今日の花は「桜」です。
近所の集落の山に咲く桜が素晴らしいので紹介します。
爺はソメイヨシノや八重桜、しだれ桜よりも山桜が好きです。
同じような花が沖縄をのぞく全国に植樹されているのはおかしいです。
桜の並木などは、皆さん喜んでいるが、爺には作為的で美しいとは思えない。
大阪の造幣局の桜の通り抜けは有名ですが大阪に住んでいたころも一度も行っていません。
行く気にならないのです。
里山や幽谷に葉とともに咲く楚々とした花が好きです。
だれも愛でることがない山桜には、感動します。
今日はお産の記録をご紹介させていただきます。
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子宝ママさんのお友達のご出産のお話、とてもすてきなお話だと思いながら読ませていただきました。
私の話など、ちょっと間の抜けたもので、お恥ずかしいのですが
それもまた、私にちょうどいい出産だったのだと思います。
(その割には、かなり長くなってしまいました。すみません。)
いろいろ考えて・・・・とても大切なことがあったので
妊娠する前からお話させていただこうかと思います。
結婚したときに、「子どもはいらない。」と周囲に宣言していました。
子どもの存在をうっとうしいと思うタイプだった私は、間違ってもいらないと思っていました。
また出産も恐ろしかった。
そんな自分が大きく変わるには、約10年かかりました。
少しずつ外堀を埋めるように、いろんなことがありました。
きっと何かの、力が働いていたのでしょう。
振り返ってみると、考え方を変える一番大切な出来事がありました。
元気だった義理の母方の祖父は、縁は遠いいのですが良くしてくださるので、甘えて折々にお顔を見に伺っていました。
その義祖父がアルツハイマーになり、ぼんやり座っているだけになりました。
あれほど元気だった方が、みんなに囲まれて、ぼんやり座っている姿は、寂しいものがありました。
あるとき、6ヶ月位の赤ちゃんを連れたママが、義祖父に挨拶に来ていました。
いつものようにぼんやり座っている義祖父に、お世話をしている叔母が
「おじいさん!この間 産まれたんだよー!」と耳元で大きな声をかけました。
すると、眠るか座るか食べるかだけだった義祖父が、スッ と、手を伸ばし、
抱こうとする素振りを見せたのです。
驚きました。すごく、神々しかった。
その姿に、理屈ではない「命のリレー」をみたような気がしました。
結局、義祖父のその手に赤ちゃんが渡ることはなく、もどかしい思いをしたのですが、
あの命のリレーを女性は身体に宿せる、と思ったら自分の身体を尊く思えるようになりました。
自分にもし、生命が宿せ産み出す力が備わっているとしたら、それを、自分のエゴで無にするようなことは愚かだと思ったのです。
頭で考えることより、もっともっと崇高な営みがあるのだと。
その後、しばらくして、一人を流産し、少しして、新たな命を宿すことができました。
何人分もの命をこの身体に宿し、預からせてもらった思いでした。
近所の病院に行くのが当たり前と思っていたので、何も考えずに通院を始めたのですが、
検診のたび、数値の確認だけ。
今どうやって見えない「我が子」と向き合っていけばいいのか、全く指導がなく、疑問に思いました。
妊娠期間というものを、病院はどう捉えているのだろう?とズレを感じ始めました。
その病院で出産した方々と話す機会がありました。
伺っていると、やたらと、むずかしい薬や知らない処置があるので、
調べていくうちに、出産に果たして自分は耐えられるだろうかという不安も、もたげました。
その頃、偶然にもテレビで「助産師」という仕事を紹介していました。
古い時代のドラマにでてくる割烹着のおばちゃんくらいの印象(すみません!!)だったので、衝撃でした。
出産方法は選ばなくてはいけないと思いました。
これも偶然に、その助産院が行けなくもないところにあり、相談に伺うことにしました。
40歳初産の高齢出産のリスクがあり、受け入れるのは難しいと断られました。
ですが、自分の出産に対する思いのたけをぶつけさせていただいたら、
妊娠期間中は自宅で助産院の助産師さんのケアや検診を受けながら、
出産場所は、外部助産師の入室を認めている病院(フリースタイル出産・カンガルーケア・母子同室・完全母乳)の施設を借りて出産するというオープンシステムなるものを紹介してくださいました。(これ、病院ではあまり公にしていませんでしたが・・・ここで紹介してもいいのでしょうか?)
助産師さんと出会えたことで、ようやく、お腹の子と過ごす妊娠期間の取り組みが、はじまりました。やっと、母親になる準備が始まったような気持ちでした。
出産は雪が降り出す寒い日でした。
私は病院がかなり遠いのを心配していました。
しかし、お腹の子が、病院に早めに行けるようにしてくれたのでしょう。
うっかり勘違いする規則正しい収縮が早朝に起こり、渋滞にまきこまれることもなく
病院に行くことができました。
本当なら帰されるところですが、医師がかすかな破水に気付いてくださり、
朝から、分娩を待つ部屋に居座ることができました。
脱線しますが・・・・、
この日は、月も大潮の前日。
寒さも相まって、たくさんの出産がある日でした。
何人を見送ったことでしょう。なんだか長老の気分でした。
そのなかに気になる妊婦さんがいました。
入ってきたその姿は、膝上スカートにタイツ、ヒールは低めですがパンプス。若い妊婦さんでした。
破水もおしるしもないのに、入ってきてからずーっと酷い痛みを訴えていました。
痛みの「間隔」というのも全くなく、痛がり続けました。
こんなケースもあるのかと怖くなりました。
助産師さんがやってきて、彼女を電気毛布で包みました。
しばらくして、痛みは間隔をあけるようになり、彼女も冷静さを取り戻し、
分娩室は、正しい空気に戻りました。
私の出産は明日だというので、誰にも相手にされず、病院の階段を上り下りしていました。
壁にすがるほど痛みがあっても、がんばりすぎたか、
「そんな歩けるんだからまだまだよー」と言われ、
陣痛とはこんなものではないらしい・・・と誰もわかってくれないーと、しぶしぶ、一日中再び歩き回っていました。
寝る頃になって、寒気がするので、毛布が欲しいとお願いしたときに、破水。
進行が早く、すでに8センチ。
念願の分娩室に移動しました!
