相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

武相観音菩薩霊場札所の「大瀧山長徳寺」

2022-02-17 09:10:51 | 寺院
相模原市緑区大島に福井県の「永平寺」、神奈川県の「總持寺」を本山とする曹洞宗寺院「大瀧山長徳寺」は鎮座している。創建は天文2年(1533)、元武田家臣の鳳山良長和尚が北条との合戦で討死にした部下を供養・弔うため下大島崖下に小堂を建てのが興りで約500年の寺歴を有する古刹である。本尊は釈迦如来(釈迦牟尼佛)。朱塗りの四脚門形式の「山門」より入山すると目を惹くのが地蔵菩薩を頂上におくピラミッド型の墓碑「六十六部供養塔」、その前方に「鐘楼」、正面に十六羅漢、閻魔像、脱衣婆像、不動明王像等諸仏が祀る銅板本瓦葺き寄せ棟造り屋根、平入りの「本堂」、その右に「庫裡」の諸堂が建ち並んでいる。さらに広い境内は興味深い石仏がありまず「不動明王」、念仏講中の「徳本念仏供養塔」、「六地蔵」、「標石」、「秋葉山供養塔」「結界石(不許葷酒入山門)」、安西家の「西孤の墓」がある。また境内には樹齢100年以上の「さるすべり」、「くすの木」、「枝垂れ梅」がある。当寺は津久井の功雲寺末で「武相観音菩薩第26番札所」である。(2202)
 
 
 
 
 
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「相模田名民家資料館」と「田名大杉公園」と「田名子どもセンター」を訪撮!!

2022-02-17 07:58:08 | 公園・庭園
相模原市中央区田名に明治から昭和にかけての田名地域の養蚕農家の姿を伝える木造民家の「相模田名民家資料館」はある。古い民家が移築された際の木材を用いてできている木造2階建ての施設である。建物は当時の代表的な養蚕農家を移築再現し、2階は展示室として当時の養蚕文化、農村文化の資料を集め、1階は昔のかたりべの館として、さらに生涯学習の場として開放されている。田名はもともと水田がなく農家の90%が現金収入を求めて養蚕に携わっており製糸産業が盛んであった地である。これらの業績を後世に伝えるべく祖先が残した財産、三栗山の収益金を基金として「資料館」が建設された。「大杉公園」は田名小学校の前身である覚明学舎および田名村役場のあった所であり、田名行政文化の発祥の地で選ばれた。当資料館では2月初旬から3月の桃の節句に開催される「ひな人形展」には江戸時代中期から昭和までの品、寄付されたひな人形や吊るし雛が飾られる。資料館のそばの「大杉公園」にある「大杉の池」は半在家、塩田へと流れる「紅葉川」の水源である。かつてこの地の近くの「明覚寺」に役場が設けられたいたことから川は「やくばのかわ」、池は「やくばのいけ」と呼ばれた。池のとなり「弁財天」の西側は明覚寺の跡である。明覚寺は鎌倉時代(建永元年=1206)創建、良山阿闍梨(承久3年=1221寂)が開山。明覚寺はもともと南の諏訪社の別当寺(推定)で、江戸時代末期、水郷田名の八幡宮の別当寺も務め村の中心的存在であった。公園の前には児童福祉法に基づく児童厚生施設である「田名子どもセンター」もある。(2202)
 
 
 
 
 



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