King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

失われていくもの

2014年10月03日 23時29分03秒 | 日々のこと
多くの夏祭りが終わったと思ったら今度は各地で収穫を祝う
秋祭りがさかんに行われています。

田んぼでは米の収穫が本格化し、干し草が積み重なったり
しています。

この風景に色々思うことがありますが、今一番気になるのは
秩父の存亡です。

もう何年も前から人口減や地域の過疎化が言われますが、
それが目に見えて身近な問題と化しているのが秩父の今の
姿でしょう。

私が地域の役員をしていた時には毎週のように葬式があり、
一人住まいの老人が亡くなり、空き家が増えるようになって
今年はその空家が取り壊されて更地になるケースが目立ちます。

これは、住宅地に限ったことでなくて一番のメイン通りも今や
町を代表する目抜き通りもその姿を大きく変えようとしています。

昔私が子供の頃、一番目抜き通りの大きな商店や銀行は揺るぎの
ないもの繁栄の象徴であり、それはずっと続くものと思われて
いました。

しかし、世の中終わりのないものはないと知るのが人生をより
深く知り何でも知っている大人となった時でした。

バブルの崩壊、ブラックマンデー、リーマンショックと大震災と
津波、かつてない大雪、ゲリラ豪雨に土石流に噴火と今までの
繁栄とわが世の春を謳歌してきた日本国民にも色々な問題が
次々と突きつけられています。

こんな厳しい時代に日本人は未だに戦後という言葉を使い
独特の歴史観と国際感覚を吐き散らします。

世界は未だ戦争の中にあるというのに日本国民だけが戦争は
過去のことで、平和のただなかにいると思っています。

戦争をしているのは一部の過激な思想を持ったカルトと
テロで世の中を変えようとしている人たちの世界という
勝手な思い込みと国民を無知のただ中に置く戦後という呼び名を
いい加減マスコミはやめなくてはならないと思います。
コメント
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