Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜に強風注意報

2016年10月08日 23時03分09秒 | 天気と自然災害
 横浜は午前中強い雨が降り続いた。鎌倉商工会議所を会場とする「松本竣介-創造の原点」にともなう連続講演会に出かけた時は、レーダーの画像では時間換算50ミリの雨の表示が私の家のあたりにあった。地下鉄の駅まで10分ほど歩いたが、ズボンがビショビショとなってしまった。
 しかし鎌倉駅についてみるとほとんど雨は降っていない。それどころか15時に講演が終わった時は快晴で少々蒸し暑い位であった。
 鎌倉市役所まえの商工会議所の建物から急ぎ足で展覧会場の神奈川近代美術館鎌倉別館までは小町通りを透って早足で15分ほど。しかし3連休の最初の土曜日とあって、小町通りを速足ではとても歩けなかった。
 会場ではオープニングセレモニーなども行われ、ゆっくりと作品を鑑賞する雰囲気ではなかったが、先ほどの記事で書いたように松本竣介の作品のふたつの流れを再確認しながらみて回った。
 夕方横浜に戻ってみると、雨は降っていないものの風が強い。今も団地の中では木々の梢が音を立てて揺れている。横浜には強風注意報が発令されている。
 明日もまた雨の予想となっている。


「松本竣介-創造の原点」講演と展示

2016年10月08日 22時01分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は神奈川県立美術館鎌倉別館で開催している「松本竣介-創造の原点」を見てきた。展覧会を見る前に、「松本竣介 その魅力をさぐる」という連続講演会の第1回「神奈川近代美術館と松本竣介」を聴いた。講演会場は鎌倉商工会議所のホールということで、展示会場とは15分ほどの距離。講演者は松本竣介の次男である松本莞氏。
 開館間もない神奈川県立近代美術館(鎌倉館)で、1958年に初の竣介回顧展が開催されたことや、その回顧展を企画した学芸員の朝日晃氏やそれを承認した副館長土方定一とのエピソード、竣介の代表作《立てる像》が館に所蔵されることとなった経緯、竣介の妻の禎子にまつわるエピソードなどを語ってくれた。
 作品を語るにあたって家族とのエピソードが重要なのかどうかは分らないが、莞氏の話は竣介という画家の人となり、またそれを支えた妻禎子の人となりの理解には欠かせないものがあると感じた。朴訥ながら丁寧で飽きさせない話であった。竣介の人となりを受け継いでおられるのか、と感じた。同時に松本竣介という画家が戦後どのように受け入れられるようななったか、その根拠は何か、ということを考えるのに大切な示唆をもらったような気がした。まだまだ私の頭の中では整理しきれない。
 講演会の第2回から第4回までは日程が重なり、申し込まなかった。しかし寺田農氏、窪島誠一郎氏、天童荒太氏の講演は是非とも聴きたかった。残念である。
 その後、私は展覧会場におもむき、65歳以上の割引を適用してもらい300円で入場した。別館の展示スペースは一つであるのが気に入っているが、狭いのが難点。本日からはじまるということでオープニングセレモニーもあり、落ち着いてみることが出来なかったのは残念。
 友人であった麻生三郎・鶴岡政男・井上長次郎・寺田政明・靉光の作品が並んでいる。特に鶴岡政男の「死の静物(松本竣介の死)」には惹かれた。同時に対極ともいわれる藤田嗣治の「横たわる裸婦」「ふたりの裸婦」も展示され、松本竣介の藤田嗣治評がかかれていた。これは図録を見ながら触れてみたい。

 図録は充実しているようだ。図録なとば次回もう一度来館した折に購入することにした。
 今回展示を見て、前々から感じていたことを再確認した。それは私の頭の中にある松本竣介という画家にふたつの流れ、あるいはふたつの指向があったのではないかということをあらためて実感した。
 そのひとつは戦後に展開を始めたばかりで竣介の突然の死で中断してしまった。「ランプ」(1948)や「R夫人像」(1941)、「都会」(1938)、同じく「都会」(1940)、「街にて」(1940)などの繊細な線を多用した戦前から戦後にかけて戦争の影に追いやられてしまったモダンな都会を描いた作品群。
 もうひとつは「聖橋風景」(1940)、「鉄橋付近」(1943)、「並木道」(1943)、「運河風景」(1943)、「Y市の端」(1942)などのように建物や道路など建物などの質感・重量感などを正面から描き切った重厚な都市風景。
 多分「工場」(1942)などはその両方を兼ね備えた画風かもしれないが、統一はいい結果にはなっていないように思える。
 自身と家族の像ともいわれる「立てる像」(1941)、「画家の像」(1941)はひょっとしたら後者に分類してもいいかもしれない。人物の重量感ある描写は建物に負けない重みがある。
 人物像や子どもを描いた作品もまた同様な分類ができるかもしれない。
 ここらへんり感想も含めて、もう一度展示を見、もう少し頭の中を整理してから記事を書いてみたい。



