Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の講座

2013年11月09日 18時22分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほどアップしたように本日は野田武則釜石市長の講演を聞いてきた。震災から2年8ヶ月たっての講演である。神奈川大学としての学生ボランティア活動の取組みの中で釜石市長とのコンタクトがあったようだ。
 本日の講演のレジュメは膨大な量があったが時間的に90分という講演時間はやはり短い。用意してもらった半分程度の話で終った。
 被災状況、反省と教訓、復興まちづくり、さまざまな課題の四点についてのレジュメであったが、前半だけで終った。

 政治的な主張や思想についてはここでは触れないし、そのことは抜きにして私は「震災と津波」という未曾有の災害・危機に遭遇したときの行政の長としての経験、これからの方針を聞きたかった。
 今回は時間の関係から発災当初の対応(ある質問者は発生から24時間の市長の頭の中を駆け巡ったこと、今反省していることを聞いたが、とてもいい質問かと思った)について具体的な話は、経験者の重みは感じた。
 今後の復興について、国・県・他市町村との関係など複雑な行政をどう整理して、行政サービスの最先端に位置する市としての役割をどう発揮していくか、ここも聞きたかったが、残念であった。またこのような機会があることを願っている。
 釜石市の犠牲者がなかった小中学生の防災教育の実践についてはNHKのテレビでも放映されて有名になっているが、なぜ子どもが自主的な避難の先頭に立ったのか、なぜ大人は避難が遅れたり避難しなかったのか、などの解明と教訓化はこれからも必要であろうと思う。
 子どもたちを守った三つの教えというのが考えさせられる。
避難の三原則=1.想定を信じるな
       2.どんな時でも最善を尽くす
       3.率先避難者になる

 もうひとつ、震災遺構の保存については市長自信の判断もある。被災者の遺族の判断も重要である。震災の教訓を考えるきっかけとする考えもある。私は無闇に、なんでもかんでも多くの施設を、しかも多くの人の犠牲になった施設を残すことに、エネルギーと費用をかけることには疑問を感じている。市長もそのような判断をもっているようだが、相手に納得してもらう考え方の整理は、今後も粘り強い議論が必要と思った。行政に携わったものとして、遺族が遺構として残すことに反対している施設を残さないことは市長の判断は私は肯定できる。また遺構=モノで教訓を残すことが果たしてベスト・ベターな判断なのかという批判的な疑問も、今後の施設の維持管理費用のことも含めて首肯できる。残された市民と、外からの意見と、折り合いはなかなか難しそうな話である。

 市の全体の復興計画などの作成過程での問題点などもせめてこれからレジュメを見ながら私なりの整理をしてみようと思う。
 現役ではないが、少なくとも頭の体操にはなるし、同時に行政機構の問題点の私なりの整理となるかもしれない。

会報作りと講座

2013年11月09日 13時30分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から冷え込んでいる。来週の初めは、秋田で雪のマークがついていた。
 外には出ないで、朝から退職者会のブロックの会報作りで閉じこもっていた。
 午後は、神奈川大学の横浜キャンパスでの講座「未曾有の歴史的地震活動気に入った21世紀日本」の第4回目。釜石市の野田市長の講演会。