明日の会議の資料づくりをしながら、「セザンヌ物語」(吉田秀和)を読んでいる。一応最後まで読んだが、残っているのは最初の節である「終りにあたってのはしがき」という「はしがき」という名の「終りにあたって」という最終部分である。音楽評論家らしく、循環する構成になったのかもしれない。
「セザンヌ物語」という題名を目にすると何か「伝記」のような作品を思い浮かべるが、この作品は一般的な伝記などとは違う。
一点一点セザンヌの作品と丁寧な対話をしながら、そのセザンヌの作品論をとおしてセザンヌという画家の全体を論じようとした作品である。しかもまずはゴーギャンから始まり、ドゥガを論じ、ドラクロアとゴッホに言及し、ピサロとの関係を論じ、その上でセザンヌの線と遠近法にページを割き、というように縦横無尽である。そして風景画、静物画、人物画に分けて作品を時系列で論じていく。そんな稀有の音楽評論家吉田秀和の「セザンヌ論」論である。
久しぶりに読み応え十分の作品に接した。全部理解できたとも、また記憶したとも言えない。時間がかかった分、忘れてしまったこともたくさんある。緻密な論理と執拗とも箇条ともいえる言及に思い入れの深さばかりが印象に残っている、といってもいい。
しかし読んだという充実感は十分味わった。
ということは、明日の夜の会議の資料作りよりも気分はこの本に大半のエネルギーと興味を持っていかれていたということである。明日は資料作りにもっと力と意志を注ぎ込まないといけない。