Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

きのこ汁

2016年10月25日 22時33分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の夕食はきのこ汁としてみた。近くのスーパーに買い物に行ったとき、きのこが並べられていた。種類は多くなかったが、ヒラタケ、ぶなシメジ、大なめこが安かった。この3種に家にあるエリンギを加えて4種のキノコを用意した。
 加えた野菜はサトイモ、ニンジン、ハクサイ、ダイコン。トリのササミを加えて醤油味を基本に塩を加えて作ってもらった。
 やはりきのこ汁を食べないと秋の気分にはならない。本当はクリタケ、シイタケ、マイタケなども入れるといいのだが、結果的には量が多すぎて余ってしまうので、無理である。
 もう一品も万願寺唐辛子とエリンギの炒め物としたので、キノコ尽くしとなった。気分的にはとても充実した夕ご飯となった。

★立ち上る記憶ほこり茸の前      久永小千世
★生国の昼へ蹴り出す煙茸       柿本多映

 松茸はなかなか購入することは出来ない。ある人からいいことを教わった。松茸の吸い物にエリンギの茎の部分を松茸のように切って入れるといいのだという。食感が松茸によく似ているのだそうだ。松茸御飯にも応用できるとのこと。ひょっとしたら土瓶蒸しにもいいかもしれない。面白いので我が家でもやってみたい、と思う反面、そこまで高価なものを食べる必要はなく「食わねど高楊枝」と負け惜しみの世界に親しんでいる方が親しみも湧くような気もする。
 さてどうしたものか。

★紙のごとき松茸椀に旅なかば     中山純子

 薄い松茸が一枚入った椀を供されたのであろうか。「旅なかば」と処世訓のごとき言葉が口をついて出たのか、「いつかは」という決意が出たか。距離だけの「旅なかば」なのか、旅の時間的な「なかぱ」を指しているのか。「道なかば」ではなく「旅なかば」というのはどういう意味なのであろうか。次々と突っ込むことが出来る。それが手柄なのか、余計なことは考えない方がいいのか。

「鈴木其一展」後期展示(その3)

2016年10月25日 20時04分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 後期の展示にあった蔬菜群虫図。解説ではおおよそ次のように記されている。

「胡瓜、茄子、蛇苺を配置し、雀や赤蜻蛉、玉虫をさりげなく散りばめる構図は、若冲の動植綵絵にも類例(池辺群虫図)がある。中国からもたらされ室町以降流派を超えて描かれてきた。抱一にも類例がある。茄子・胡瓜のいずれも蕾から大きな実まで連続的に描く点は注目される。朝顔図屏風にも通じる要素で、植物の生態のリズムや輪廻を示唆する。」

 若冲の作品というのは「池辺群虫図」を指すものと思われる。若冲の作品との類似点は、深い緑の大きな葉である。また若冲の薄い緑色の瓢箪型の身の代わりに胡瓜と茄子と苺という実が配されている。



 相違点は当然多くあるが、特徴的なのは胡瓜と茄子と苺に蕾から花、初期の実から熟れた実までが表現されている点。解説では時間の経過が含まれていると表現されているが、一つの株にさまざまな形態が混在するので植物に着目する限り、一概に異時同図とはいい切れないと思う。しかし変化に着目していることは確かであろう。
 さらに大きな違いは、若冲は蛙の生態に着目している。同じ蛙を幾体も描き、さらにお玉杓子を描いている。卵やお玉杓子の形体変化は描いていないので、二つの形態のみである。一応蛙の形体変化という時間軸は描いてるが、時間の推移という意識は希薄だと思われる。さらに蝶と蜻蛉、蝉を除いて蛇、蜥蜴、蝸牛、百足、家守、蜘蛛などどちらかというとあまり歓迎されないものの占める割合は高い。おそらく釈迦三尊像を中心とした浄土世界という宗教的な救いの世界のひとつでもあるのが、其一の群虫図との差であると思われる。
 其一の群虫図は三種の植物のほかは雀をてっぺんに描き、食物連鎖の頂点に雀を配置している。動物は若冲の蛙のようにいくつもの固体は描いていない。若冲の群虫図がいわゆる虫が中心であることに比して、其一の作品は植物の諸相が中心的な主題であるといえよう。
 また両者ともに赤蜻蛉が描かれているが、其一の方が赤蜻蛉は目立つ。この赤蜻蛉1匹で虫の現われ方の季節的な変化を象徴させているのだろうか。
 さらに根や土がこの作品では省かれている。朝顔図屏風と同じである。支えの笹も宙に浮いている。根なし草のようでもあるが、細かい苺の葉の描き方で、安定感を確保しており、どこか不思議な印象を受ける。
 私は其一の作品の特徴はその配色の妙であると思う。苺の赤を底辺に4つ並べ、赤蜻蛉の赤を上位に1点のみ置いてバランスを取っている。
 また茄子の実の藍と花の薄い紫が下半分を覆い、上辺に胡瓜の黄色い花が対照的に配されている。頂点には食物連鎖の頂点である雀が白い腹を見せて配置されている。茄子の実のヘタの周囲の白、茄子の花の白い縁取り、胡瓜の花の縁の白と、白味が上に行くにしたがい強調されているように見えるのは私の錯覚だろうか。
 若冲の色の配置の特徴は、白い花と白い蛇と蛙の白い腹。そして葉の深い葉と実の薄い緑、この3種の色が円環を為している。これも面白味があるが、色のバランスという点では私は其一の色彩感覚の方が好みである。
 さらに朝顔図屏風や藤花図で触れたが、蔓の絶妙な配置が空間の広がりをより大きく見せていると思う。

