八王子市散田町在住のスポーツ好き親父の戯言!

八王子市の学童野球チーム散田ドラゴンズ元管理人(2007年3月~2016年2月)のブログです。

わくわくする!ニューイヤー駅伝!

2025年01月01日 21時05分50秒 | Jog&Walk,Health

元日は、上州路を走る社会人・実業団のニューイヤー駅伝を見るのが恒例となっています。毎年、いろんなドラマがありますが、今年は例年になく、わくわくしたような気がします。

 

というのも、前橋市の群馬県庁をスタートする1区は、各チームとも遅れを取りたくないため、中継所近くまで大集団で牽制し合うことが多いのですが、今年は有力選手が多いにもかかわらず、GMOの吉田祐也選手(青学大)が最初から迷うことなく先頭で押していく、積極果敢なレース運びをしたからです。吉田選手と言えば、青学での箱根駅伝を最後に引退し一般就職を考えていたものの、直後の別大毎日マラソンで当時初マラソン歴代2位の記録をたたき出したことから翻意し、陸上界に残ったという珍しいランナーです。そして、あの大迫傑と契約した新興のGMOに所属するなど、あまり前例にとらわれない人なのだと思います。そうしたレース運びに、徐々に選手が絞られていきます。他の有力ランナーは、3000m障害でパリ五輪で入賞したSUBARUの三浦龍司(順天大)、箱根駅伝のスターで優勝候補筆頭トヨタ自動車の吉居大和(中大)といますが、虎視眈々と狙っていたのは、昨年1区で転倒して本領発揮できなかった旭化成の20歳の長嶋幸宝(西脇工)でした。私も有力選手ばかりを注目していて気づきませんでしたが、一番涼しい顔をしていました。見事なレース運びでした。

 

続く2区は、最長21.9kmのエース区間です。ほとんど秒差のなかったGMOの今江勇人(千葉大院)がすぐに先頭に立ち、後ろには、マラソン日本記録保持者の富士通の鈴木健吾(神奈川大)、パリ五輪マラソン代表の小山直城(Honda)、旭化成の茂木圭次郞(拓大一高)という錚々たるメンバーを引き連れ走ります。そのうち、じりじりと背中のライバルを引き離す一方、トヨタ自動車のスーパールーキー鈴木芽吹(駒大)、マラソン日本歴代2位のKao池田耀平(日体大)がGMO今江選手を追い上げますが、最後までリードを守って、しかし、僅差で3区につなぎます。先頭争いには絡めなくても、安川電機古賀淳紫、中国電力菊地駿弥などが、ごぼう抜きを演じて盛り上がりました。

 

3区の先頭を行くのはGMO鈴木塁人(青学大)ですが、独特なフォームに勢いはなく、すぐにパリ五輪1万m代表のトヨタ自動車の太田智樹(早大)に並ばれます。更に、同じくパリ五輪1万m代表だった旭化成の葛西潤(創価大)はかなり離れていた距離を縮めて、前を行く二人に並びました。その後、GMO鈴木が遅れると、太田と葛西の併走となり、葛西がそのまま出ようとしますが、最初に無理してハイペースで追いついたのがたたり、最後は太田に付いていくことができず、本命トヨタ自動車が首位で、外国人選手が出場できる短いインターナショナル区間4区につなぎます。

 

以前のインターナショナル区間は、まだ差が付いていない2区だったため、激しいごぼう抜きがありましたが、ある程度差がついた4区ではそれほど大きな変動はなく、トヨタ自動車のキバティが旭化成のキプルトとの差を広げ、5区につなぎました。

 

5区のトヨタ自動車西山雄介(駒大)は、2022年世界陸上マラソン代表にして、パリ五輪代表の最後の枠を目指す東京マラソンで好走するなど、盤石かと思われました。2位を走る旭化成の大六野秀畝(明大)は華はありませんが、安定感があるベテランランナーですが、序盤なかなか差は縮まりません。一方、その後ろからやはり優勝候補のHondaのパリ五輪3000m障害代表の青木涼真(法大)がハイペースで迫ります。大六野に並ぶと、そのまま引き離すかと思われましたが、そこは大六野も実力者ですし、ハイペースで飛ばした負担もあるでしょうし、大六野は青木にしっかりついていきます。すると、盤石と思われたトヨタ西山が徐々に近くに迫ってきます。横腹に差し込みが起きたようで、大ブレーキです。青木と大六野にかわされ、3位に後退しました。さらに、最後は青木が大六野もかわして、首位で6区につなぎました。

 

11.4kmと短い6区は、Hondaが無名に近いルーキー久保田徹(大東大)、旭化成は12月に1万mで好記録を出したものの、こちらも無名に近い齋藤涼(秋田工)ですが、追いつ追われつしつつも、ほとんど差が変わらず、12秒差で最終7区につないでいきます。

 

7区では、これまでもゴール前での激しいデッドヒートが演じられてきましたが、今日もそんな展開になりそうになってきました。しかし、これまでと違って、かなり予想が付きやすい展開となっていました。トップを走るのは、Hondaの中山顕(中大)ですが、1万mのベストタイムは28分09秒92で、マラソン中心の活動をしているのに対し、追う旭化成の井川龍人(早大)のベストは27分39秒05と日本屈指のスピードランナーです。つまり、スプリント勝負になったら、旭化成の井川に分があるということです。ただ、無理して追いついたりしたら、そういうシナリオにはならないかもしれませんが、井川はしゃにむに追うことはせず、ジリジリと中山との差を縮めていきます。追われる中山も二人の持ちタイムを当然知っているわけで、先頭を走っているのに、その表情には焦りがまじまじと表れており、かなり汗もかいています。5kmくらいで井川が中山に追いつくと、そのまま抜くことはせず、ピタッと後ろに付きました。1区のGMO吉田の飛び出しとはまったく逆で、ここは完全に勝負に徹する作戦です。自分よりスプリント能力のある選手に後ろに付かれ、風除けにされたHonda中山選手は気の毒でしたが、それが嫌であれば、その前にもっと差を付けておくか、自分から離しにかかる勝負をかけるしかありません。

 

結果は、Honda中山も振り切ろうという気持ちはあったのでしょうが、それだけの力は残っておらず、逆に残り500mでスパートをかけた旭化成の井川に引き離され、涙を飲みました。旭化成はエース相澤晃(東洋大)を欠きながら、5年ぶり26度目の優勝を飾りました。太田、西山、田中秀幸など実力者に、吉居、鈴木芽吹というスーパールーキーを加えたトヨタ自動車の連覇は堅いとまでは言わないまでもかなり可能性が高いと思われましたが、そんな簡単ではありませんでした。そして、トヨタを倒すのは、小山直城、青木涼真、伊藤達也というオリンピアンと、箱根駅伝を沸かせたヴィンセント(東京国際大)を擁するHondaと言われていましたが、それは旭化成でした。エース相澤晃が欠場し、これまでの主力鎧塚哲哉、市田孝などではなく、私のような素人には無名の長嶋幸宝、茂木圭次郞、葛西潤、齋藤涼、井川龍人らの選手は、1位、6位、2位、4位、1位と安定した成績を残しました。旭化成の総合力が見事でした。

 

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ファン・ソト26歳、プレッシャーに打ち勝てるか?

