King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『国銅』読了、続き。

2015年04月15日 10時56分41秒 | 読書
大仏建立は当時基金や大地震疫病など国を
脅かす事態を治めるためになされたと
学校の授業で教わりました。

エジプトのピラミッドにしろ国家事業として
今のニューディール政策的な国家事業でそれは
経済的にも国を建てなおす目的があった、もしくは
意識的にはなくても結果的にその効果があったと
想像されるという教師の話やテレビのドキュメント
などでも語られていました。

平成の時代に改修された大仏殿はマスコミを使い
大々的に喧伝され全国から人を集め過去の改修の
ことも語られました。

この国銅もそんな物語が語られているものと信じて
読みだしたところ他にはない小説でまたそれが意外で
二重に驚いた読み出しとなりました。

二つの特長があるこの物語は、小説の手法の
演繹と帰納といったものがなく、最初から銅が
鉱山から掘り出され銅像になる物語が人足の目から
語られるのです。

つまりテーマとなっているのは非常に仏教的なもの
で、諸行無常の世界です。

しかし、日本人はこういう困難な物語を努力と精勤
で果すというのが大好きなのです。

結果、待っているものは何なのかその意味を問い
考えることがテーマであり、仏像を作るとはという
テーマとも重なり、現在の格差社会とこの奈良時代の
人足と貴人、大僧正と乞食坊主という構図を考える
ようにできています。

実際ネットの感想などを拾ってみても涙なくして
読めないとか親心で主人公の国人を応援し、困難な
事業と国に帰る無事を祈った等の主人公踏襲型の
感想ばかりです。

著者が狙ったのは困難な状況でも努力する姿勢と
知の力が人生そのものを救うという構造で、それは
仏教の諸行無常を考えさせることであり、都では
飾った牛車と豪壮の館と寺が立ち、地方では貧しく
弱いものは命も物も奪われてしまうという当時の
再現は全て現代につながるものです。

これは仏教の知識があって他の宗教との
違いを理解している人が読むのでは違ってくる
のではと最初思いましたが、それを知らなくても
国人と同化してつらい役務も降り注ぐ春の日差しと
小川のせせらぎと思いかえれば極楽であるという
知ることでの作用と現在の自分の仕事を重ねて
思うことでその作用があると思いました。

最近、NHKでいかに国書が改ざんされたかという
歴史ヒストリアが放送されましたが、なぜ今
こんな内容的に偏った政治的なものが放送されたのか
不思議に思いました。

豊臣秀吉の朝鮮出兵は明を征服し世界制覇するという
野望であり、当時明の属国である朝鮮は目的ではなく、
奇襲したのでもなく、明を攻めるから案内せよとの命に
背いたから武力攻撃したのです。

それが属国だからとか武力による国攻めは日常だったとか
はさておくとして、この小説に出てくる渡来人とは朝鮮人
でたたら製鉄など精銅技術などはこの渡来人によりもたらされ
文字も詩も中国のものです。

仏教はインドから伝わりそういった技術や思想などは
国とか国境や人種とは関係なく人類共通の財産であり、
政治的に国としてのくくりでそれらを阻害することや
区別する矛盾も同時に感じました。
コメント
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