 あくまでも私の好みでいえば其一の方がより計算しつくされた画面に見える。デザイン性に富むだけでなく生命力に満ちている。それはデザイン性と相反する概念に思えるにもかかわらず、其一の作品は生命感や躍動感も横溢するように見てしまう。




瞬間湯沸かし器取り換え

2016年10月25日 14時14分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午後からは講座がある、と昨晩記したがスケジュール帳を見間違えていた。酔った目には火曜日と水曜日の区別がつかなかったようだ。
 朝はまだ少し酔いが回っていた。
 18時半過ぎに横浜駅で模様替えした居酒屋に入って日本酒を2合を飲んだ。以前はあまり人が入っていなかったが、改装後は多くの人が入っていて賑やかであった。経営者も変わったように見えた。
 店員の声が威勢が良すぎるのと、人が多くなった分だけ喫煙者が隣に座る可能性が高くなったり、というデメリットがあるものの焼き鳥を中心とした料理は美味しかった。お酒の種類も格段に豊富になった。
 狭いので禁煙席と喫煙席を区別するのは難しそうなので、客の少ない時を見計らった利用するしかないようだ。

 さて、瞬間湯沸かし器の調子が悪くなり、水量をかなり強くしないとガスに点火しなくなってしまった。シンクの底に水が当たるとシンクの外までお湯が跳ね返る勢いなので、使い勝手が悪い。しかも点火後に水量を弱めて使い勝手のいい水量にするとガスが消えてしまう。これでは使えない。
 いくつかの店を探したが、結局東京ガスの代理店の看板を出している近くの店が工事費でも一番安く設置してくれることがわかった。もう17年も使っているので、取り換えもやむを得ないと判断した。
 早速14時から設置工事に来てくれるという。やむを得ないとはわかっていても、しかし予定外の4万円の出費に妻は少々不満顔。とはいっても真新しい湯沸かし器への期待もあり、複雑な表情である。


バッハ「チェンバロ協奏曲集」

2016年10月25日 13時07分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日はバッハの「チェンバロ協奏曲集」。チェンバロと指揮はトン・コープマン、アムステルダム・バロック管弦楽団。1988年から1990年にかけての録音と記されている。バッハのチェンバロ協奏曲は14曲が残されているとのことであるが、そのうちの5曲をおさめている。
 バッハのチェンバロ協奏曲はBWV1052~65までの番号が付されている。14曲の内訳は、1052~59までの8曲はチェンバロ1台用、1060~62が2台用、1063~64が3台用、1065が4台用。
 収録されている5曲の原曲を記すと、
1052 ニ短調 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
1054 ニ長調 ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調
1055 イ長調 オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調
1056 ヘ短調 ヴァイオリン協奏曲 ト短調
1065 イ短調 4つのヴァイオリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲
 特に1054は原曲がヴァイオリン協奏曲第2番として有名である。ヴァイオリンを習った方は必ず演奏したことがあると思う。
  今回聴いていてBWV1054以外に同じく1055の第3楽章が印象に残った。弦楽器のの軽快な動きが他の曲と少し違う印象を受けた。

 このCDは購入した時に聴いたはずだが、その後聴いた記憶がない。何とももったいないことではある。