伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

シルクロード 華麗なる植物文様の世界

2006-11-19 14:10:05 | 人文・社会科学系
 エジプト、ギリシャ、メソポタミア、インド、中国、日本の出土工芸品を植物文様の観点から解説した本。

 タイトルからすると植物文様がシルクロードを経由してどう伝わったかが解説されているのだと思いましたが、それらしいことは、葡萄唐草と蓮華座、あとはせいぜいパルミット文様(ナツメヤシ)くらい。各地の工芸品の写真を楽しめればいいという見方ならいいんですが、文化の伝播という観点での解説があまり試みられていないのは残念。執筆分担がバラバラで執筆者の意思統一がされていなかったのでしょうか。


古代オリエント博物館編 山川出版社 2006年9月30日発行
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春の魔法のおすそわけ

2006-11-19 09:34:36 | 小説
 45歳直前の女性作家が酔っぱらって取り違えた他人のカバンに2000万円が入っていて途方に暮れていたところに出会った美青年と一夜のアバンチュールに浸るという設定の小説。

 主人公は、日頃は保守的というか小心だけど、内心は過激というかキレやすく、酒に酔うと大胆になるタイプ。第1章での心の動きなんて、ものすごく行き当たりばったりだし極端ですぐキレて、ついて行けません。
 第2章なんて、路上で出会った美青年にいきなり「いくら?」って聞いて突然股間を触りまくるとか、本当にやったら犯罪だし、男性だったら即逮捕もの。それを作者(中年男性)が主人公を女性に設定して、内心では自分でもこんなことやっちゃいけないってもう一人の自分が叫んでいる設定で、それをどこか正当化しようとしている姿勢が、読んでいてものすごくいやらしく感じました。
 率直に言って前半は読み味かなり悪く感じました。こんなの読むだけ時間の無駄、気分が悪くなるだけ、作者が自分の幻想の中でやりたいと思っていて素直に書いたら軽蔑されるだけのことを主人公を女性に設定することでかろうじて許されると自己満足してるだけじゃないかって。
 第3章の後半からようやく主人公が少しまともになってくるのと、中性的なキャラの優弥と恵那の味わいでようやく前半の失点を取り返し、第4章の恵那の語りで読み味よく終わっています。尻上がりによくなっているので、読後感は悪くありませんでした。前半は即投げ出したくなるけど、トータルとしては、エンターテインメントとしてはまあそこそこかなと。


西澤保彦 中央公論新社 2006年10月25日発行
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訴えられた遊女ネアイラ

2006-11-18 20:54:55 | 人文・社会科学系
 古代ギリシャのアテナイで、弁論家のアポロドロスが、政治的な思惑での裁判への復讐のためにその相手方の内妻を訴えた裁判の弁論を元に、古代ギリシャでの娼婦の生活、裁判の実情について論じた本。
 研究書的な性格のものですが、内容的には娯楽読み物に近い感じがします。第1部は裁判にかこつけて古代ギリシャの売春の話をし続けてますし。第3部になると、私が弁護士で、違う社会の裁判制度に関心を持てるから娯楽として読めるのかも知れませんが。