2024年12月15日 18時17分30秒 | プロ野球・高校野球

昨年、大谷翔平選手が10年7億ドル(当時1,014億円)のスポーツ史上最高金額の契約を交わした時は大きな話題となりましたが、今年、ワールドシリーズで、ドジャースの大谷選手と対戦したニューヨーク・ヤンキースからFAとなったファン・ソト外野手が、同じニューヨークのメッツと、15年7億6500万ドル(日本円1,176億円)の契約を交わし話題となっています。

 

しかし、その話題のなり方が、大谷選手と比べるものばかりで、やや気の毒な感じではあります。

 

曰く、大谷選手が97%が後払いだったのに、ソト選手は後払いなしで、自己中心的(大谷選手の考えは素晴らしいですが、ソト選手が後払いなしも別に悪いことではありません)。

 

曰く、大谷選手は、観客動員、グッズの増収のみならず、多数のスポンサーを球団にもたらすが、ソト選手にはそうした力はない(大谷選手が日本企業にスポンサードされるのはすごいですが、ソト選手とは関係のないことです)。

 

曰く、ソト選手は、打撃はすごいが、守備力に不安があり走塁もたいしたことがないが、主力投手としての力もあり、走力もある大谷選手ほどの価値はない(大谷選手がいなければ、このような比べられ方はしなかったと思います)。

 

ファン・ソト選手は、26歳にして、本塁打201本、安打934安打と、将来性だけでなく、現在でも非常にすごい実績を残しています。それが、7億6500万ドルがふさわしいのかどうか分かりませんが、それに対する評価は彼自身が背負うしかなく、それを選択したのが、彼なのですから、それを外野がとやかく言っても仕方がないのではないかと思います。

 

エンゼルスで大谷選手と同僚だった、トラウト、プホルス、レンドンなどは高額契約をしていましたが、ケガが多く満足な活躍が出来ない時期も多くありました。そうした結果に対して、ファンから彼ら自身が評価され、球団が評価されるのですから、ファンは期待を込めて結果を見守るしかないでしょうね。

 

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そうだ、高尾山へ行こう!7

2024年12月15日 17時46分02秒 | 日記
今朝の八王子は、明け方くらいが一番寒く、最低気温は5:45の-3.1℃でした。そして、快晴でした。こんな日は富士山が綺麗に見えます。ということで、久しぶりに高尾山に登ろうかと思いました。とはいえ、10年ぶりとは思いませんでした(「そうだ高尾山へ行こう!6」)。家を出たのは、7時20分くらいでしたが、7時でも気温は-2.4℃でキンキンに冷えています。この気温は八王子市役所あたりですから、高尾の辺りはもっと寒かったと思います。
 
日曜日ですが、地の利で早く着けるので空いているかと思いきや、8時くらいに高尾山口に着くと、かなりの数の登山客で賑わっていました(下の写真では人出はカットしてますが)。
 
 
 
今までと同じく、舗装されている1号路で行きましたが、走れたのは最初の辺りだけで、すぐに急斜面になるので、さすがに走れず、早歩きで進みます。途中まだ紅葉が綺麗なところがありました。今年は暖かく、甲州街道の銀杏並木もいちょう祭りの時は緑だったくらいなので、だいぶ遅いのでしょうね。

 
 
10年ぶりの1号路はきつかったです。ケーブルカーと平行のルートですから、最初がもっとも斜面がきついのは知っていましたが、10年前はもう少し楽に登れたような気がします。ようやく急斜面が終わると、少し平坦な道から麓が見渡せます。

 


 
 
そして、薬王院です。

 
境内内も紅葉が綺麗でした。

 
 
そして、今日は予想通り、圧巻の富士山でした!

 


 
すすきも秋のものですけどね。

 
 
次は10年後でしょうか?



 
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リベンジ!群馬マラソン!

2024年11月04日 18時47分03秒 | 日記
スポーツ好きのブログなら、本来は大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・ドジャースのワールドシリーズ制覇を書くべきでしょうが、私ごときが書くまでもなく、各メディアやネットでドジャースと大谷選手の記事が溢れていますので、今日は自分のことを書きます。
 
2年前の今頃、群馬県に単身赴任している時に、初マラソンで群馬マラソンにチャレンジしました。しかし、自分の想定とはまったく異なり、普段のジョギングでも経験したことがない両足ふくらはぎのこむら返り(いわゆる足がつること)で散々な結果でした(「初マラソン(群馬マラソン)は、大失敗!」)。
 
ということで、今回リベンジの再挑戦をしました。しかし、所詮素人のため油断していたら、開催地の前橋市、高崎市のホテルはすべて埋まっていて、慌てて少し離れた伊勢崎市のホテルをやっと予約しました。しかし、このホテルも翌日の朝食会場はランナーだらけだったことから分かるように、ギリギリ予約できたようで、下の写真の1階左側の方の朝食会場を通り抜けていったところにある、普段は使われていないような変なロケーションの部屋でした。そのせいか分かりませんが、早めに就寝したものの、夜中の2時前に目が覚めてしまい、何とか寝ようと努力しましたが、結局寝付かれず、4時半から大浴場に入り、まだ暗い5時過ぎから周辺を散歩して、6時半の朝食時間を待ちました。
 
 
 
 
ちょっとフライングかなと思いましたが、5分前に行くと既に長蛇の列となっていました(汗)。前述の通り、大会に参加すると思われるランナーもたくさんおり、私の斜め前に座っていた女性は、普段知り合いの前では絶対にしないようなすごい勢いでご飯をかきこんでいました。スタートは9時なので、そんなに慌てなくても大丈夫ではと思いながらも、少々焦ります(前回は群馬に住んでいたので、早めに移動して、駅から少し離れた駐車場に車を停めて歩いていったので、どのような状況になっているのか情報がありませんので)。
 
7時前にホテルを出て、30分弱で会場までの送迎バスが出る前橋駅南口に着きました。しかし、南口周辺の駐車場はすべて満車となっており、バス停の前には4重くらいのバス待ちの行列が出来ています。道理で、皆さんホテルで慌てて朝食を食べていた訳です。自分の甘さを認識しました。しかし、そこは車社会の地方のこと、北口に回ると駐車場が空いていたので、駐車して南口に向かいました。


 
 
最後尾に付いて15分か20分くらい待ち、ようやくバスに乗り込み、会場から少し離れたバスの降車場所から歩いて会場である敷島公園の正田醤油スタジアムに着いたのは、スタートまで1時間を切った8時過ぎです。受付で参加賞を受け取り、手荷物預かり所で荷物を預けると、スタート30分前くらいになっていたので、トイレを済ませて、待機列に向かいます。


 
 
前回は、時間に余裕があったので、スタジアムで開会式を見ましたが、今回は既に終わっています。

 
 
スタート順は、自己申告した記録順に、S・A・B・C・D・Eとなっていて、S・A・Bが第1ウェーブで先にスタートし、5分後にそれ以下がスタートします。私は当然、一番最後のEブロックですが、前回は待機場所を間違えてしまい、Eブロックの中でも最後尾に近い位置でだいぶ焦りましたが、今回はEブロックの中でも比較的前の方でした。

