしまうのだけど、私は、その友人のように、小学校にはあまり、というかほとんど楽しい思い出がない。その後知り合った人は信じられないだろうけど、クラスの人と付き合うのが苦手で、暗く、いつも一人でひっそりと本を読んでいるような女の子だった。
学校に行くのが苦痛だったし、ズル休みもよくしていた。
その頃の自分を投影して、「汽車にのって」という本を書いた。でも、あの苦痛な時代があったからこそ、私は子どもの本を書くようになったのだとよく思うことがある。