 アテナイでは、職業法律家はいなくて、弁護士も裁判官もおらず、当事者が時間制限以外は自由に(ウソも言い放題)に弁論して、素人の陪審員が合議もせず結論だけ投票して多数決で結論を出していたそうです。
 この裁判自体は、アテナイでは外国人がアテナイ市民と結婚状態で同居していることが法律違反で、それをアテナイ人なら誰でも(全く関係ない人でも)訴えることができて、勝訴すれば被告の財産は全部没収の上その3分の1を訴えた原告がもらえるというしくみ(208頁)にもとづいて起こされています。原告が陪審員の5分の1の賛成を得られなかったときは1000ドラクマ(職人の2年分程度の稼ぎ)を支払わなければならない(181頁)という抑制があるとはいえ、ずいぶん危ない制度ですね。こういう制度の下では原告となることを職業というか金儲けの手段と考える輩が生まれてきます。登場するネアイラの夫または愛人のステパノスもアポロドロスに2度裁判を起こしているほかに度々その人生で裁判の被告や原告となり、アポロドロスも度々裁判の当事者となっているようです。裁判では相手を「告訴乱発者」と罵りあっています。この裁判は、そういう者達の諍いの手段として、相手方の家族ないし愛人が狙われたもので、かなり気の毒な話。
 アテナイといえば訴訟中毒の社会として有名(161頁)と著者も書いていますが、全財産没収とか死刑とかいうことがかかった裁判が度々起こり、しかもそれが出していい証拠の制限もなく、法律家もいないから法律の内容についてまでウソの言い放題で、それをゆっくり検討することなくその場で全くの素人が投票して決めるって、かなり怖い。この裁判について、アポロドロスの弁論しか記録が残っていないので、結果はわかりませんが、著者はアポロドロスの弁論を分析しても、ウソや誇張が多く、弁舌は爽やかだが実は重要な事実はほとんど論証できておらず主張の根拠は薄弱としています。陪審員がそのアポロドロスの弁論に引きずられて原告を勝訴(ネアイラを敗訴)させたのかはわかりませんが、なんかかわいそうに思いますね。
 古代ギリシャのアテナイの社会と民主制について、だいぶ印象が変わりました。


原題:TRYING NEAIRA : The True Story of a Courtesan’s Scandalous Life in Ancient Greece
デブラ・ハメル 訳:藤川芳朗
草思社 2006年8月30日発行 (原書は2003年)
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カレーを作れる子は算数もできる

2006-11-17 20:59:06 | 人文・社会科学系
 現在の算数教育は How to に偏っており Why の視点が欠けているという観点から、現在の教科書や「百ます計算」が算数嫌いを拡大再生産しているとして、より実践・実験的な算数の教え方を語る本。

 前半は実験がいろいろ入って楽しくわかりやすく書かれている感じですが、後半はなんかありがちな話だし結局暗記っぽくなっている感じ。構成を他人の提案した4項目にあわせてやっているから、後半続かなくなったんじゃないかなあ。しかも前半のおもしろいところは算数よりも理科って感じですし。
 表題の「カレーを作れる子は算数もできる」は4項目の2項目目で「レシピを見て料理を作ること」=筋道立てて考える練習のたとえ話にカレーが出てくるだけ。カレー作りのように物事の後先を考えて仕事をする能力があれば算数もできるという著者の主張はこの本のバックとしてずっとあるわけですが、本の中身はそれとは直接関係ない話です。


木幡寛 講談社現代新書 2006年10月20日発行
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安野光雅 風景画を描く

2006-11-16 22:08:32 | エッセイ
 絵を自由に書くということをテーマにした旅とスケッチのエッセイ。
 オーヴェール・シュル・オワーズ(ゴッホの描いた教会で有名なフランスの村)やポントワーズ、アルシュ、リクビール、ストラスブール、オンフルール(以上フランス)、コッツウォルズ、ワトフォード、ラヴェナム(以上イギリス)、ピエンツァ(イタリア)での風景のスケッチ・水彩画とエッセイが並んでいます。

 最初はゴッホへの想い。著者は淡い色づかいを好む作風で、この本でも「赤や黄色があるとわたしはむしろ逃げ出したくなるほうで、なんとか落ち着いた色合にできないものかと考えます。白黒写真でも秋は撮れる、というくらいの気持ちで描いたほうがいいのではないかとわたしは思います」(43頁)なんて書いてます。その人が、ゴッホへの憧れを語るのは、ちょっと意外でした。人は自分にない(できない)ものに憧れるのでしょうけど。
 掲載と書いた順は、実際には一致しないんでしょうけど、最初の方の絵は、ゼロから始めるということで、著者の絵本とかの絵と少し感じが違いますが、終わりの方の絵はやっぱりいかにもの安野作品になっています。まあ、当然といえば当然ですが、やっぱり企画に無理があったような感じもします。


安野光雅 NHK出版 2006年10月15日発行
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大活字版 心臓病のリハビリと生活

