畑の隅にシソの花と大葉の花が咲いていました。
小さな花ですが美しい花です。
シソの紫の花です。
葉と共に美しい紫です
遠くから見ると点にしか見えない花も接写してみるととても美しい花です。
一輪一輪が輝いています。
大葉の花は白く、清楚に見えます。
さて今日は長文ですがお読みください。
先日、宿泊された親子から感想文が寄せられましたので掲載させていただきます。
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私は自分が子どもを育てる資格がないと思っていましたので
「皆師匠」という思いで、良いと思える子育ての心構えがあると、あちこち集めては、それを心がけてやっていこうと思っていました。
そして
「母乳で育てる」
「母乳を欲しがるときはあげられるだけあげる」
「抱っこする」
「子どもに教わる」
「子どもの視線に立つ」
「そうだね、と共感する」
「愛していることを伝える」
「否定しない」
「興味のあることは取上げずやらさせる、付き合う」
「いつかできるとあせらず信じて待つ」
「3歳までは怒らない」
「言って聞かせる」
「叩かない」
「笑顔でいること」(これが一番難しかった・・・)
しかし、自分が親にされたことはしたくないし、子どもの心を傷つけないように向き合っていこう。2歳の「イヤイヤ期」は大変だと聞くし、こんなもんだろう。イライラするのも自分が悪いのだ。そう思っていました。それでも、朝起きるたびに、さて、今日はどんなことが起こるか、それをどうかわしていこうか、セルフコントロールできるか・・などと思うとズンっと気持ちが重くなるのでした。
不安定に押さえ込んでいた感情はとうとう爆発してしまいました。
夏休みの挨拶回りや帰省が終わったころから、息子の寝る時間が遅くなって、どうにも修正ができなくなっていました。
先日、とうとう寝ないわが子に向き合えなくなり、泣いてもわめいても側に行くことができませんでした。主人が深夜まで不在の日でした。フォローする術がありませんでした。
寂しい思いをさせたと、わが子に申し訳なくて、自分を責めました。
翌週は主人の出張があり、こんなことがあった後では、不在の数日間が不安で仕方なくなりました。
眠れず、朝方、ひげ爺様のブログを拝見し、相談したくなりました。
「篠山に来たらいい。」そう言っていただきました。
考えもしなかった遠方への旅行です。悩みましたが、唯一の救いの手でした。
田舎でのんびりしたら私もリセットできるかな。。。という思いもありました。
ひげ爺様に初めてお逢いしましたが、いつもの語り口に、景色ののどかさも加わって、無事に着いた喜びが湧いていました。
しばらくのんびり過ごさせていただきました。その間、ひげ爺様はよく観察されていたのですね。(気付きませんでした・・・)。「こりゃ、大変だ」と言われました。思わず聞き返してしまいました。
これが当たり前、こんなもんだろうと思っていた息子を「この子はわがままだ。」と。
1日目の夜は、寒いほど涼しくて、うっかりぐっすり寝てしまったのですが、
2日目の夜、勉強会「親塾」。はじまりました。
「食事は『しつけ』の場。最も大事なところ」
「もう手づかみ期なんて終わっているはずだろう」
・・・あらら、見せていればいつかできるときがくるんだろうと のんきに思っておりました。
私のことは「子どもの手の中にすっぽり入り込んでしまっている」
「なんでも手を出しすぎる」
「子どもに、全部説明して、誘導尋問して反省させている。自分で考えさせてない。」
そして
「オッパイを欲しがるのも、寂しいからではなくて、思いどおりにいかないことの逃避のために欲しがっているだけ。単なるわがまま、甘えで、そんなときはあげる必要ない。」
・・・まさかひげ爺様からそんな言葉を聞くとは思ってもいませんでした。
寝ないのも「3時から5時にがっちり遊ばせれば寝ます。それだけのこと。」といわれ、ずっこけました。この時間は、ずれこんだ昼寝や寝起きのぼやぼやした時間でしたから。
息子が朝に眠たがるのも、「自然なこと」とのこと。
午前中は公園などで近所の子と遊ばせたいのに、遊ばせられなくてズレているなーと悩んでいたのです。これも大人の都合なのですが。
「周りの様子に惑わされるな、振り回されるな。周りが違っているんだ。」「今は友達を作るより、生活を作ること」そうも仰いました。
おやつのことも周りが気になってしまっていました。焼き海苔やおつゆ麩、いりこや鰹節など食べさせられていた息子は、お友達のところで美味しいお菓子や飲み物を出していただいた折、わが子だけ食べられないのも不憫に思い断れなかったせいで、以来、人のうちで戴く物にとても卑しくなってしまっていました。
篠山でもおやつとジュースをいただいたのでした。
そして、最後の日の朝食でのこと。
前の晩もジュースでひとゴネしてまして、その時の約束「明日の朝にする」というジュースを喜々として飲み干したあと・・・・出ました「もう一本ほしい!」
ここで駄々をこねたのが、「親塾」最終仕上げのはじまりでした。
泣き喚く息子に、私はつい説明したり、声をかけたくなってしまうのですが
昨夜「わがままはそこで完結させなくてはならない」気をまぎらわせたりしてもいけない。そういわれました。
目の前で「絶対に話すな!抱くな!見るな!」というひげ爺様。
「ジュース欲しい!」という要求が、次第に「おかあさん、こっち みてよー!!」とひっぱりはじめ、膝の上に上っては抱いてもらおうとしがみついてくるのを引き剥がさなくてはならなくなりました。
目も合わさず、声も発せず、食事のお皿をさげ、洗い場に移動しました。
「自分でどうしたらいいか考えて、自分でここにくるまで待つんだ」とひげ爺様に言われました。
「負けるな」って言われ続けなかったら、へし折れていたと思います。
「強くなれ」ひげ爺様にいつも言われていたのは、こういうことだったのだな、『躾』とはこういうことなのだと、やっとわかりました。
息子をこんなふうにしてしまったのは、私だったのだと思いました。
つらい思いをさせるより
息子のため、息子にいいと思ったことは、毅然としてやりぬかなくてはならない。
ひげ爺様にも言われましたが、本当に今来るべき時だったのだと思いました。
本当ならもっと早いほうがよかったかもしれないけど、
残されたチャンスは今しかなかったと思えました。
息子がようやく「ごめんなさい」って自分で言いに来たときのことは、言葉にどうも言い表しようがありません。
どっぷり修行した余韻を残して、帰らなくてはなりませんでした。
息子はひげ爺様に「大人の顔になったな」といわれました。
一方、あまりに、今までの自分がなさけなくて、思わず「あの、私にもいいところはないでしょうか」と伺ってしまうほどでした。
自分の子はなんでこう手を焼いてしまうのか。
そして、息子と私にあった「どうしたらいいかわからない」という感覚。
今するべきことが揃っているのに、母親がぼんやりとしていたからだったのでした。
そのほかのことも、つながり、答えはおのずと解決していく気がしました。
帰りの新幹線の中でコアラみたいに抱っこしたまま寝ている息子が
産まれたばかりのわが子を抱いたときのように、いとおしく感じました。
でもあのときとは違う感覚でした。
かわいいな、守りたいな、そういう感覚とはちがって
ちゃんと導いていこうというか・・・気持がシャンとして穏やに包んでいる気がしました。
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親子の変わっていく姿には感動します。
二人とも大きな自信を持って帰られました。
お母さんも気持ちが変わり毅然とした態度で子育てを楽しまれています。
親が変われば子も変わる。
子育てはない。あるのは親育て。