Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

写真整理がほぼ終了

2013年11月03日 22時00分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日で沖縄旅行の写真の整理がひとまず終了した。カメラの映像画像の解像度をブログ用に変更しなくてはならない。また機関紙用に同様な操作が必要になる。これが結構面倒である。トリミングや切り貼りもするついだから特に苦痛ではないが、今回のように利用する枚数が多いとやはり数日かかる。

 ということで朝から今まで、夕方の買い物に付き合って8千歩ほど歩いた以外ずっとパソコンの前に座りっぱなし。これからウォーキングで体を動かすことにする。

 やらなくてはならない作業は残り二つ。まず隔月で出している退職者会のブロックの会報A4の裏表。ひとつの記事は既に記載してあるのであと、3/4が残っている。この旅行記を記載すればほぼ埋める事が出来る。
 次に折角20人で沖縄に行ったので、写真中心の旅行記を参加者に配ってみようかと考えている。A4で4ページ位を考えている。これも写真中心で文章は少ないから特に作業量は多くない。
 この二つは結構楽しんで作ることが出来る。

 本日の日本シリーズの最終戦、妻はやきもきしている。テレビを見ると楽天が負けるのではないか、と落ち着かない。それでも時々恐る恐るチャンネルを合わせている。怖いもの見たさのような具合である。夕食時からかなりそわそわしている。今は、9回表のジャイアンツの多分最後の攻撃中である。妻は、お茶を入れてくれる気持ちのゆとりはなさそうである。
 と書いている間に、楽天が勝ったようだ。


沖縄の印象(その1)

2013年11月03日 20時37分35秒 | 山行・旅行・散策
 退職者会の沖縄旅行に参加して、二回目の沖縄を体験してきた。今回の旅行でもいくつかの印象があるが、今の段階で思いつくままに記してみたい。
 すでに3日間の旅行中にその日のうちに携帯電話からブログにアップした感想も重複するが、記憶を呼び戻すために再度記載してみる。
 箇条書きであり、項目間に脈絡をつけたわけではない。思いつくままに並べてみた。

1.ひめゆりの塔の資料館は以前訪れたときとは展示が模様替えされていた。以前は壕の中の様子が強調されていたと記憶している。それが整理され、代わりに手記や回想がクローズアップされ、見る者に迫ってくる。私は良くなったと感じた。



2.祈念公園はモモタマナという木が礎を守るように美しい。時間がなく資料館には行けなかったのは残念。次の機会があることを願うしかない。今回は前回見ることができなかった「平和の火」を見、「摩文仁の丘」を遠望することが出来た。

   

3.首里城は修復工事が続いている。全体の復元が待ち遠しい。私は初めて訪れた。当時の衣服の案内人などの工夫がいい。琉球王国の盛衰が見て取れる。



 不思議に思うことが2点。
 琉球(あえて沖縄とは言わない)の歴史では、グスク時代が突如出現する。それ以前は考古学だけの範疇になってしまう。国家の成立はもっと遡れないのか、文字資料の出現と国家の成立がどうしてイコールなのか、という疑問がいつもある。
 もう1点は、明治の日本軍隊がどうして首里城を駐屯地とし先の戦争でも司令部を首里城に構えたのか?対馬でも金田城という天智・天武朝の遺跡に、明治から戦前まで防衛拠点を置いている。
 近代戦とはいえ、旧日本軍の発想は古代・中世と変わらないということだったみたいだ。「防衛上重要」とはなにを持って「重要」としたかなのだが、旧日本軍が何をどのように守ろうとしたか知りたいものである。
 戦略上の重要性は古代・中世とは兵器も艦船も大きく違い、都市のあり方や産業の違いも変化している中で、古代・中世の行政・軍事の拠点である城に軍の中枢を置いた明治政府の軍事思想も私には理解できない。しかも米軍の侵攻が迫ったときに首里城に司令部を置いたという。圧倒的な米軍を前にして戦略も戦術もない。ただ乏しい資材と武器で玉砕という戦術ならざる戦術だけが信奉されている。

4.国際通りはずいぶん感じが変わっていた。店が明るく様変わりしている。みやげ物自体も明るくなった。

         

5.嘉数高台は沖縄戦最大の激戦地と云われた地点。私は「かかず」と思っていた。沖縄言葉と「現代日本語」との音韻の対応では「い」はそのまま「い」に対応するらしいから、「かかじ」が「かかず」と発音されるのは、単に「かじ」に「数」という漢字を対応したから生じた誤用のようだ。しかし怖ろしいもので「数」の発音に引きづられて今では「かかず」として沖縄でも通用しているらしい。



6.普天間基地ではオスプレイを目の当たりにした。その異様な姿に圧倒されると共に軍用飛行機というものは、その異様な姿で敵対者だけでなく、民間人をも威圧するということを厚木基地の見学の時と同じく再度確認した。普天間基地の面積も広大である。写真のように宜野湾市の中心にドンと構えている。 基地の周りに人が住んだのではない。人が住んでいる町の中に基地が乗り込んできたのである。世界で一番危険な基地である事態は依然として継続中である。



7.嘉手納基地ではもっとひどい。嘉手納町の83%を米軍基地に占領されている。町が基地の片隅に追いやられている。
 写真で下の灰色の部分は他の自治体をあらわしているのではない。基地の敷地である。中の薄い茶色の部分と灰色の部分が嘉手納町の町域である。



8.美ら(ちゅら)海水族館では、ジンベイザメとマンタの優雅な泳ぎと、ウミガメとマナティーに癒されてきた。時間がなくて海洋文化館を覗けなかったのは残念であった。