2006-11-15 21:52:45 | 実用書・ビジネス書
 心筋梗塞等の心臓の病気をした人のリハビリや日常生活、予防等についての本です。
 リハビリでは、手術した人も含めて、安静にではなく運動した方がいい(再発率が下がる)そうです。運動って言っても歩いたりストレッチとかで、もちろん、サッカーやバスケットボールをやれって意味じゃないですが。
 喫煙は心臓病の最大の敵といっても過言ではありません(119頁)というのは、そうでしょうねえ。喫煙者の妻の心筋梗塞発症率はそうでない人の2倍近くなるというデータもある(119頁)とか。
 医療機器の最近の情報もあって、ペースメーカーと携帯電話の関係も、22cm離れていれば安全だとか(40頁)、数字を書かれるとなんとなく安心します。心臓発作で倒れた人の救命装置AED(自動体外式除細動器)の使い方とかも出ていて(115頁)勉強になりました。


伊東春樹 主婦と生活社 2006年9月25日発行
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スポンサー誘導枠:笑っちゃいますね

2006-11-14 22:22:48 | 今日の一言
 今日から貼り付けられるスポンサー誘導枠って、何が来るんだ?、非表示はどうすればいいんだ?と具体的な解説が一切ないまま今日を迎えました。特に非表示のボタンがどこにあるのかの説明がなかったので、記事一覧からの編集で切り替えるのだったら過去の記事に1つ1つ広告つけられたら非表示にするだけですんごい手間だなあと不安に思っていました。gooって不親切だなあとしみじみ感じましたね。
 で、今日貼り付けられたのを見て、貼付は1箇所だけで、スタッフブログの今日午後6時過ぎの記事でようやく個人情報編集ページで非表示にできるとわかりホッとしました。
 しかし、「『スポンサー誘導枠』とは、gooブログの各ユーザーページにて、投稿された記事内容に関連したクリック課金型のテキスト広告」って紹介だったもので、このサイトには一体どういう「記事内容に関連した」広告が付くのかなと、それだけは興味津々でしたけど、JTBとJALと有限会社アミティー(「E~Ne!」)だって。ばかばかしい!このサイトのどこにJTBやJALやなんだか得体の知れないアミティーとかいう会社に関連した記事があるっていうの?ブログの記事の内容なんて一切関係なく貼り付けてるだけじゃないの。
 それを確認して、早速非表示にしました。
          

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赤い手袋の奇跡 ギデオンの贈りもの

2006-11-13 20:59:33 | 小説
 貧しくともボランティア活動を続ける両親の下で育った純真な8歳の少女ギデオンが、白血病にむしばまれながら伝道所でホームレスに食事を出すボランティアを希望し、そこで出会った51歳のひねくれたホームレスのアールに、信じる気持ちを取り戻すことを願って贈ったプレゼントをめぐって巻き起こる愛と感動のドラマ・・・。
 ページ数は160頁あまりありますが、判型も小さく、ちょっと長めの短編の分量。ですから、ストーリー展開はひねらずストレートです。その分、わかりやすく力強く、今時ちょっと恥ずかしく思えるほど、ストレートに愛と感動のドラマしてます。でも、この迷いのなさが、いいんです。「いかにも」のつくりなんですが、でも素直に感動してしまいました。
 なぜなんでしょうね。アールが実はお金持ちなんてあたり、そんな都合のいい設定って放り出したくなっても不思議はないんですが。
 単に小学生の娘を持つ親父には、純真な薄幸の娘って設定だけで何でも許せてしまうってことかも知れませんが・・・


原題:THE RED GLOVES SERIES : GIDEON’S GIFT
カレン・キングズベリー 訳:小沢瑞穂
集英社 2006年10月25日発行 (原書は2002年)
朝日新聞が2006年11月5日朝刊に書評掲載
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絶対、最強の恋のうた

