相模原市下溝に四季の花が絶えない、市民のオアシスとなっている「県立相模原公園」はある。今、当園では春の訪れとともに「河津桜」、「梅」、「クリスマスローズ」が咲き始め華やいできている。そして遊具広場の小さな花壇では黄色い花が可愛らしく美しい「ラッパスイセン(水仙)」500株ほど咲き始めている。「ラッパスイセン」は「ラッパズイセン(喇叭水仙)」ともいいヒガンバナ科スイセン属(スイセン)に属する。よく見ると花は黄色で内側の副花冠がラッパのように突き出ていることからこの名がついたようである。西ヨーロッパのスペイン、ポルトガル、ドイツ、イギリスにかけてに分布し、リーキとともにウェールズの国花の1つである。花言葉は「尊敬」、「心づかい」、「あなたを待つ自尊」、「報われぬ恋」である。(1802)
2/10から始まった「第23回冬季オリンピック 平昌大会」も今日閉会式。17日間に亘って繰り広げられた7競技、102種目の熱闘、激闘の全日程が終了した。モーグル、ジャンプ、フィギュアスケート、スピードスケート、パシュート、マススタート、カーリング、スノーボドハーフパイブ、ノルディック複合等でメダル獲得。日本は「金メダル4個」、「銀メダル5個」、「銅メダル4個」の計13個を獲得し自国開催「長野大会」の10個を上回り最多となった。印象的だったのはやはり「フィギュアスケート」の羽生選手、次元の違いを示した。「スピードスケート」怪我、過去の敗北を乗り越えた小平・高木姉妹も強かった。カーリング女子も最後に初メダルを獲得した。感動!!日本が世界と対等に戦えること勝てることを証明した。のひた向きな努力・練習によって日本を世界を沸かせ、感動をくれた選手に感謝!! 2022年の開催国「中国=北京」へ五輪旗が引き渡され選手たちはもう始動。果たしてどんなドラマが待っているのだろうか??(1802)
町田市野津田町に「新東京百景」、「日本の歴史公園100選」、「東京都指定名勝」に指定され町田を代表する公園「薬師池公園」はある。七国山に隣接しており谷戸地形を生かした園内中心部にには当園のシンボルの池が配され古民家、植物園(万葉草花苑)があり、その周りに梅、桜(340本)、菖蒲(2,200株)、アジサイ、大賀ハス、椿、藤の花々が咲き乱れる。当園の春は今月後半から「薬師池」西側の広大な敷地の梅林の約250本(白梅が175本)の梅の開花で始まる。今年は大雪が降ったり、厳しい寒さによって若干開花が遅れているようであるが、それでも春の足音を察知し白梅、紅梅が少しずつ咲き始めていたがまだ2~3分咲きでスタンバイ中である。やはり3月上旬がピークとなって見頃となるかも知れない。紅白梅の間に「ロウバイ」が鬱金色&琥珀色の輝きを放ちアクセントとなっていた。(1802)
小田原市曽我谷津(宗我神社の右手)の小高い丘に浄土宗増上寺末で曽我兄弟の菩提寺「稲荷山城前寺」はある。建久4年(1193)創建。本尊は阿弥陀如来。当寺は富士裾野で兄弟が父親の仇工藤祐経を討を果たした後、叔父「宇佐美禅師」が兄弟の菩提を弔うためにこの地に庵を結んだのが始まりである。曽我兄弟は祐経によって父祐通(祐泰)が殺されると母の再婚相手曽我祐信のもとに預けられたことで「曽我」を名乗ったとされる。寺名も「曽我城」の大手門が前にあったことから「城前寺」とした。寺門より石段を上ると左手に地蔵、「山門」がありその前に「阿弥陀像」、正面に「本堂」がある。「本堂」北側に曽我十郎・五郎、養父曽我祐信・実母満江御前の4基の「五輪塔」、その他に坪内逍遥筆の「曽我兄弟遺跡碑」、「高浜虚子句碑」、兄の十郎が恋人である虎御前を偲び腰を掛け笛を鳴らしたといわれる「忍石」などがある。相模の武将「曽我兄弟の寺」、「曽我の傘焼きの寺」として古くから世には知られている。(1802)
足柄上郡松田町松田惣領(新松田駅の北方)に東国花の寺百ヶ寺の一つで花の寺と称されている曹洞宗寺院「萬松山延命寺」はある。創建は文明4年(1472)、本尊は聖観音菩薩と薬師如来。開基は小田原北条氏家臣の「遠山丹羽守直景」で、時代劇に出て来る桜吹雪の刺青で有名な遠山金四郎はこの遠山丹羽守直景の直系にあたる。当寺は明治6年(1873)に松田小学校の前身となった「貫穿舎」が設置されており、かつて寺子屋であったことが窺える。「寺門」(門柱)を入れば前方に「山門」があり前後に5本の紅白梅の木が植栽されて見事に咲きほこっている。山門を抜けると本堂への直線100mほどの参道は今は「梅」、来月は20本ほどの「桜」、4月には2000株の「ボタン」が咲き乱れ「花の寺」らしい華やぎをみせる。長い参道の先に「彼岸橋」が掛けられその正面にはコンクリート造りの白を基調とした「本堂」がある。本堂前の「白梅」と庫裏の庭の梅花が春を告げている。境内には「鐘楼」、左手に「子育水子地蔵尊」、朱塗りの「仁王門」があり、その奥に行基の発願によって宝亀元年(770)建立された朱を挿した「観音堂」がある。参道や境内には万霊塔、禁碑、山王権現塔などの石塔が数多くある。(1802)