 
 
そして、スタート!大勢がごった返し、なかなか前に進みません。前回はここで焦って、前を抜いていって自らペースを乱しましたが、今回は前回の反省を活かして焦らずゆっくり進みます。そして、もう一点、前回の反省は水分不足で脱水気味になっていたことです。普段のジョギングでは、起きてから1時間くらいで走りに出ていくのに対し、マラソン大会では起きてから数時間経っているので、知らず知らず水分が失われているからです。なので、今回は前日ホテル入りしてからも、まめにスポドリを飲み、大会中もしっかり水分補給をしました(前回は割と走りながら飲んでいたので、こぼれている方が多かったような気がします)。

 
 
ということで、前回は20kmあたりから両足ふくらはぎがピクピクし始め、ニューイヤー駅伝のコースともなっている国道17号の25km付近で完全に両足が攣り、その後は完全に失速しましたが、今回はこの鬼門を乗り越えました。しかし、今回はその先に鬼門が待っていました。30kmを過ぎた辺りから、太腿がまったく動かなくなったのです。また、足の付け根辺りの外側(何という筋肉かは分かりません)が痛みます。ふくらはぎを気にしすぎる余り、腿の方に負担がかかっていたのかもしれません。何とか、前回のように歩かずにということを考え、足を前に運びますが、まだ12kmもあると思うと、気が遠くなります。
 


 
なので、あと12kmとは思わず、1kmずつをクリアしていこうと気持ちを切り替えます。しかし、私の周りにいる同レベルのランナーは、20km過ぎからちらほら歩く人が出始め、30km過ぎからはどんどん歩く人が増え、気持ちが切れそうになります。おまけに31km過ぎから35kmまで前橋に北上する一本道は遮るものがなく、北風が吹き付けます。更に、34km地点を35kmと勘違いしていたりして、間違いに気づいた時に一気にがくっと気持ちが折れそうになります。そして、37kmになったら残り5kmだと思い、気持ちを奮い立たせますが、この辺りを2km走る利根川沿いは川沿いなのに、微妙なアップダウンがあり、終盤でボロボロの体を更に痛めつけます。この川沿いを何とか抜けて、利根川にかかる長い橋を渡るのですが、左手に見えるゴール方面からいったん離れて右手の県庁に向かうのも気持ちが萎えます。何とか県庁前を折り返して、やっと39km地点となりますが、ここからの3kmが本当にきつかったです。
 
ゴール会場はすぐ近くと分かっているのですが、スピードが落ちた体ではなかなかたどり着きませんし、単調な川沿いの道で、ほとんで歩くようなスピードになります。結局、感覚的には、終盤は前回と同じか、それ以上にきつかった気分です。それでも、何とか気持ちを震い立たせて、ほとんど歩かず(正直に言うと、給水所では歩いたのと、41km過ぎに少しだけ歩きましたが)、何とかゴールしました。

 
 
タイムは、前回より20分以上縮めましたが、正直「リベンジ」と言えるような内容ではありませんでした。しかし、10年前ならもっと走れる気がしますが、今は、これ以上改善できるような気もしないので、フルマラソンはこれで打ち止めのような気がします。
 
4時間47分10秒でゴールし、しばらく休みましたが、そこから温泉に行ったり、食事をする気にもなれず、また行列でバスを待ち、前橋駅に戻り、帰宅しました。下は、戦利品の参加賞Tシャツ、完走賞のタオルです。



次回があるかどうか分かりませんが、次に活かせるように、前回のラップタイムとの比較を分析します。

 

           今回     前回

~5km        33:50    27:49      +6:01   前回は明らかに飛ばし過ぎ。今回は自重。

~10km        32:07         29:26      +2:41   前回はまだオーバーペース。今回はまだ前がつかえて自重。

~15km        31:09        30:27     +0:42   今回は少し良いペースに。

~20km        31:06          31:28     +0:22   ペース保つ。

~25km        30:58          35:09     -4:11    少しペースあがり、前回失速したため、大幅に前回を上回る。

~30km        33:01          43:56     -10:55   今回もややペース落ちる。直前の5kmがやや上げすぎ?

~35km        36:50          44:56     -8:06     今回はここから失速し、前回よりましだが、前のラップより縮まる。

~40km        38:34          44:45     -6:11     更に終盤失速し、前回よりましだが、また前ラップより縮まる。

~42.195km  19:05           21:13    -2:08     最後の2kmは、前回と同じくらいと思ったが、多少はまし。

ネット     4:47:10    5:09:09  -0:21:59

 

ということで、次回があるか分かりませんが、今回、素人ランナーに一番厳しい20~25kmで一番ピッチをあげてしまったのが、終盤の失速につながったような気がします。反省を次ぎに活かすのが、自分の取り柄とは思っていますが、今はまだリベンジの気分になれないので、またしばらく考えてみたいと思います。

 

前回は翌日仕事でしたが、今回は次の日も休みを入れ、相模原市の湯楽の里に「湯治」に行きました。普段は烏の行水の私ですが、この日は1時間以上滞在しました。特に、ジェットバスがちょうど痛くなっていた腿のあたりをマッサージしてくれて良かったです。

 



 

 



 

 

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6打数6安打、3本塁打、2二塁打、2盗塁、10打点で50-50達成!!!!

2024年09月20日 22時11分51秒 | プロ野球・高校野球

何度も書いてきましたが、マンガを超え過ぎです。

 

もう朝からニュースやワイドショー、SNSでもこの話題で持ちきりでしょうから、今更私ごときが何か書くまでもないのですが、自分自身の気持ちを記す日記のつもりで書いておきたいと思います。

 

今朝、出勤前のニュースを見ている時点で、大谷翔平選手は1打席目もう少しでホームランという二塁打、すかさず盗塁を決めて一足先に50盗塁を達成しました。すると続く2打席目もヒットで一三塁となった後に楽々盗塁を決めて51盗塁。3打席目は左中間を破るヒットで三塁を狙うもタッチアウトで二塁打。ここまで3打点と絶好調と思っていたら、何と出勤前に4打席目まで回ってきて、特大の49号ホームランを放ちました。

 

ここで出勤となりましたが、ここまで4打数4安打、1本塁打、2二塁打、2盗塁、5打点と、あっぱれな数字です。さすがにこれ以上は望めないと思いましたし、実を言うと、ここからの1本が大変なのではないかと密かに危ぶんでいたのです。

 

というのも、一時は自身の62本の本塁打記録を更新するのではないかと思われていた、ヤンキースのジャッジ選手ですら、16試合もホームランが出ずに足踏みしましたし、ヤクルトの村上宗隆選手も王さんに並ぶ55本を打ってから、最終戦で56本を放つまで、60打席足踏みするなど、どんな名選手でもスランプやプレッシャーと無縁ではないからです。

 

しかし、そんな心配をいとも簡単に(ではないのでしょうが、そう見えるくらい見事に)飛び越えてしまうのが、大谷翔平選手です。

 

