Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

沖縄の印象(その2)

2013年11月04日 20時10分40秒 | 山行・旅行・散策
9.海洋博公園からは伊江島が美しい。米軍との激戦地、そして米軍の土地収容や非行との熾烈な闘いは岩波新書で学生の頃学んだ。阿波根昌鴻さんという方の名も知った。確か107名の住民の死者を出した米軍艦船の事故(1948年)もあった。米軍の土地収用に対する全沖縄の闘いの象徴的な島でもあったと聞いている。
 繰り返すが、伊江島は写真のとおり実に美しい島影を持っている。珊瑚の明るい青の海の向こうに左右対称になだらかで柔和な山の裾野が広がっている。軍用機には似合わない優美さである。自然を楽しむのもいい。いつか行って見たい島である。サミットの時に軍用飛行場を民間共用に更衣したが、軍用であることが優先されている現状で結局は今は民間飛行機は飛んでいない。つけ焼き場では島の新興も、住民の便利さも向上しない。



10.今帰仁城は今回最後の世界遺産見学。石垣がこれまでと違い地上は石灰岩ではなく凝灰岩のため黒っぽい。そして堅いため切ったりしておらず自然形のまま積み上げている。石自体も小振りである。全体の印象がチョット暗い。しかし曲線状石垣というより石積みというようだが、この形状は変わらない。

11.今回世界遺産を巡るということで4ヶ所の城跡を見学した。鹿児島以北の城郭に慣れた目には奇異に映る。私は対馬の金田城の石積みの谷の形に添った形状との類似に思い当たった。この沖縄の山城の形態はどこにルーツがあるのであろう。日本の山城は等高線に沿った石垣のような印象を持っている。朝鮮半島由来なのか、それとも中国の南部の山岳地帯由来なのか、専門家はどのように考えているのだろうか。
 この石垣の描く曲線と石垣の積み方は実に美しい。作った人々の美意識、出来栄えへのこだわりを感じることが出来る。

   

 写真は勝連城の見取り図と三の廓を見上げた物を掲げてみた。石垣の並びは尾根に必ずしも沿ってはいない。
 そしてこの三の廓の不思議な曲線がとても印象深い。同行した仲間は「遊び心がある」と言ったが、にわかには信じ難いがかといって否定も出来ない。見方によるが左右対称の優美な模様に見えることは確かだ。こんな尖がった空間は機能的には意味をなさない。芸術的観点か、遊び心としかいいようがないことも確かだ。構造的、力学的な必然があるのだろうか。発掘・復元はこんな疑問に応えるものであって欲しい。

12.辺野古は美しい海に、先の曲がった三角形状の岬の南側にある集落を指している。岬の形状から陰茎の意味の「へのこ」に漢字を当てはめた地名である。基地建設に反対している方からキャンプシュワブの現状や辺野古の経済問題も含めて話を直接聞くことが出来た。
 そして海に囲まれた沖縄で、沿岸漁業は極めて危機的な状況であるとのことも知らされた。辺野古でもモズクと釣り船が主な漁業資源となっているとのことであった。基地の建設は、このような負の状況の中で進められていく。
 ヤドカリの軌跡がこの浜には似つかわしい。沖縄の浜の砂はどこに行っても細かく、そして汚れていない。

   

13.沖縄料理と泡盛というのは、私にはとてもおいしく感じる。豚の調理など、南方からの影響と思われる料理法と、北前船によってもたらされた北海道の昆布出汁による味付けが融合している。また沖縄独特の魚もおいしい。限られた食材を実にたくみに利用しているとの説明を幾度も聞いた。同時に前後米軍の放出品として出回った缶詰などの食材を実にたくみに利用している逞しさにも感嘆する。