2006-11-12 20:24:14 | 小説
 タイトルから想像できるように、若くて純真なカップルの恋愛小説です。
 主人公の大野君とその彼女の「ミート君」(またの名をカナリアA)の恋愛物語は、とんとんと進み39頁で半年後にHしよう(という言葉は出てこないんですが、そういう意味)と約束します。
 こうなれば、それがどうなるのかという興味で読み進めるのが普通の読者でしょう。でも、ここからとんと進みません。そこから後は大野君の友達の坂本君とその蛮カラの先輩木戸さんの話が延々と続き、それが終わったと思ったら「ミート君」の過去が始まり、100頁くらい間が開いてやっとミート君から見た大野君の話が始まります。主人公2人の恋愛小説としてみる限り、40頁からそのまま138頁(145頁でもいい)に跳んでも何の問題もありません。それでも進展もなくステディなデートを重ねて問題の半年後がようやく来たら、先送りにした挙げ句、最終章は坂本君の話でおしまい。大野君とミート君は一体どうなったの?
 大野君とミート君のデートの話は、確かにほんわかとしたり爽やかだったりしてその部分の読み味はいいんですが、恋愛小説で進展・行方を見せずに、じらした挙げ句に放り出されると、読み終えたときはやはり「何だこれ?」って言いたくなります。

 ミート君が大野君とつきあい始めるきっかけのところで「だって私はもみじ饅頭をもらったのだ。これがもし、ういろうとかだったら断ったかもしれない。きび団子だったら、私はサルでもキジでもないと抗議したかも知れない。だけど、もみじ饅頭をくれるような人の誘いを、断れるわけがなかった。」(146頁)という表現があります。私は、こういうのあまり好きじゃありません。名古屋人とか岡山人への差別じゃない?これ。もし作者が広島県民だったらこの本ぶん投げてやると思って作者のプロフィールを見たら岐阜県出身。岐阜県民の自己卑下だったのね。でもつきあわされる岡山県民は・・・


中村航 小学館 2006年11月20日発行
(この発行日付、ひどくない?)
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ラーマーヤナ3・4 聖都決戦 上下

2006-11-12 15:53:18 | 物語・ファンタジー・SF
 6月発売の「蒼の皇子」上下の続き、原作では第2巻です。タータカーを倒した後ラーマたちが、聖人の導きによりアヨーディヤにはまっすぐに戻らず、コーサラ国の王家と遠縁の王が治めるヴァイディーハ国の首都ミティラーに向かいそこで皇女シーターの婿選びに参加することになり、アヨーディヤ攻撃の前にミティラー攻撃に結集した阿修羅軍団の主力部隊を撃破することとなるまでの話。
 日本語版ではタイトルが「聖都決戦」とぼかされ、阿修羅軍団の第1攻撃目標がアヨーディヤと思わせぶりな記述が続いて終盤でミティラーが阿修羅軍団の第1攻撃目標と明かされるという趣向になっているように読めますので、こう書いてしまうのはネタバレと怒られるかも知れません。しかし、原書のタイトルは、SIEGE OF MITHILA(ミティラー攻囲)ですから、著者にはそれを隠す意図はないし、表紙にも原題は書いてありますので、気にせず書いておきます。

 第2巻では、ラーマたちの旅とラーマたちの留守中のアヨーディヤ王宮での陰謀、阿修羅側の動きが絡み合い、第1巻より複雑な進行になっています。お話の大部分は、よりおもしろく読み応えのあるものとなっていると言っていいでしょう。
 第1巻の感想として、指輪物語の愛読者ならきっとおもしろく読めると書きましたが、著者も意識しているんでしょうね。第2巻第2部のタイトルは「2つの塔」。そして・・・これこそ具体的に書くともろにネタバレですが、最後のクライマックスのあっけなさも指輪物語並み。それがちょっと、この長い本の読後感としては残念。
 原作は6巻までで最近完結したそうですし、アヨーディヤ王宮での陰謀はまだ未解決、阿修羅の王の従妹シュールパナカーのラーマへの歪んだ思いとか含みは残されていて続きを読みたいとは思いますけど、疲労感も強いですね。まあ次の日本語版がいつ出るか未定ですけど。


原題:THE RAMAYANA SERIES : SIEGE OF MITHILA
アーショカ・K・バンカー 訳:大嶋豊
ポプラ社 2006年10月10日発行 (原書は2003年)
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