何と、5打席目は左翼に50本目の2ランホームランを放ち、50-51を達成すると、マリーンズが勝負を諦め内野手を登板させた6打席目では、これまた特大の3ランホームランを放ち、51-51で締めくくりました。

 

何と、6打数6安打、3本塁打、2二塁打、2盗塁、10打点という、ドカベンでも出てこないような数字で、史上初の50-50を達成し、大谷翔平選手が熱望してきた初のプレーオフ進出も決めました。これで、松井秀喜選手の116打点という日本人最多打点を更新する120打点として、本塁打と打点の2冠もほぼ手中にしましたし、一時は10本以上離されていたジャッジ選手の53本にも2本差となり、両リーグトップも見えてきました。

 

これまで、DH専任選手のMVP獲得がなく、アメリカメディア、評論家の間でも、どれだけ大谷翔平選手が活躍してもMVPはない、という論調でしたが、この前人未踏の50-50(実際は51-51)をこのド派手な活躍で達成して、一気にMVP濃厚な気配です。対抗馬とされるメッツのリンドーア選手は、守りの要である遊撃手である点が高く評価されているようですが、現時点で打率.271、本塁打31、打点86、盗塁27は、やはり大谷翔平選手と比べると見劣りがします。大谷翔平選手は、2022年本塁打を34本打ち、投げては15勝、防御率2.33ながら、本塁打を62本を放ったジャッジ選手に大差で敗れました。これを考えると、今年の51本塁打51盗塁の大谷選手は、2022年のジャッジ選手も勝るとも劣らないと思いますし、今年のリンドーア選手は、2022年の大谷選手を凌ぐとは思えないからです。

 

「上には上がある」とは、最高だと思ってもさらに上があるということですが、大谷翔平選手には当てはまらないように思います(もちろん、ご本人は絶対にそう思っていないところが一番すごいところですが)。

 

1988年にホセ・カンセコが40-40クラブを創設して、過去5人の名選手がその名を連ねています。

 

1988年 ホセ・カンセコ      42本塁打 40盗塁

1996年 バリー・ボンズ      42本塁打 40盗塁

1998年 アレックス・ロドリゲス  42本塁打 46盗塁

2006年 アルフォンソ・ソリアーノ 46本塁打 41盗塁

2023年 ロナルド・アクーニャJR 41本塁打 73盗塁

 

アクーニャの73盗塁が群を抜いていますが、本塁打・盗塁の両方で見ると、42-42をクリアしたロドリゲスが最高で、大谷翔平選手は、43-43以降、誰も達成したことがない道を歩んでいるのです。

 

レギュラーシーズンでどこまで記録を伸ばすのかも楽しみですが、大谷翔平選手が熱望していた「ヒリヒリするような9月」を迎え、最高のポストシーズンを過ごしてほしいですね。

 

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パリオリンピッック!

2024年08月11日 17時57分29秒 | スポーツ

パリ五輪も閉会を迎えようとする中、毎度のことかもしれませんが、今回の大会でもいろいろな問題が起きました。(柔道、バスケ、サッカーなどでの)誤審疑惑・ルール問題、(不正はないでしょうが、疑われても仕方がないような)柔道でのデジタル抽選、女子ボクシングでの性別問題(とそれに派生したデマ、誹謗中傷問題)、前回から続く選手への誹謗中傷、などです。これらについては、既にいろいろ言われているので、ここでは触れません。

 

そんな中、日本選手は今回も大活躍でした。フェンシングが大躍進したほか、馬術や近代五種、セーリングなど普段脚光を浴びることもない種目もメダルを獲得しました。

 

一方、大本命と目された選手のまさかの敗退も多かったです。

 

その筆頭は、女子柔道の阿部詩選手でしょう(敗退後の号泣問題も賛否を呼びました)。女子レスリングの絶対王者と言われた須崎優衣選手の敗退も驚きでした(破ったインド選手の決勝前の体重超過での失格も衝撃でした)。大本命ではないかもしれませんが、水泳のエース格の本多灯、女子バトミントンの山口茜らの敗退、岡の活躍で救われましたが体操エース橋本大輝の不振、メダルが期待された男女サッカー、男女バレーの敗退などもありました。

 

私も寝不足になりながら、結構テレビ観戦しましたが、勝った試合よりも負け試合の方が多かったかもしれません。勝った試合は何度もニュースで繰り返しやるので、ものすごい勝利の数のような気になりますが、多くの負けの上にこうした勝利があるのだと改めて思います。今回のパリ大会でも、前回の東京や前々回のリオの敗戦を糧に勝利を手にした選手がいるように、次のロスを目指す選手もいるでしょうし、この後オリンピックの舞台に立つことがない選手もいるかもしれませんが、この経験は決して無駄にはならないと思います。

 

多くの感動をありがとうございました。そして、今後もがんばってください!

 

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ジャパンラグビー リーグワン プレーオフトーナメント決勝!

2024年05月26日 18時54分26秒 | スポーツ

昨年は優勝を逃しましたが、今シーズンもリーグ戦1位となった王者埼玉パナソニックワイルドナイツに対し、東芝ブレイブルーパス東京が挑む決勝が行われました。東芝ブレイブルーパスは、東芝府中時代からの強豪ですが、トップリーグ時代の2010-2011年シーズン以来、優勝から遠ざかっています。

 

東芝ブレイブルーパスには、躍進した日本ラグビーを支えてきたリーチ・マイケルがおり、一方、埼玉ワイルドナイツには同じく日本代表を支えてきて今日が最終戦となる堀江翔太がいます。しかし、気分としては、常勝軍団の埼玉ワイルドナイツよりも、東芝ブレイブルーパスに肩入れしたくなります。その他にも、両チームには、坂手淳史、ベン・ガンター、松田力也、ディラン・ライリー、山沢拓也(以上埼玉)、ワーナー・ディアンズ、ジョネ・ナイカブラ(以上東京)などの日本代表が先発メンバーに名を連ねたほか、マリカ・コロインベテ、ダミアン・デアレンデ、リッチー・モウンガなど世界的プレイヤーも先発した超豪華な試合で、観客は54,000名を超えました!

 

試合は、松田のPG2つで埼玉が6-0とリードするも、前半27分ナイカブラがタックルされながらもゴールラインにグランディングするトライ、モウンガの難しいゴールも決まり、6-7と逆転。さらに35分には、モウンガがPGを決め、6-10とリードを広げる。そして、前半終了間際に、再びナイカブラがビックゲインでゴールラインに迫ると、100m10秒台の世界的ウイングのコロインベテがナイカブラを引きずり倒し、トライならず。しかし、このプレーに対して、テレビジョン・マッチ・オフィシャル(TMO)の判断が下されました。結果、コロインベテがナイカブラのユニフォームの襟のあたりを両手でつかんで引きずり倒したプレーが危険なプレーと判定され、コロインベテはイエローカードで10分のシンビンとなりました。

 

前半はそのまま終了し、後半5分には対面のコロインベテがシンビンで退場となっていたミスマッチをナイカブラがついて2つめのトライを決め、モウンガのゴールも決まり、6-17とリードを広げました。しかし、時間はまだまだあり、リードされても横綱相撲を展開する埼玉相手に油断はできません。すると、後半23分にベン・ガンターが相手ゴールライン手前で相手ボールをジャッカルすると、自分でそのまま持ち込んでトライ、松田のゴールも決まり、13-17と追い上げ。さらに、後半28分連続プレーでつなぐ埼玉は最後にSHの小山がボールを受けてゴールラインに飛び込みトライを決め逆転、松田のゴールも決まり、20-17としました。