14.沖縄は戦後の歴史を語るときには忘れてはならない重要な地域である。戦後の矛盾・しわ寄せが集中した地域だ。日本の戦後がいろいろと取り沙汰されている今こそ、思い出すことが大切ではないだろうか。
 一歩間違えれば、日本列島はどこの地域でも沖縄のような戦後処理を強いられたら可能性はあった。
 信じた神国日本という国家に放り出され、米国に蹂躙された沖縄では、アメリカという国と軍隊に直接対峙させられた。そして本土では「新生日本」という国家とアメリカという国家と二重に対峙する事を強要された。
 軍隊の本質・戦争の本質として米軍も琉球・沖縄を尊重する気は100%無かったことは、強引な沖縄占領・土地収容・人々への犯罪行為で明らかである。
 正義の味方=アメリカ軍という図式は信じることなど出来ない。戦争に正義の戦争も正しい戦争も有るはずがない。文化を守るはずもないのである。
 軍隊にある唯一の正義は「敵を殲滅せよ」これだけである。これは戦後の米軍の関わった戦争のどれを見ても明らかである。朝鮮戦争、ベトナム戦争しかり、アフガニスタン・イラクすべてに当てはまる。対抗した「革命」戦争も例外では有り得ない。
 そして命を落とすのは末端の兵であり、現地の非戦闘員である。戦争を仕掛けた者、「正義」を語った者、勝利したものだけが命を長らえてきた。

 このような視点で日本の戦後史を、もう一度考え直さなければならないと思う。

深夜のジョギングは不思議でそして怖い

2013年11月04日 12時51分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜22時30分から23時50分にかけて、深夜のジョギングに出かけた。本日の午前中が雨との予報なので、昨夜のうちにジョギングを済ませて起きたかった。さいわい雨も降らずに、10キロほどのコースを回った。8キロほどはジョギング、残りはウォーキング。かなりの量の汗をかいた。

 深夜なので足元に気をつけなくてはならないし、車の前照灯が眩しくて怖い。特に最近の前照灯はとても眩しい。ハイビームのままの走行が多すぎる。街中なので60キロで走行する必要はないのだが、まずロービームにして走らない。
 タクシーは指導が徹底しているらしく、人を見るとすぐにロービームにしてくれる。しかし他の車両ではいつも眩しくてこちらが手をかざして目を保護するようにしてすれ違わなくてはならない。歩行者にとても危険である。
 車の基準をどのように陸運局は考えているのだろうか。また警察はどのように夜間走行について指導をしているのであろうか。歩行者のことを考えた基準、走行方法の指導をして欲しいと思う。特に歳をとってくるにしたがいつらい。目の矯正はきちんとしているが、それでもこの眩しさはとてもつらい。

 昨夜も感じたが、深夜の女性の一人歩きが実に多くなった。昨夜も仕事帰りなのか、遊び帰りなのかわからないが、女性の方が多かった。そして大半がイヤホンをしているか、スマホに集中している。だから私が走って追い抜こうとすると「ハッ」として振り向く。人の足跡が聴こえないらしい。あるいは周囲に対して注意が向いていない。イヤホンをしていない人は、私の走っている足音で事前に脇へ寄るか、それなりの心積もりが出来ているようだが‥。また酔っ払っての千鳥足は、男女問わずである。ひったくりや痴漢の被害が多いと盛んに言われているが、自己防衛がまるで出来ていない。
 女性だから深夜一人歩きするな、という時代ではない。仕事も男女の区別無く終業時間が遅くなっている。また女性だからか弱いわけではない。しかしあまりに無防備すぎる。

 さらに気になるのが、どう見ても中学生にしか見えない女子が道路に一人座り込んだり、あるいは一人で車道を歩きながら大声で携帯電話で話しているのに、5人ほども出くわした。
 道端で一人で座り込んで話している子の声は、100メートルほど手前から聞こえて、私は何か危険を感じて少しゆっくり警戒しながら走った。傍を走りぬけたときにあまりに幼い姿にビックリした。
 団地の傍の住宅街の幹線道路では歩道を歩かずに車道で大声で話し声が聞こえたのでこのときも身構えたが、一人の女の子がやはり歩きながら友人と電話をしているらしいが、もう一人の友人の悪口を周囲の住宅によく聞こえるように話している。
 24時に近い時間帯、周囲の住宅の人はとても迷惑であろうし、よく一人歩きを親が許していると不思議な気がした。高校生であっても私が親ならば許すことはない。
 昨晩は、たまたまなのかはわからないが、中学生・高校生と思われる男子には会わなかった。神奈川大学の横浜キャンパスの周囲を含んで大回りで2周したため、大学生のカップルやジョギング中の大学生とは随分すれ違ったが‥。

 深夜のジョギング、日中には見えにくい今の状況を垣間見せてくれる。私にはとても危険がいっぱいに感じた。