1994年・秋に、<この本だいすきの会>の会報にのせた文章です
「本当に暑くて長かった今年の夏、皆さんは海や山へ、田舎や故郷へと出かけたことでしょう。その“田舎”とか“故郷”という言葉を聞くと、私は心底うらやましいなあ、と思ってしまうのです。親の代から東京生まれ、東京育ちの私には、田舎はもちろん、故郷もあってないようなもの。私の放浪癖は、多分そんなところから来ているのかもしれません。
ところで、私が生まれたのは、東京の杉並区。現在住んでいる所からは、車ならわずか二十分の距離だけれど、今そこに行っても、タイムマシーンでもない限り、私の故郷には出会えません。
私が子どもだった頃、そのあたりは、一面畑が続く東京の田舎でした。我が家の子どもたちにそんな話しをしても信じてくれませんが、共同の井戸ではなく、自分の家の水道の蛇口をひねって、初めて水が出るのを見て驚いたのは小学生になるかならないかの頃。家の前の道が砂利道から舗装道路に変わったのは、いくつの時だったでしょうか。ロードローラーが行ったり来たりして、平らな道ができるのを、あきずに眺めていたものでした。
その頃、私の家の近くの地主さんの庭の片隅に、大きなけやきの木がありました。けやきの横は、原っぱになっていて、私は大勢の友達と木の所に集まり、朝から暗くなるまで遊んで大きくなりました。
私が住んでいる間にも、町は変わっていきましたが、結婚してそこを離れた後は、またものすごい勢いで変貌をとげました。けれども、訪れる度にまわりの家や風景ががらりと変わってしまう中で、唯一そのけやきの木だけは変わらずにいました。私は実家に帰る度に、その木の下を通ると、ほっとしたものでした。
それが、数年前のある時、突然切り倒されてしまったのです。私にとって、生まれた時から見てきた故郷の原風景ともいうべきものが、永遠に失われてしまったと知った時は、本当にがっかりしました。
やがて、私はせめてその風景を物語の中に残せないかと考えるようになりました。そして、いろいろ試行錯誤したあげくに、絵本のストーリーを考えました。
物語の出発点は、まず私はけやきが切られる時を知っていたら、見に行きたかったと思いました。そして、多分、見にいっていたら、自分のためにけやきの一部を持って帰りたかったと思いました。でも、けやきはものすごく大きいので、その木の下で一緒に遊んだ友達や、それまで代々そこを遊び場にして育った人達にも持って帰ってほしいと思いました。……という風に物語は展開して、私のはじめての絵本「けやきの木の下で」はできあがりました。 」