 

残り時間は、10分。さすが王者埼玉がこのまま突き放すのかと思われました。しかし、後半34分タッチライン沿いをゲインした選手(FBの松永選手でしたか)がタッチを割る前にボールを戻し、その後桑山に代わって入っていたWTB森がトライを決め、逆転!と思われましたが、ここでまた、TMOの判断。タッチラインを割っていなかったかと、その後のプレーでスローフォワード(ボールを前に投げること)がなかったの確認でしたが、いずれも問題なしの判定でトライが認められました。レフリーの音声とともに、堀江選手の「うそっ!」という声も入っていました。残り時間も少なくなってきた中、思わず口をついて出たのでしょうね。

 

しかし、埼玉も当然諦めません。後半から出場の堀江選手は、これまで同様インパクトプレーヤーとして、ボールをもって果敢に突っ込んでいきます。何度かの連続攻撃のあと、再び堀江選手にボールが渡りましたが、ここに東芝選手が激しくタックルに行き、倒れる寸前、堀江選手がパスを出します。しかし、ボールは前に投げられたように見え、思わず「スローフォワードだろ!」と声を出していました。しかし、プレーは続行され、コロインベテ選手に渡ったあと、今度は右サイドに展開、FB山沢から後半交代で入った快足WTB長田がクロスでスイッチし、東芝ディフェンスを切り裂き、見事なトライを決めました。やはり、東芝は勝てないのか、と思ったら、またまたTMOが入りました。私が思わず声を出した、堀江選手のパスについてでした。TMOの結果は、やはりスローフォワードの判定で、トライはキャンセルされました。

 

80分を告げるホーンがなり、東芝ボールのスクラムです。東芝がボールを出して、外に蹴り出せば、勝ちが決まります。しかし、そうは簡単に勝たせてはくれません。今日は東芝がずっとスクラムで押して、何度も埼玉の反則を誘っていましたが、ここでゲームを切らすわけにはいかない埼玉がプレッシャーをかけると、たまらずスクラムを落とした東芝がコラプシング(わざとスクラムを崩すこと)の反則を取られてしまいました。埼玉は、タッチに蹴り出し、ラインアウトから逆転トライを狙います。東芝ゴールライン手前であり、東芝大ピンチです。

 

そして、ラインアウトからのボールが乱れたラックに飛び込んだ、今日の攻撃の殊勲者ナイカブラが今度は何とジャッカルを決めて、埼玉のペナルティが取られました。これで、勝負ありでした。モウンガ選手がタッチに蹴り出し、ノーサイドとなりました。

 

本当に好ゲームでした。そして、東芝は湯原コーチが4年前に36歳の若さで急死したそうですが、選手は優勝の報告をするまでお墓参りはできないと話していたそうです。これでしっかり墓前で優勝の報告ができますね。おめでとうございました!

 

 

 

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大谷翔平を信じる!

2024年03月27日 20時06分43秒 | プロ野球・高校野球

大谷翔平選手にはこれまでも随分驚かされてきましたが、電撃的な入籍報告に始まり、煙に巻くようなインタビュー、球団SNSでの奥さんの写真公開と、見事な情報コントロールで日本中を驚かすと同時に、祝福ムードに包まれたのも束の間、ソウルでのパドレスとの開幕戦後に、水原一平氏のドジャース解雇との衝撃的なニュースが飛び込んできました。

 

解雇の原因となった水原一平氏の巨額の賭博借金問題は、さしもの大谷翔平選手にも想定外の出来事だったに違いありません。また、この問題が明るみになる前に、水原一平氏がスポーツ専門局ESPNのインタビューに対して、「自分の借金を大谷翔平選手が肩代わりしてくれた」と発言し、翌日にそれを撤回したことから、水原一平氏は大谷翔平の身代わりなのではないか等々、様々なあらぬ疑いを招き、大騒動になりました。

 

大谷選手を信じていたものの、何ら情報がないので、私自身も多くのファンと同様モヤモヤしていたのは事実ですが、昨日の早朝、大谷選手の口から完全否定の声明が出されました。話せないこともあるとの言葉もありましたし、質疑応答もありませんでしたが、事の経緯を時系列で事細かに説明しての完全否定でした。

 

私は「そうだよな。大谷選手がこの件に関与していて、いつもと同じように普通に過ごしていられるわけがないし、ましてや大谷選手が嘘をつくはずがない」と納得しましたが、この会見をもってしても、まだいろいろと批判や、意見がやみません。

 

一番代表的なものは、「なぜ、水原一平氏が大谷翔平選手の口座に勝手にアクセスできたのかアクセスできたのか、についての説明がない」というものです。それをもって、いまだに大谷翔平選手を疑う論調もあるようですが、そんなことを調べれば分かることですし、今や捜査機関に委ねている問題なので、わざわざ言うはずがないと思います。「話せないなら話せないと言えばよい」と知ったように言ったコメンテーターもいましたが、大谷選手は会見冒頭で「現在進行中の調査もあるので話せることは限りがある」とはっきり言っています。

 

ロサンゼルス・タイムズは、「オオタニは私生活について何も知られていない。オオタニがいったい誰だか分からない中で、彼が信じられる人がいるだろうか」と疑問を投げかけたそうです。これが、アメリカ国民の一般的な反応なのか、この記者の主観的な考えなのか分かりませんが、私たち日本人から見たら、まったくナンセンスです。私生活が分からないとその人の人となりが分からないなんて私は思いません。大谷翔平選手がこれまでに示してきたパフォーマンスは、彼が野球に全精力を傾けていなければ出来ないものであり、私生活なんて分からなくても、十分に彼を信じるに足ります。逆に、私生活を切り売りするような芸能人の方も多くいますが、そうした方々よりも、何も言わなくても、野球の結果を出し続ける大谷翔平選手の行動の方がはるかに説得力があります(王選手や、イチロー選手、松井選手なども同じですね)。

 

最後に、したり顔で「通訳一人に頼りすぎ」とか、「(金銭管理などで)大人になれ」などという声もありますが、これについてもまったくナンセンスだと思います。弁護士や税理士に任せたとしても、悪さをされるときは悪さをされます。過去に、信頼した人に裏切られた例は枚挙に暇ががありません。また、金銭管理だけが大人ではありません。大谷翔平選手ほど野球のために自分を律して行動できる人はいません。これこそが大人であり、金銭管理で大人にならなければいけないのは、いきなり大金を手にして、遊興や贅沢品に浪費し、引退する時には無一文になってしまうような選手です。大谷選手は誰よりも稼ぎながらも、誰よりも金銭に関心がないことをもって、「大人ではない」というのはまったく的外れです。「7億円も盗まれて気づかないことがあるだろうか」などの意見もありますが、(大谷翔平選手の言っていることが正しい前提で言うと)そもそも大谷選手は被害者であり、余計なお世話な意見です。

