相模原市南区下溝に外周を雑木林に囲まれ、フランス庭園両側には生きた化石といわれるメタセコイア並木、ハナショウブと四季の花が絶えない「県立相模原公園」はある。今、見本庭園や衆遊の庭の一角に本数は少ないが秋の七草の一つで、もっとも秋を象徴する花とされている「ハギ=萩」(ミヤギノハギ)が紫紅色の独特の花姿で開花し始めている。2週間前訪れた時まだ一分咲きくらいであったが2~3分咲きまで進んでいた。 ハギには日本の宮城県の県花「ミヤギノハギ」の他に「ヤマハギ」、「マルバハギ」がある。「ハギ」は秋の季語として「万葉集」や「古今集」多く詠まれ、古くから日本人に親しまれてきた植物=花である。ハギは秋になると枝垂れした細い茎に赤い小さな花をたくさんつける。その控えめな奥ゆかしい花姿ながら、逞しさを感じさせることから「思案」、「柔らかな心」、「柔らかな精神」という花言葉がつけられている。一匹のカナブンがやってきて目の前で止まってくれた。(1909)
渋谷区千駄ヶ谷に相模国高座郡遠藤村寳泉寺末、千駄ヶ谷八幡の別当寺であった曹洞宗寺院の「高雲山瑞円寺」(金剛院)はある。 創建年不詳ながら庵室として創建。開山は天寳宗悦(延宝元年=1673年寂)享保5年(1720)の銘のある庚申塔があるのでそれ以前かと推定される。二代将軍徳川秀忠(1632年寂)より寺領8石1斗の御朱印状を拝領している。江戸期には境内3534坪の広大な寺域を有していた。塔頭の江心院、鎮守稲荷社、白山社を擁し「東都歳時記」の弁財天百社参りに30番とある。本尊は釈迦如来。千駄ヶ谷の高台にあり「榎坂」を上がると山門が構えられている。当寺の北側は「観音坂」で入口に聖輪寺、その先に鳩森八幡神社がある。当寺の東、外苑西通りの手前に仙寿院がある。寺号標石「山門」を抜けると境内正面に入母屋造り屋根の「本堂」が、左に庫裏がある。本堂右手には無縁塔(無縁仏)がある。墓地には俳人(太白堂桃隣)、講談師(一龍斎貞山)、幕臣らが眠っている。数羽の鳥が境内で餌を啄んでいた。(1908)
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県立模原公園の西側に「ハナショウブ」の名所の一つとなっている「水無月園」はある。広さ2300㎡の園内はメインの東側と木立に囲まれた西側とさらに奥の3ヶ所の円弧状の菖蒲田で構成されている。その奥の菖蒲田を囲むよう、本数はさほど多くないが右側の緩やかな土手や遊歩道に今、「天涯の花」、「幽霊花」といわれる赤い「曼珠沙華=彼岸花」が咲き始めて秋色のアクセントとなって導いている。長い雄しべ・雌しべをもつ赤い6弁花を数個輪状につける。「天涯花」、「幽霊花」、「死人花」といわれる恐い別名があるがその独特の華奢な花姿は他の花とは違った美しさがある。(2009)
相模原市下溝にハーブとバラの芳香に包まれた農園=農業生産法人グリンピア相模原が運営する農業体験施設「モナの丘」はある。2007年にオープンした「モナの丘」は広さ3.5haの広大な敷地内に花壇をじめとして「バラ園」、「ハーブ園」、「ラベンダー園」がありまるで花園のようである。その他に「バイオマス実験プラント」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュー広場」等が配置されている。入口そばに植栽されている「アオイ」が黄色い大輪を広げ100輪ほど咲いている。アオイであるが「トロロアオイ」(ハナオクラ)のようで大形の花穂を立て、黄色くて中心が紫色をした5弁花を開く。花は一日花で夕方の早い時間に閉じる。葉は互い違いに生え大きくて5つから9つに手のひら状に深く裂けている。昔は根をすりつぶした粘液が手漉和紙の糊としても利用されていた。このアオイは10月くらいまでは楽しめそうである。(1909)