9.海洋博公園からは伊江島が美しい。米軍との激戦地、そして米軍の土地収容や非行との熾烈な闘いは岩波新書で学生の頃学んだ。阿波根昌鴻さんという方の名も知った。確か107名の住民の死者を出した米軍艦船の事故(1948年)もあった。米軍の土地収用に対する全沖縄の闘いの象徴的な島でもあったと聞いている。
繰り返すが、伊江島は写真のとおり実に美しい島影を持っている。珊瑚の明るい青の海の向こうに左右対称になだらかで柔和な山の裾野が広がっている。軍用機には似合わない優美さである。自然を楽しむのもいい。いつか行って見たい島である。サミットの時に軍用飛行場を民間共用に更衣したが、軍用であることが優先されている現状で結局は今は民間飛行機は飛んでいない。つけ焼き場では島の新興も、住民の便利さも向上しない。
10.今帰仁城は今回最後の世界遺産見学。石垣がこれまでと違い地上は石灰岩ではなく凝灰岩のため黒っぽい。そして堅いため切ったりしておらず自然形のまま積み上げている。石自体も小振りである。全体の印象がチョット暗い。しかし曲線状石垣というより石積みというようだが、この形状は変わらない。
11.今回世界遺産を巡るということで4ヶ所の城跡を見学した。鹿児島以北の城郭に慣れた目には奇異に映る。私は対馬の金田城の石積みの谷の形に添った形状との類似に思い当たった。この沖縄の山城の形態はどこにルーツがあるのであろう。日本の山城は等高線に沿った石垣のような印象を持っている。朝鮮半島由来なのか、それとも中国の南部の山岳地帯由来なのか、専門家はどのように考えているのだろうか。
この石垣の描く曲線と石垣の積み方は実に美しい。作った人々の美意識、出来栄えへのこだわりを感じることが出来る。
写真は勝連城の見取り図と三の廓を見上げた物を掲げてみた。石垣の並びは尾根に必ずしも沿ってはいない。
そしてこの三の廓の不思議な曲線がとても印象深い。同行した仲間は「遊び心がある」と言ったが、にわかには信じ難いがかといって否定も出来ない。見方によるが左右対称の優美な模様に見えることは確かだ。こんな尖がった空間は機能的には意味をなさない。芸術的観点か、遊び心としかいいようがないことも確かだ。構造的、力学的な必然があるのだろうか。発掘・復元はこんな疑問に応えるものであって欲しい。
12.辺野古は美しい海に、先の曲がった三角形状の岬の南側にある集落を指している。岬の形状から陰茎の意味の「へのこ」に漢字を当てはめた地名である。基地建設に反対している方からキャンプシュワブの現状や辺野古の経済問題も含めて話を直接聞くことが出来た。
そして海に囲まれた沖縄で、沿岸漁業は極めて危機的な状況であるとのことも知らされた。辺野古でもモズクと釣り船が主な漁業資源となっているとのことであった。基地の建設は、このような負の状況の中で進められていく。
ヤドカリの軌跡がこの浜には似つかわしい。沖縄の浜の砂はどこに行っても細かく、そして汚れていない。
13.沖縄料理と泡盛というのは、私にはとてもおいしく感じる。豚の調理など、南方からの影響と思われる料理法と、北前船によってもたらされた北海道の昆布出汁による味付けが融合している。また沖縄独特の魚もおいしい。限られた食材を実にたくみに利用しているとの説明を幾度も聞いた。同時に前後米軍の放出品として出回った缶詰などの食材を実にたくみに利用している逞しさにも感嘆する。
14.沖縄は戦後の歴史を語るときには忘れてはならない重要な地域である。戦後の矛盾・しわ寄せが集中した地域だ。日本の戦後がいろいろと取り沙汰されている今こそ、思い出すことが大切ではないだろうか。
一歩間違えれば、日本列島はどこの地域でも沖縄のような戦後処理を強いられたら可能性はあった。
信じた神国日本という国家に放り出され、米国に蹂躙された沖縄では、アメリカという国と軍隊に直接対峙させられた。そして本土では「新生日本」という国家とアメリカという国家と二重に対峙する事を強要された。
軍隊の本質・戦争の本質として米軍も琉球・沖縄を尊重する気は100%無かったことは、強引な沖縄占領・土地収容・人々への犯罪行為で明らかである。
正義の味方=アメリカ軍という図式は信じることなど出来ない。戦争に正義の戦争も正しい戦争も有るはずがない。文化を守るはずもないのである。
軍隊にある唯一の正義は「敵を殲滅せよ」これだけである。これは戦後の米軍の関わった戦争のどれを見ても明らかである。朝鮮戦争、ベトナム戦争しかり、アフガニスタン・イラクすべてに当てはまる。対抗した「革命」戦争も例外では有り得ない。