 

あまりにも衝撃なニュースであるため、しばらくこうした外野の無責任な意見は続くでしょうが、大谷選手自身はこれまで自分がコントロールできることだけに集中してきたように、自分のパフォーマンスに集中していくでしょう。しかし、心配なのは、裏切られた水原一平氏については、大谷選手自身が信頼していたという自分自身の「判断」だったということです。この自分自身がコントロールできる「判断」が間違っていたことに大きなショックを受けていたことが、会見からも伝わってきました。これについても、とやかく言う人が大勢いるでしょうが、これも私は仕方がないことだと思います。水原一平氏は、賭博をしてお金を使いこんだこと以外は、本当に大谷選手のことを思い、自らの職務を誠実に務めていたのだと思いますし、大谷選手もそれを疑うことは難しかったのだと思います。そういう意味では、水原一平氏は自ら告白したようにギャンブル依存症という病気だったのだと思います。残念なのは、こうした事態になる前に、大谷選手に相談出来なかったことでしょう。大谷選手自身も自らがコントロール出来ることとして、そんなことを思っているかもしれません。そんなことなどで、いろいろとこれからも思い惑うことで、パフォーマンスが低下することがないことを祈るばかりです。

 

そんな中で唯一の救いは、こうした事態になる直前に伴侶を得たことですね。これまでは水原一平氏と二人三脚だったかもしれませんが、これからは奥様と二人三脚でこの状況を乗り越えて欲しいと思います。

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大阪、東京、名古屋!

2024年03月10日 20時46分00秒 | Jog&Walk,Health

3週続けて五輪をかけたマラソン大会があって、自分のジョギングがちょっとおろそかになります。

 

2月25日の大阪マラソンは、林田・小林の両日本人ペースメーカーが律義にペースを刻みましたが、詰めたい雨が降るあいにくのコンディションの中、パリ五輪の3枠目に入るための2時艱5分50秒を目指す千種たちは遅れをとり、初マラソンで対象とはならない國學院大3年の平林清登選手が、学生最高かつ初マラソン日本記録を上回る2時間6分18秒で優勝し、既に五輪出場を決めている小山直城選手が2時間6分33秒の自己ベスト更新で3位に入りました。将来の逸材の誕生と五輪出場選手のよい調整の機会となりましたが、3枠目を目指す選手たちにとっては、あいにくのコンディションでした。

 

3月3日の東京マラソンは、既にいろいろ話題になったように、ペースメーカーが酷すぎました。もちろん、ペースメーカーを置き去りにして、日本記録を更新した前田穗南選手のようにペースメーカーはあくまで目安とすべきということなのでしょうが、それにしても東京のペースメーカーは素人目に酷過ぎました。結果、五輪連覇中の王者キプチャゲですら10位に沈む高速レースの中、途中転倒しながらも粘りの走りを見せた西山雄介選手が日本人トップの2時間6分31秒の自己ベストをたたきだしましたが、41秒及ばず文字通り涙をのみました。男子マラソンで涙を見るのは珍しく、見ているこちらもうるっときました。

 

そして、今日3月10日は、名古屋ウィメンズマラソンで女子の五輪ファイナルチャレンジでした。2大会連続の五輪出場を目指す鈴木亜由子選手、7年前の名古屋での初マラソン自己ベスト更新を目指す安藤友香選手、MGC4位の加世田梨花選手が注目選手でしたが、今日も途中ペースメーカーが次々脱落し、向かい風も強く徐々に目指すべき設定タイムの日本記録ペースから徐々に遅れましたが、3選手とも魂の走りを見せました。鈴木亜由子選手が最初に遅れましたが、地元の声援を背に文字通り歯を食いしばって前を追い、最終的にはトップに肉薄する自己ベストでの3位となりました。日本人トップに立ったものの、外国人選手2人に遅れをとっていた安藤選手は、前の一人が途中棄権した後、トップの選手を追いかけ、ゴール直前でトップに踊りでると、7年前の自己ベストを更新する2時間21分19秒で初優勝しました。目指していた五輪出場はかないませんでしたが、安藤選手自身7年前の初マラソンの自己ベストを更新できていないことがトラウマのようになっていたため、ゴール後は悔しさよりも喜びが勝っているように見えました。7年前の名古屋は私も見ていましたので、感慨深かったです。

 

ということで、結果として、この3大会で五輪出場を決めた選手は出ませんでしたが、競争により確実に日本の力は底上げが図られているように思いました。世界のトップとはまだ大きな差はあると思いますが、頑張ってほしいです。

 

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走り納め! 休み納め!

2023年12月29日 14時46分00秒 | Jog&Walk,Health

大抵の人は、昨日が仕事納めで今日から年末年始の休みでしょうが、大晦日まで仕事がある私は、今日が年内の休み納めということで、走り納めに行ってきました。

 
今年の猛暑、暖冬のせいで、アーバンベアと言われる熊騒動が起きたものですから、最近はあまり山の方には走りにいけず、北野街道や、湯殿川、浅川などを走ることが多くなっています(ちなみに、市役所向かいの公園の熊の目撃談は、専門家によるとイノシシのようですね)。
 
ということで、今日は横山橋からずっと浅川沿いを行きました。東横山橋、水無瀬橋、鶴巻橋、萩原橋、浅川橋、暁橋、浅川大橋、大和田橋、新浅川橋、長沼橋と10km近く走り、滝合橋から下を見ると、白鷺の大群がいました。普段は、一羽、二羽くらいしか見かけないので、ビックリしました。
 
 
次の平山橋からは富士山が見えます。

 
 
更に一番橋を超えて、高幡橋の手前からも富士山が綺麗です!

 
 
高幡橋を過ぎた辺りから見た高幡不動です。

 
 
歩行者しか通れない万願寺歩道橋からの富士山です。

 
 
万願寺歩道橋から20号バイパスに出て、八王子方面に戻りますが、ここには日野台地が立ちはだかります。角上魚類の先のその名も「坂下」の信号から心臓破りの坂になりますが、途中少しだけ富士山が見えます。



 
大和田橋で8の字を描き、甲州街道を戻ってきました。走り納めは、今年2番目の距離となる、26.2kmでした!

そして、年間累計は

2023年 1,669km 6.16/km

 今年は、1月に事情があってあまり走れず、2月から3月にかけて引っ越しなどもあり、序盤距離を稼げませんでした

 が、後半だいぶ走り込み、ほぼ昨年並みとなりました。ただ、10km四方はほぼ平坦だった高崎と違い、アップダウン

 のある八王子では、タイムが落ちました。

 
 
2008年の12月頃からジョギングを始めたと思いますが、その後の年度ごとの記録を再掲します。

2009年 1,409.4km 5.42/km

 4ヶ月分欠けているので、実質2,000kmを超えていると思います。

2010年 2,178.2km  5.55/km

 3年目にしてピークですね。

2011年 2,053.2km   5.47/km

 2月には八王子夢駅伝に出場しました。翌月にはあの東日本大震災が起きました。その時に

 もかなり走っていました。今考えると、それが良くなかったのかもしれません…。

2012年   1,614.2km   5.56/km

 右足甲に脂肪瘤が出来るなど、やや停滞。走り過ぎた結果か?

