昨日の深夜そろそろ寝ようかとしたらテレビでピオオンピオオンと久しぶりに聞く
地震の警報が鳴りました。どうせいつものごとく大したこともないだろうと眺めていると
家全体が激しく揺れそれも長く続いたのでした。
テレビで見ていると画面が切り替わり今までの番組がぷつんと途切れ現地の様子や
定点カメラなどの映像になりそのでかさに驚かされます。我が家では物が落ちるでも
家具が倒れるでもなく、何の被害もありませんでしたが、とにかく久々に感じる
揺れでした。
テレビに現れた秩父地方の震度はわずか3です。てっきり5ぐらいはあったと思いました。
福島では震度6強で新幹線も東北、上越、長野、東海と皆止まったようです。
各地で停電も起き津波もあるのかと思ったらそれはないようで、ニュースでは菅総理の
けが人は出ているが死者は出ていないという会見の模様が流れます。その死者が出ていない
というところが色が変わって表示されているのに何の意味があるのかと思わせる内容です。
今朝になりニュースで気象庁とか地震に詳しい人の話としてこれは10年前の東日本大震災の
余震であるといいます。2016年の熊本地震の時には最初に震度7の地震があり、その2日後に
震度6の地震が数度繰り返すというものがあり、何を余震とするか前震と呼ぶかあまり意味のない
事と記憶したことを思い出します。つまりここ数日は警戒をしないといけないのです。
とはいえ秩父は停電もなく周りに変化もなく普通の日曜の朝になり、日曜のニュースワイドショー
も半分は地震のものでした。
福島第一原発や第二原発で燃料使用済みプールから水がこぼれるという被害があったといいますが、
これにより環境に問題はないというニュースを聞くと10年ぶりにまたやってきた大物が顔を出し
オリンピックでもう亡き者とされるはずの震災と原発事故もコロナも実は全然そうじゃないよと
ダメを出しに来たように感じずにはいられませんでした。
本来なら森発言と人事問題は一番語られるところがすっかり過去の話のようになってしまい実は
これから始まることはそれどころではないという感じがしてくるのでした。
昨日寝るときに思ったのは家などに大金をかけて豪邸などは建てるものではないなということです。
私は昔から古い建築物とか名建築の類が好きで色々と見て来たり現物も紹介するテレビ番組もよく
見ていました。千と千尋の神隠しの舞台になったまたはモデルになった建築物とか最初から後世に
残るものをと建てられたもので大工たちが持てる技術の粋を尽くし高い技術と工夫をこれでもかと
盛り込んでいます。しかし、それも火事や地震といった災害に遭わなかったというたまたまのことで
日本のように災害が多い地では災害に遭っても簡単に作り替えが効く構造とか地震から復活しやすい
倒壊しても人々が生き延びられる構造とかを優先した方がいいということです。
中国の紫禁城なども壁などは土壁で崩れ落ちやすい構造ですが、柱や構造躯体は大地震でも崩れない
ようになっているといいます。気になるのは最近の建物は昔のように屋根に土を乗せたりせず柱と
石膏パネルなどでできていて地震に強い金具で柱と梁をつなぐなど強度は従来より強いとされていますが
昨日の揺れを感じてそんな太さ10mmの金属にそんな力はなく、昔のように何トンもの土を屋根に乗せた
筋交いのある家の方が地震に強いのではないかと思えてきます。
いずれにしろ家に金をつぎ込むことより地震後にも逃げられるようにお金は使わずにどこにでも行ける
準備をした方がいいのではと考えているのでした。
ここ十年でみても地震や大雨や火山など災害で名前が上がるところは重なりそういうものと無縁の地は
逆に報道されない暮らしやすいところかもしれません。コロナで移住する人が増えているというニュースも
ありましたが、逆に選べない人もいて多くは色々なしがらみから今の住まいにいるといいう人も多いと
思います。しかし、このように災害とか疫病とか命にかかわることが身に迫ればそれも考えねばなりません。
このように自身の選択で危険を回避し生きる道が選べるのに実際にはくだらないことで危険な地に住み
祖先の残したものなどに縛られていたりこだわっていたりするのです。
令和の時代になっても昭和と同じようにオリンピックと万博で経済成長をという幻想のもとに東京五輪を誘致し
万博やIR法案でカジノを誘致して経済成長などという古い考えに固執するあまり脱炭素社会とか再生可能エネルギーとか
未来的都市への変換に遅れてしまって先進の社会構築にも完全に出遅れ国際社会からも先進国の代表という地位も
もはや示せないダメな見本のようにコロナに襲われ、地震にもみまわれ目論んだ五輪は不祥事まみれと完全に見誤った
感と先見性のない指導者たちだらけというのが露呈してあきれるばかりなのです。
それでも毎日珈琲を飲む度、世界に広がった産地とそれがまた各地域の有力産業として根付き発展し、世界から
求められていることを考えると自国第一主義でなくグローバル世界を五輪憲章の精神でつなぐ意味合いもコロナに
打ち勝つことも可能なのではないかと思えてきます。温暖化や地球環境にも珈琲がこれだけ世界で飲まれるものに
なっていることから世界中で取り組めばなせることもなせるようになると感じるのでした。