   

阿蘇山の噴火

2016年10月08日 10時46分07秒 | 天気と自然災害
 昨晩の阿蘇山の噴火情報。→【https://twitter.com/BZCN_/status/784507185237590016
兵庫まで降灰があったとの報道がある。
 気象庁の発表では噴火警戒レベルが3にひきあがったとのこと。1時55分の「噴火警報」は次のとおり。噴火警戒レベルの解説も掲載されている。

★火山名 阿蘇山 噴火警報(火口周辺)
平成28年10月8日01時55分 福岡管区気象台
<阿蘇山に火口周辺警報(噴火警戒レベル3、入山規制)を発表>
 火口から概ね2kmの範囲では、大きな噴石に警戒してください。
<噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引上げ>
1.火山活動の状況及び予報警報事項
 中岳第一火口では、本日(8日)01時46分に爆発的噴火が発生し、噴煙の高さは雲のため不明です。この噴火により1kmを超える広い範囲に噴石が飛散した可能性があります。
2.対象市町村等
 以下の市町村では、火口周辺で入山規制などの警戒をしてください。
 熊本県:阿蘇市、高森町、南阿蘇村
3.防災上の警戒事項等
 火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴う弾道を描いて飛散する大きな噴石に警戒してください。火口周辺では強風時に小さな噴石が1kmを超えて降るため、風下側では火山灰だけでなく小さな噴石にも注意してください。
<噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引上げ>
**(参考:噴火警戒レベルの説明)**
【レベル5(避難)】:危険な居住地域からの避難等が必要。
【レベル4(避難準備)】:警戒が必要な居住地域での避難の準備、災害時要援護者の避難等が必要。
【レベル3(入山規制)】:登山禁止や入山規制等危険な地域への立入規制等。状況に応じて災害時要援護者の避難準備等。
【レベル2(火口周辺規制)】:火口周辺への立入規制等。
【レベル1(活火山であることに留意)】:状況に応じて火口内への立入規制等。
(注:避難や規制の対象地域は、地域の状況や火山活動状況により異なる)

→【http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/volinfo/VJ20161008015509_503.html

 また「阿蘇山の火山活動解説資料」は以下の通り。
→【http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/fukuoka/16m10/20161008_503.pdf
5頁目の下段に「GNSS 連続観測では、草千里を挟む基線で、2016 年7月頃からわずかな伸びの傾向が認め られており、深部のマグマだまりの膨張の可能性が考えられます。」との記述がある。注目点であろうか。

講演「考古学からみた3世紀の倭国」(松本武彦)

2016年10月08日 01時43分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 10月5日(水)は、国立歴史民俗博物館の松本武彦教授の講演「考古学からみた3世紀の倭国」を聴いた。会場は本郷台駅傍のアースプラザ。
 2時間の講座は、
1.年代決定法の発達と年代観の変遷
2.考古学からみた3世紀の動き
3.3世紀の倭国の実像
という内容。

 最近は考古学や歴史学の入門書もあまり読んでいないので、考古学の年代決定法の現況についてはとてもありがたい内容であった。
 傾斜編年とその批判、年輪年代法、炭素年代法までは私も聞き齧っているが、酸素同位体による新しい年輪年代法というのは、初めて教わった。考古学の年代決定がより正確になっていることを窺うことが出来た。
 これを基礎に、土器様式、墳墓の築造年代、そして纏向型集落の出現年代などが2で語られた。さらに3で、墳墓からみた政治構造、鏡と銅鏃という威信材の違いと政治構造について説明がされた。

 刺激に満ちた講演であった。