2013年   1,823.4km   6.10/km

 踵の痛みで、年末にジョギング休止。

2014年  1,049.8km    6.25/km

  前年末の休止から2ヶ月休むも、復帰後も調子上がらず。

2015年    811.1km   6.07/km

 復帰後も調子上がらず、夏には肉離れ的な症状で、また長期離脱。

2016年   186.9km   6.25/km

 1月にある程度戻したものの、3月に事業所の管理職に異動となり、ジョギング完全休止。

2017年  353.8km   6.28/km

 就労環境がやや改善し、5月くらいから少しずつ再開するも、1年以上間が空くと、なかなか

 ペース戻らず。

2018年  676.6km  6.17km

 休みの日しか走らないので、なかなか距離は伸びず。

2019年  1,185km    6.11/km

 本社に戻り、休みが定期的に戻ったので、規則正しく走るように。

2020年 1,442km 6:10/km

 本社勤務2年目で規則正しい生活でだいぶ距離が伸びました。 

2021年 1,174km 6:08/km

 2月に転倒して脱臼したり、群馬に単身赴任後、夏休み中に入院・手術などがあり、やや伸び悩み。

2022年 1,680km 6:10/km

 休みだけのジョギングであるものの、毎回20kmくらい走りだいぶ距離伸び、14年間で5番目の距離です。

 初めてマラソン大会にも参加しました(惨敗でしたが…)。

 

 

 

 
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学生時代の懐かしの地!

2023年11月08日 17時48分00秒 | 管理人のこと、雑感

今日は時間調整の早帰りでした。いつもは真っ直ぐ帰るのですが、早く帰っても、早めに飲み出すだけなので、昔懐かしい場所を訪ねてみようと思いました。

 

引っ越しについて以前書いたことがありますが(「23年ぶりの引っ越し!」)、大学時代の4年間でも2度引っ越した東横線の祐天寺界隈を歩いてみました。

 
 
家賃2万6千円!


大学に入学して初めて住んだアパートです(たぶん)。祐天寺と中目黒の中間くらいの駒沢通り沿いにあり、当時も築50年くらいの感じでしたが、現存していてびっくりです。
 
正直、ここに住むのは全く気が進みませんでしたが、入学手続きで父と一緒に上京して、最初の不動産屋の最初の物件で、父が「ここにしろ」とばかりに問答無用で決められたところです。
 
靴は共同の玄関で脱ぎ、小さい流しとガスコンロが一つあるだけの6畳一間で、トイレ・洗濯機・電話は共同で家賃は当時2万6千円で、1階に住む大家さんに払いにいく仕組みでした。
 
そんな感じなので、ここには1年間住みましたが、友達も来たことなかったと思います。なので、大して思い出もありません。
 
 
当時は新築!
 
 


2年生になる時、姉が就職で学生寮から出るというので、女子の一人暮らしを心配した母から一緒に住んでくれと言われて、引っ越したのがここです。
 
東横線を挟んで歩いて10分くらいのところだったので、不動産屋でリヤカーを借りて、友達に手伝ってもらって引っ越しました。川が暗渠になっている蛇崩川緑道の近くでした。
 
今はだいぶ古びていますが、当時は新築でした。上の大黒湯という銭湯がアパートへの目印になっていましたが、このアパートには風呂もあったので、ここに住んでいた時は銭湯は行っていません。
 
この銭湯のそばにサークルの同期が住んでいて、渋谷でサークルの飲み会があると、ここに流れて、終電過ぎになると、こことウチに何人か泊まるなんてこともありましたが、姉と同居していたので、基本的にはあまり大勢が頻繁に来ることはありませんでした。2年生になって近所に越してきた仲の良い友達と、お互いのアパートにウイスキー持参で毎日のように蛇崩緑道を行き来していたのが懐かしい思い出です。
 
 
Googlemapにはあったのに…


そして、4年生になる時に姉が婚約して、結婚準備で一時実家に戻ることになったので、また一人暮らしのため、引っ越しました。祐天寺よりはやや学芸大学駅に近い、五本木というところです。
 
この時、義理の兄になる人が、軽トラを借りて引っ越しの手伝いをしてくれました。
 
ここもそれなりに年季は入っていましたが、6畳の部屋に1畳くらいの板間かあり、キッキンも2畳くらいはあり、当然トイレもあり、最初の部屋よりもだいぶ快適でした。
 
そして、一人暮らしになったため、訪ねてくる人も格段に増えて、たった一年間ですが、この部屋での生活が一番密度が濃かったように思います。
 
大学のゼミ仲間がよく集まって鍋パーティーをしたりしました。また、留学のためにアパートを引き払った友達が、出発まで2週間ほど居候をして、同居したのも懐かしい思い出です。
 
Googleマップでみたら現存していたのに、今日訪ねたら残念ながら更地になっていました。
 
 
洋食富久美!

住んでいたところはさすがに覚えていますが、その途中の景色は変わってしまっていることもあるでしょうが、驚くほど覚えていませんでした。あとは、覚えているのは自分が通ったお店ですね。貧乏学生ですから、普段は自炊をしていましてが、何軒かは行きつけのお店もありました。
 
もっとも通ったのが、「富久美」です。最初に行った時は、年輩のご夫婦で切り盛りしていて、正直美味しくなかったのですが(笑)、暫くしてから30代から40歳くらいの若いコックさんが入り、滅茶苦茶味が良くなり、卒業まで一番のお気に入りの店になりました。
 
蛇崩川緑道を行き来した友達や、留学前に居候した友達とも、よく行ったので、今でも飲んだ時に話に出てくる店です。今はテイクアウトの弁当だけの営業のようで、たまたま通りかかった時に出てきた方は、私が通った時のコックさんではありませんでした(当然のことながら、当時分かったコックさんも存命なら、お爺さんですからね)。
 
 
 
ナイアガラ!

鉄道好きには有名な、カレーのナイアガラです。当時は、駅前にありましたが、再開発で少し離れたところに移転して営業していました。鉄道グッズが店内外にたくさんあるほか、当時はカレーも列車にひかれて運ばれていました。
 
 
竹の子!

祐天寺の駅前にある小料理屋のようなお店です。焼き魚など、家庭的な和食を食べたい時にお世話になりました。ここは今も営業を続けているようです。
 
 
とんかつ さんき!

祐天寺駅前の商店街を駒沢通りに向かったところにあったとんかつ屋さんです。今ふと思い出した(ような気がするのです)が、入学手続きで上京した時に父とここで昼飯を食べたのがきっかけだったかもしれません。アパートを探した不動産屋もこの商店街にあったからです。
 
赤だしのなめこの味噌汁だったのを覚えていますが、当時でも結構年輩のご夫婦で切り盛りしていましたが、後継ぎがいたのか、結構最近まで営業していて、最近遂に閉店したようです。富久美と同じく、35歳の息子さんが継いだとしても、今は75歳前後ですから、仕方ないですね。
 
そんなに前の感じはしていないのですが、考えたら大学に入ったのも約40年も前で、学生時代も遠くなりにけり、です。遊ぶ街だった渋谷も、東横線は地下に入るし、駅内外ももう訳が分からない変化ですからね。
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野猿街道!

