Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

川崎市幸区

2013年11月12日 17時23分55秒 | 山行・旅行・散策
 友人を見舞った後、東横線の新丸子駅から南武線鹿島田を経由して幸区役所近くまで歩いてみた。直線距離にして4.5キロほどだがバス道路に沿って歩き、住宅街にも入ったため約6.5キロほどになった。
 50年以上前に今の幸区役所の近くに住み、1年半ほど古川小学校に通った。
 まだ鹿島田駅に蒸気機関車が停車していたり、塚越商店街を抜けると新鶴見操車場があり、何回か眺めにいったことがある。
 長い陸橋の上から操車場に出入りする長い貨物列車の連結数を長時間飽きもせず数えていた。陸橋の先には今の夢見ヶ先動物園があり無料で入ることができた。
 当時の貨物列車の連結数は半端な数ではなかった。自信はないが100両を超えて数えたこともあったと記憶している。
 古川小学校の思い出は複雑だ。函館から転校してきて、同級生にはいい思い出はない。教師にも・・。
 当時だから転校生は多かったが、どうして私が標的にされたかはわからない。ただ変わった生徒ではあったと思う。
 5年の時の担任は生徒の父母に嫌われ1学期で辞めさせられたという。毎日ホラー譚を授業終了後1時間聞かせられた。確かに変わっていた。2学期から私は横浜に再度引越して転校したので後日談は知らない。
 学校の敷地は変わっていなかったが、周囲の風景はほとんどわからないくらいに変わっていた。理容店が一軒だけまだ開業していた。毎日のように買いに行った豆腐屋も、時々食べにいった同級生の親がやっていた小さなラーメン屋も廃業していた。
 川崎商高は半分新設の小学校に敷地を取られていた。
 今度は塚越商店街を再訪してみたい。