Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「セザンヌ物語」について

2018年11月16日 22時15分11秒 | 読書


 明日の会議の資料づくりをしながら、「セザンヌ物語」(吉田秀和)を読んでいる。一応最後まで読んだが、残っているのは最初の節である「終りにあたってのはしがき」という「はしがき」という名の「終りにあたって」という最終部分である。音楽評論家らしく、循環する構成になったのかもしれない。
 「セザンヌ物語」という題名を目にすると何か「伝記」のような作品を思い浮かべるが、この作品は一般的な伝記などとは違う。
 一点一点セザンヌの作品と丁寧な対話をしながら、そのセザンヌの作品論をとおしてセザンヌという画家の全体を論じようとした作品である。しかもまずはゴーギャンから始まり、ドゥガを論じ、ドラクロアとゴッホに言及し、ピサロとの関係を論じ、その上でセザンヌの線と遠近法にページを割き、というように縦横無尽である。そして風景画、静物画、人物画に分けて作品を時系列で論じていく。そんな稀有の音楽評論家吉田秀和の「セザンヌ論」論である。
 久しぶりに読み応え十分の作品に接した。全部理解できたとも、また記憶したとも言えない。時間がかかった分、忘れてしまったこともたくさんある。緻密な論理と執拗とも箇条ともいえる言及に思い入れの深さばかりが印象に残っている、といってもいい。
 しかし読んだという充実感は十分味わった。

 ということは、明日の夜の会議の資料作りよりも気分はこの本に大半のエネルギーと興味を持っていかれていたということである。明日は資料作りにもっと力と意志を注ぎ込まないといけない。


フォーマルハウトと月と火星と Ⅱ

2018年11月16日 19時59分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど月と火星を見てきた。私の家のある号棟よりも南に位置する号棟の南側に出て、南の空を見上げてきた。
 火星は「月と接するように見えるはず」と昨日記載したが、思ったよりも離れていた。月の直系よりも4倍ほどの距離であった。訂正します。
 フォーマルハウトは5分ほど目を凝らしてようやく見えた。横浜の中心街のあかりでとても見にくい。東の空よりもさらに観にくかった。それでも確実に見えた。双眼鏡があれば「みなみのうお座」の他の星を追うことが出来たかもしれない。

 朝から資料作り、午後はさすがに疲れたので横浜駅まで歩いて往復して体を動かした。西口界隈も少し歩いて、往復1万歩ほど。気分的には爽快になった。
 朝のうちは陽も当たり暖かであったが、蛭すぎると全天雲が多くなり、陰ってしまった。寒苑で薄いダウンのコードを着て出たのだが、横浜駅に近づくにつれ今度は汗ばんできた。コートはリュックに詰め込んでしまった。まだ着るには早すぎた。

 喫茶店で若干の読書。「セザンヌ物語」をほぼ読み終わった。

冬の青空

2018年11月16日 12時13分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 青空が広がり、陽射しのある気持ちのいい日である。風がまったくないので、ポカポカとして暖かく感じる。10時現在で14℃となっているが、もっと気温は高いように感じる。雲が秋の雲ではないことを除けば、秋の穏やかな日に似ている。鱗雲、鰯雲、ひつじ雲と云われるような巻積雲や高積雲ではなく、おぼろ雲と云われる高層雲がところどころに見える。
 こんないい天気なのだが、朝から明日の夜の会議の資料作り。そろそろ決算の資料を作り始めなければいけない時期に来た。

 小学生の頃から、「こんなにいい天気なのに宿題がある」と嘆いていたことをふと頭をかすめた。小学生の時にかぎらず、現役の最後の時までこう感じたものだ。定年後、仕事を離れればこんなこともなくなると期待していたが、人の世にいる限りこの歎きは続くのだ。

★かぐはしき冬青空といふ奈落       柚木紀子
★櫂あらば冬青空へ漕ぎ出でむ       嶋田麻紀