2023年11月04日 16時54分38秒 | Jog&Walk,Health

先月から少し走り過ぎなのと、昨日も山道を避けて平らなところを走りますなんて言っておきながら、早速今日もハードはジョギングをしてしまいました。

 

それでも、最近は浅川沿いや湯殿川沿いなど、川に沿って平坦な道を走ることが多かったのですが、どうしても同じコースを走ると飽きてしまうのが私の性分です(いつも皇居の周りのような同じコースを走る人の気持ちが分かりません)。

 

ということで、今日も無理せず湯殿川沿いを走っていたのですが、北野まで行って、いつものように北野街道に行くのではなく、野猿街道の方に向かいました(野猿街道で本当にすごい名前ですよね。昔とんねるずのラジオで少しディスられたようです)。野猿街道と言うくらいですから、昔はいろいろ獣もいたのでしょうが、今は絹ヶ丘など住宅街が開発されているので、流石に熊は出ないだろうと思ったからです。

 

それに、昔バリバリ走っていた頃に、鑓水の方から野猿街道を走ってきたこともありますが、最近はまったく走っていませんし、八王子の10km四方の主だった道はほとんど走っていると豪語していながら、南陽台だけは行ったことがなかったので、今日は南陽台を走ろうと思ったのです。

 

北野から野猿峠のバス停までだらだら上っていくのもきついのですが、南陽台は、一度野猿峠から下ってからまた上りになるので、きつかったです。それでも何とか南陽台を上り切り、ほとんど森林の長沼公園に沿って、北野街道方面に降りていくと、八王子の街並みが遥か下に見渡せるものすごい景色です。八王子からあきる野に抜ける際も結構街を見下ろしますが、それ以上の感じです。どれだけ標高が高いのかと思い、帰宅後調べてみたら、176mくらいで、私の自宅付近と20mくらいしか違いませんでした(笑)。散田の中でもこの辺は高台になっていることに加え、八王子の地形が川に沿って東に行くにつれ、低くなっているため、高低差が余計に感じられるのでしょうね。

 

北野街道に出てから、平山橋を渡り、豊田駅まで行って戻り、今日も結局22.6kmも走ってしまいました。それでも、昔は、6分/kmくらいが一番楽なペースだったのが、最近は6:25/kmくらいな感じです。これが寄る年波でしょうか。

 

でも、熊とケガに気を付けながら、まだまだ頑張ります。

 

あと、最近プロ野球はあまり見ていないのですが、今回の日本シリーズの関西対決はなかなかいい勝負をしているようなので、これから観戦したいと思います。

 

あと、大活躍のあと、右ひじのケガで離脱した大谷翔平選手のFA争奪戦も始まりそうなので、シーズンが終わっても、まだ目が離せませんね!

 

 

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群馬マラソンから1年!

2023年11月03日 21時49分01秒 | Jog&Walk,Health

昨年の今日、人生初マラソンとなる群馬マラソンに出場しました(「初マラソン(群馬マラソン)は大失敗!」)。結果は大失敗でした。リベンジしたい気持ち半分、もうこりごりの気持ち半分で、迷っているうちに今年の申し込み期限が過ぎてしまい、今年は参加しませんでした。

 

その代わり、先月の終わり頃、31.1kmジョギングしました。30km以上走るのは、昨年のマラソン以来でしたが、大変だったものの脚がつることもなく走れました。

 

以前は、30kmくらいは苦も無く走れたので、結構山奥まで走りに行っていました。陣馬街道を和田峠まで行って陣馬山頂まで行ったり、旧甲州街道の小仏峠まで行ったりしました。どちらも最後の方は完全な山道で、獣でも出そうで怖くなったことを覚えています。

 

今年はあちこちに熊が出没し、痛ましい事故も起きていますが、過去最多の目撃例となっているようです。心配になって、調べてみると、八王子の山間部でも結構熊の目撃例があるようです。つい最近でも、それほど山間部ではない梅坪町(創価大学の方)で熊らしいものが目撃されたそうです。

 

最近はさすがに、陣馬山や小仏峠まではいけませんが、そんな山間部でなくても、ちょっと山道っぽいところも避けるようにして、しばらくは平野部で走ろうと思います。

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10年ぶりの200km!

2023年10月25日 13時01分00秒 | Jog&Walk,Health

ジョギング!

 

今月はの連休の予定が入っていたのですが、事情があって予定がなくなったため、ひたすら走りまくりました。

 

初日  20.6km

2日目 10.5km

3日目 12.8km

4日目 16.8km

5日目 9.7km

6日目 19.4km

7日目 15.6km

8日目 18.8km

 

と、124.2km走り、連休の残り2日も走って終了しようと思いましたが、走り過ぎで疲れが溜まっていたのか、ちょっと変な姿勢をとった時に、腰にピキッときました。まったく動けなくなる完全なギックリ腰ではありませんが、ギックリ腰気味になり、さすがに残り2日はジョギングを断念しました。

 

それも3、4日で回復し、今日も19.1km走り、今月累計で214.6kmとなりました。

 

元々ジョギングを始めた頃は、月の目標を200kmとしていて、ちょこちょこ達成していましたが、足を痛めたり、2016年頃は仕事が忙しくなったりということもあり、だいぶ走行距離が減ってしまいました。

 
調べてみると、正味で200kmジョギングしたのは、10年前の2013年11月の201.2kmでした。実に10年ぶりの目標達成でした。次がいつになるか分かりませんが、走れるうちは走りたいと思います。
 
 
温泉!
 
走りすぎもよくないので、疲れをとるために、近場の温泉にも結構いきました。
 
 
昭島温泉 湯楽の里
 
 
相模温泉 湯楽の里
 
 
藤野やまなみ温泉
 
 
秋川温泉 瀬音の湯


どちらかと言えば、カラスの行水で長湯が苦手な私ですが、内湯、露天、サウナ、他にも種類があるところはすべて試して、40分~1時間ほど滞在して、疲れを癒しました。ただ、サウナは5分が限界で、それ位ではとても水風呂は冷たくてダメでした。世の中ではサウナがブームですが、私はちょっと無理みたいです。
 
 
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二代目!

2023年09月09日 13時59分54秒 | Jog&Walk,Health
二代目と言っても、今いろいろと世間を騒がせている車やハチミツやアイドルの会社のことではなく、ランニングウォッチのことです。2008年12月にジョギングを始め、2009年5月にジョギング用の時計を買いました(「ランニングウォッチ!」)。
 
14年以上頑張ってくれましたが、遂に寿命が来てしまいました。スイッチの具合も良くなかったのですが、液晶がつかなくなってしまい、いよいよ時計の用を足さなくなってしまったため、買い替えることにしました。
 
初代はセイコーのスーパーランナーズでしたが、二代目も同じくセイコーのスーパーランナーズです。セイコーとして、この14年間でどれくらい代替わりしたのか分かりませんが、ボタンの位置関係や機能は基本的に同じようですから、あまり違和感なく使えそうです。
 


 
今年の夏はまだ続きそうですが、新しい時計と頑張っていきます!
 
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