小学生の頃、学校に行くのは苦痛だったけれど、家に帰れば、楽しいことが待っていた。
夏休みも40日間、あきもせずに目いっぱい遊んだ。一緒に遊んだのは、K子ちゃんである。小学校の二年生の頃、関西方面に引っ越していき、また四年生の時にもどってきた。それからは、小学生の間、ずっといつもいつも、一緒に遊んでいた。
今でも、あの豊かな、朝から晩まで、楽しいことで満ち満ちていた夏休みを思い出す。あんなに幸せな時代は、あれ以後も、あの以前もない、と思うほどだ。
原っぱを駆け回り、柿の木にのぼる競争をしたり、飛び降りたり。近所の農家の納屋のわらにもぐっては、秘密の迷路を作ったりした。石神井のプールにも一緒にいった。私はそこで、初めて平泳ぎで100メートル泳げるようになった。帰りにアイスを買って食べ、バス代がなくなって、二時間もかかって歩いて帰り、二人ともへとへとになったこともある。
朝から夕方まで、K子ちゃんと遊んでいた。ほんとうに夢のように楽しい時間だった。
でも、その楽しい生活から一転して、苦痛に満ちた生活に入る瞬間がある。8月31日。その日は、明日からのことを思って、気が重く、1日じゅうため息をついて暮らしていた。
(写真は小学校低学年の頃。K子ちゃん、N子ちゃんと)
夏休みも40日間、あきもせずに目いっぱい遊んだ。一緒に遊んだのは、K子ちゃんである。小学校の二年生の頃、関西方面に引っ越していき、また四年生の時にもどってきた。それからは、小学生の間、ずっといつもいつも、一緒に遊んでいた。
今でも、あの豊かな、朝から晩まで、楽しいことで満ち満ちていた夏休みを思い出す。あんなに幸せな時代は、あれ以後も、あの以前もない、と思うほどだ。
原っぱを駆け回り、柿の木にのぼる競争をしたり、飛び降りたり。近所の農家の納屋のわらにもぐっては、秘密の迷路を作ったりした。石神井のプールにも一緒にいった。私はそこで、初めて平泳ぎで100メートル泳げるようになった。帰りにアイスを買って食べ、バス代がなくなって、二時間もかかって歩いて帰り、二人ともへとへとになったこともある。
朝から夕方まで、K子ちゃんと遊んでいた。ほんとうに夢のように楽しい時間だった。
でも、その楽しい生活から一転して、苦痛に満ちた生活に入る瞬間がある。8月31日。その日は、明日からのことを思って、気が重く、1日じゅうため息をついて暮らしていた。
(写真は小学校低学年の頃。K子ちゃん、N子ちゃんと)