本来取上げをお願いする助産院の助産師さんも、立ち会うはずだった主人も間に合わない、医師の到着も間に合わず、という、スピード出産となりました。
誰もいないこの心細い状態を、パッと見て8人くらいの助産師さんがすばらしいチームワークで動いてくださるのがわかりました。
陣痛は、ものすごいエネルギーでした。
赤ちゃんってエネルギーの塊!!!すごいものだと思いました。
こんなエネルギーで子どもは産まれて来るのだ、応援しようと自然に思えました。
「痛い!」と言うよりも「がんばって!がんばって!大丈夫だよ!もう少しだよ!」とお腹に語りかけ続けました。
妊娠中の検診で、助産院の助産師さんに陣痛のことを伺ったら、、
「痛みを感じると身体は縮まろうとするけれど、この痛みは広げようとする痛みだから、縮めたら尚更痛くなるよ。
赤ちゃんが出たいんだから、痛くなったら一緒に広がっていくように緩めてあげるといいよ。」といわれたのを思い出しました。
痛みは、がんばる子どもへの「応援」に変わり、痛みを受け入れられ楽になりました。
私の応援の仕方は正しいのか、つかの間の休息に助産師さんに確認しましたが、
「全てそのままでいい。何も考えず、今のまま」という言葉がものすごい励ましになりました。
私が、産むなんて、これは現実?なんて思うと、
間違いなく現実を生きている!!と心身ともに確信させられ、
今までの人生にない、すごい生きている感というか、充実感というか、そういうものを感じていました。
「もう、いるわよ!」、と、言われたとき、ほんの少しの力で流れるようにご対面。
この子がいたの?どこからきたの?
産まれでた子は、「あれ、出ちゃった?」って思っているように見えました。
ほうけた、この子に「私の子?」と、つぶやいていました。
友達の子でも、親戚の子でも、どこの子でもない、どこにも存在していないたった一人のこの子が、私だけの子。そんな思いで、つい出たのです。
手首や足首につける名前のリングは、エンゲージリングのようにうれしく、いまでも私と我が子のと並べて飾ってあります。(お父さんのは、残念ながらないんですよね。母の特権です♪)
陣痛待ちの間、病院の方々が、痛みを訴える私に、「そんなの陣痛じゃないわよ」と笑うのを真に受けたおかげで、陣痛開始時間がわかりません。
でもよかったのだと思います。
痛みに弱いといわれ続けたそのおかげで、魔法にかかり、痛みは誕生のエネルギーに変えられました。
それも助産師さんたちの凄腕なのかもしれません。
1ヶ月後、病院に伺ったとき、取上げてくださった助産師さんにご挨拶に行きました。
あと数日で退職されるとのこと。
「出産時間が早かったのも、日頃身体をしっかり守っていたからだと思うわよ。あなたに何もすることはなかった。何も言わなくても、お腹のこどもに気持ちを向けていたから。
印象に残る出産だった。」と仰ってくださいました。
出産は、子どもとの二人三脚ように思えます。
私の様なタイプは、主人や身内、長くお世話になった助産院の助産師さんにさえ、余計な意識が働いて甘えていたかもしれません。
私にぴったりの場面を神様が作ってくださり、みんなが来る前に、産まれてくれた。
そう思っています。
自分が我が子と向き合い続けられて幸せでした。
世の中ですばらしいお仕事がたくさんありますが、その1つが助産師さんだと思います。
取上げてくださった助産師さんも、退職されても、またいつか、どこかで始めるとのことでした。
うれしく思いました。
すばらしい助産師さんたちに出会えたことが、幸せなことでしたから。
我が子にお誕生日が2回来ました。
私は「お誕生日、ありがとう」と言います。
この子が産まれたのは、お母さんが頑張ったからじゃないように思います。
あなたが頑張った。
お母さんは幸せな経験をさせてもらいました。
これからも、「ありがとう」です。
新井様から、出産の振り返りをさせていただく機会をいただき、感謝しています。
何度も何度も涙を拭きながら、書かせていただきました。
この子の笑顔が、宝物です。あらためてそう思います。
失敗することもあるし、がっかりさせていることもいっぱいあると思いますが、
私はあなたが大好きなのだという気持ちだけは、持ち続けて、生きたいと思います。
ありがとうございました。
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素晴らしいお産体験ありがとうございました。
心から感謝いたします。
お腹の子に気持ちを向けることはお産を素晴らしいものにしてくれます。
お産は「我が子との共同作業」です。
これからお産を迎える皆さん。
お産を我が子と共同してください。
あなただけがするのではありません。