厚木市中依知に中依知村・下依知村の両村の鎮守で「東泉山安龍寺」が別当の「中依知浅間神社」はある。創建は明治期の由緒書によると宝知元年(1247)の大雪にて村民は五穀の害を免れるため「木花咲耶姫命」を祀り一社を建立、社名を「富士の宮」とした。明治初年に社名を「浅間神社」と改めた。祭神は木花咲耶姫命。129号線「県央厚木」信号を直進、「厚木市立依知中学校」への坂を下りた所に鎮座している。文化2年(1805年)銘「石鳥居」を抜けると50mの参道、神域周りは杉林、隣地には江戸末期頃迄は当神社の旧別当「安龍寺」へと続く。社号標(柱)から燈籠の先、狛犬に護られた奥に「社殿」(拝殿、本殿、幣殿)、左に「神楽殿」がある。明治8年(1875年)建立の「鐘堂(銅鐘)」は長禄3年(1459)作で昭和44年神奈川県指定重要文化財に指定された。末社として稲荷社、金比羅社、秋葉社がある。(1805)
川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園(総合公園)の「生田緑地」入口から右手を坂を上って行くと「枡形門」より入場した所が標高84mの「枡形山の頂上広場」である。四方は容易に寄りつけないような断崖で囲まれた要害の地となっている。広場の中央に当広場のシンボル「和風建築的な展望台」が聳えている。一階には「能楽の舞台」があり凡そ展望台らしくないが、鎌倉初期に稲毛三郎重成が居城としていた。早速、展望台にエレベーターで上がるとそこには多摩川から東京方面のビル群、東京タワーや東京スカイツリー、筑波山、横浜ランドマークタワーそして天気がよければ富士山が360度の風景が見渡せる。永世元年、北条早雲がここに陣を構え山内秋顕定と戦った跡とは想像できないほどの静寂さである。(1805)