そして命を落とすのは末端の兵であり、現地の非戦闘員である。戦争を仕掛けた者、「正義」を語った者、勝利したものだけが命を長らえてきた。
このような視点で日本の戦後史を、もう一度考え直さなければならないと思う。
繰り返すが、伊江島は写真のとおり実に美しい島影を持っている。珊瑚の明るい青の海の向こうに左右対称になだらかで柔和な山の裾野が広がっている。軍用機には似合わない優美さである。自然を楽しむのもいい。いつか行って見たい島である。サミットの時に軍用飛行場を民間共用に更衣したが、軍用であることが優先されている現状で結局は今は民間飛行機は飛んでいない。つけ焼き場では島の新興も、住民の便利さも向上しない。
10.今帰仁城は今回最後の世界遺産見学。石垣がこれまでと違い地上は石灰岩ではなく凝灰岩のため黒っぽい。そして堅いため切ったりしておらず自然形のまま積み上げている。石自体も小振りである。全体の印象がチョット暗い。しかし曲線状石垣というより石積みというようだが、この形状は変わらない。
11.今回世界遺産を巡るということで4ヶ所の城跡を見学した。鹿児島以北の城郭に慣れた目には奇異に映る。私は対馬の金田城の石積みの谷の形に添った形状との類似に思い当たった。この沖縄の山城の形態はどこにルーツがあるのであろう。日本の山城は等高線に沿った石垣のような印象を持っている。朝鮮半島由来なのか、それとも中国の南部の山岳地帯由来なのか、専門家はどのように考えているのだろうか。
この石垣の描く曲線と石垣の積み方は実に美しい。作った人々の美意識、出来栄えへのこだわりを感じることが出来る。
写真は勝連城の見取り図と三の廓を見上げた物を掲げてみた。石垣の並びは尾根に必ずしも沿ってはいない。
そしてこの三の廓の不思議な曲線がとても印象深い。同行した仲間は「遊び心がある」と言ったが、にわかには信じ難いがかといって否定も出来ない。見方によるが左右対称の優美な模様に見えることは確かだ。こんな尖がった空間は機能的には意味をなさない。芸術的観点か、遊び心としかいいようがないことも確かだ。構造的、力学的な必然があるのだろうか。発掘・復元はこんな疑問に応えるものであって欲しい。
12.辺野古は美しい海に、先の曲がった三角形状の岬の南側にある集落を指している。岬の形状から陰茎の意味の「へのこ」に漢字を当てはめた地名である。基地建設に反対している方からキャンプシュワブの現状や辺野古の経済問題も含めて話を直接聞くことが出来た。
そして海に囲まれた沖縄で、沿岸漁業は極めて危機的な状況であるとのことも知らされた。辺野古でもモズクと釣り船が主な漁業資源となっているとのことであった。基地の建設は、このような負の状況の中で進められていく。
ヤドカリの軌跡がこの浜には似つかわしい。沖縄の浜の砂はどこに行っても細かく、そして汚れていない。
13.沖縄料理と泡盛というのは、私にはとてもおいしく感じる。豚の調理など、南方からの影響と思われる料理法と、北前船によってもたらされた北海道の昆布出汁による味付けが融合している。また沖縄独特の魚もおいしい。限られた食材を実にたくみに利用しているとの説明を幾度も聞いた。同時に前後米軍の放出品として出回った缶詰などの食材を実にたくみに利用している逞しさにも感嘆する。
14.沖縄は戦後の歴史を語るときには忘れてはならない重要な地域である。戦後の矛盾・しわ寄せが集中した地域だ。日本の戦後がいろいろと取り沙汰されている今こそ、思い出すことが大切ではないだろうか。
一歩間違えれば、日本列島はどこの地域でも沖縄のような戦後処理を強いられたら可能性はあった。
信じた神国日本という国家に放り出され、米国に蹂躙された沖縄では、アメリカという国と軍隊に直接対峙させられた。そして本土では「新生日本」という国家とアメリカという国家と二重に対峙する事を強要された。
軍隊の本質・戦争の本質として米軍も琉球・沖縄を尊重する気は100%無かったことは、強引な沖縄占領・土地収容・人々への犯罪行為で明らかである。
正義の味方=アメリカ軍という図式は信じることなど出来ない。戦争に正義の戦争も正しい戦争も有るはずがない。文化を守るはずもないのである。
軍隊にある唯一の正義は「敵を殲滅せよ」これだけである。これは戦後の米軍の関わった戦争のどれを見ても明らかである。朝鮮戦争、ベトナム戦争しかり、アフガニスタン・イラクすべてに当てはまる。対抗した「革命」戦争も例外では有り得ない。
そして命を落とすのは末端の兵であり、現地の非戦闘員である。戦争を仕掛けた者、「正義」を語った者、勝利したものだけが命を長らえてきた。
このような視点で日本の戦後史を、もう一度考え直さなければならないと思う。