King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

祭りの後

2022年12月05日 11時52分33秒 | 珈琲
公園橋は12月にはいりまた消灯し、2、3と点灯。昨日は薄暗く一応ついていたのかなという感じでした。夜の町に走りに出ると冬の香りが漂うなか祭りの気配はすっかりなく、むかしは六日町といって露店商は6日までは居座って商売していたものです。ところが昨日は一店の露店商も見かけず伝承館の柵も撤去され、わずかに臨時照明の電線が束ねられて残るのみとなっていて祭りの半纏の人とか飲み歩いている人もいないいつもの夜の景色になっていたのです。あのたくさんの札幌やら北九州のナンバーの露店商の車は2日の夜から現れてもう3日のうちには撤収とその労働環境の過酷さを思わねばなりません。その露店商の車もボロボロの錆びだらけのワンボックスだったり仮ナンバーをつけたトラックだったり、新車のアルファードだったり一様ではなく景気のまだら模様を感じます。熊木に住んでいる頃は頭の上から降ってくるような花火をみていましたが、毎年となるともうみることもなくうるさいなあと思うだけでした。音だけでなく振動や花火のかすまで降ってきて迷惑なだけでした。今ではうちの窓からは花火も全容は見えずでそうするとなにかもったいないことをしたような気もしてくるのでした。かといってランニングには出ますが、花火見物によるでかけようとは思わないのでした。セラードの珈琲は好調でそのバニラ風味を理解したという声もたくさん寄せられるようになりました。そういった声を聞いても実際その魅力に触れ感動をもって体験を語る人とただブログで知識として理解した人は同じ話をしていてもその違いははっきりとわかります。まあそれは指摘しませんが他のことにたいしてもそうなのだろうなあと予測してしまいます。同じ体験の温度さとかも人によりありますが、何事も初体験の衝撃となったという場合はまた違った印象をもたらします。そんなことがまた珈琲は特別な存在であると感じるのでした。
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