Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「セザンヌ物語」ようやく読了

2018年11月18日 21時19分42秒 | 読書
 ようやく「セザンヌ物語」(吉田秀和、ちくま文庫)を読み終わった。読み応えがあった。セザンヌの作品は好きである。心惹かれるものがある。しかしどこがいいのかと云われると説明に窮する。不思議である。筆致を見ると何となくぞんざいに描いているようだ。色彩も青や緑が多くばッとした明るさがない。人物や静物の構図も歪んでいて、ホッとすることはない。風景画は形が判然としないものもある。塗り残しもあり、それがどんな効果を狙ったものか、分からない。
 それでもとても気になる。吉田秀和もそこら辺の疑問から出発している。いつものとおり覚書風に抜き書きする。

「私は、ごく早いころから、セザンヌをみて、不安を覚え「どうして、こう描かれているのか。ぜ、彼の絵には、局部的に見ると一応わかっても、全体としてみると整合性が失われる不思議な画面が、こんなに多く、表れてきたのだろうか?」と考えずにいられなかった‥」
「静物画は‥テーブルのふちや脚そのほかの直線が交えられて出来上がっているのだけれど、そのほかに、直線、途中で断ち切られた直線が支配する画面も少なくない。これれは私を不思議がらせ、不安西、不快にした。同時に、これらの絵の意味は、ルネサンス以来の近代的パースペクティヴの光学の法則が犯され、捻じ曲げられたり、あるいは別の何かにより侵蝕されている事態を告げている‥」
「静物画では、空間の造形、視点の取り方が、近代的パースペクティヴのそれとは非常に違っていて‥、これらの絵は長い間みていると、軽い眩暈を覚えたり、時には頭が痛くなるようなことさえひき起こす。そのくせ、細部をきにしないでいると、そこに盛られた色彩と警鐘の豊麗さが、ほかのどんな大家の静物画でも感じたことのない身力で私をひきつけてやまない‥」「
「近代的パースペクティヴの美学、その不可分のアンシンメトリーの構図を解消しても、なお精神の勝利の刻印と呼ぶほかないような作品群が、ここに成立している。」
「晩年の《サント・ヴィクトワール山》の連らを見続けていると、単純な構図の中で、色彩がどんなに重要な役を演じているかが通関されてくる。単純な構図は、色彩の、この驚異的な表現力を遺憾なく発揮さす場をつとめる枠組のようにさえ見えてくる。色彩、それからその色彩のおき方、タッチの縦横自在な運動。」
「セザンヌの青は、印象派の外光絵画の青でもなければ、ゴッホやゴーギャンの空に見るようなデコラティヴで単純化された空の青でもない。‥あるいくつもの青を重ね合わせてつくられ、しかも透明な色の層であって、一方ではそれを透かしてカンヴァスの下地がみえるし、他方では木の葉の緑の反響がきかれる。セザンヌでは、極度に密度の高いプロシアンブルーとコバルトブルーである。この青を根音として、その上にほかのすべての色が関係づけられ、ひこから彼の色の音階が展開される。」


 最後に次のような一節がある。

「私の美術論は、このセザンヌで、クライマックスと終点を迎える。セザンヌこそ、自然のすべて、自分の外のそればかりでなく、自分の内なる自然、つまり人間精神の姿に及ぶ宇宙を、画布という資格の平面の中に把えつくすという高い志を持して生き、ついに死んだひとだった。彼こそは人物画、風景画、静物画のすべてにわたる画家であり、そのどれ一つ欠けても充分でない制作をした人間だった。彼はあくまでも自然に忠実であろうと努めながら、同時に、それが自分の精神の目を通じ、自分の精神の姿を反映したものであることをすてまいとした。そうして描かれた絵に、宇宙のすべてが一つの秩序による調和の中に、とらえられていなければならなかったのである。」

   

日曜美術館「松本俊介 静かな闘い」

2018年11月18日 11時39分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の「日曜美術館」は「静かな闘い~松本竣介のアトリエ~」。新聞のテレビ欄には「アトリエが物語る人生 戦争中の孤独な闘い 独特の暗く静かな風景」と紹介されている。
 団地の集まりがあるので、最後まで見ることが出来なかった。11月25日20時からの再放送に期待するしかない。
 しかしNHKのニュース放送のあまりのひどさに比べると、このような作品が放送されることが信じられない。このような番組もまたそのうちに作られなくなってしまうのだろうか、という危惧がどんどん膨らんでくる。悲しいことである。

 番組の紹介によると「戦争中、暗く静謐(ひつ)な風景画を描き続けた松本竣介。この程大川美術館の展覧会場にこしらえられたアトリエのモノを手掛かりに、松本の絵と人生を浮かび上がらせる。戦争中、耳が聞こえないため徴兵を免れた松本竣介は、独特の雰囲気をもつ暗く静謐(ひつ)な風景画を黙々と描き続けた。それらは今昭和を代表する名作の一つとなっている。大川美術館では開催中の企画展で、松本竣介のアトリエを会場にこしらえた。戦争の時代を、この小さなアトリエを拠り所(よりどころ)に奮闘した松本竣介。番組では、アトリエに揃えられたさまざまなモノを手掛かりに、松本の絵と人生を浮かび上がらせていく」となっている。

 再放送はビデオに録音することとしたい。

眠れなかった昨晩

2018年11月18日 09時13分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は1時半に布団に入ったのだが、なかなか眠れなかった。いったん2時過ぎに気分を変えようと白湯を一口飲み、さらに3時過ぎに便所に立ったが、その間ずっと目が冴えわたっていた。時間の流れは遅い。2時過ぎに起きたときはもう3時かと思っていたし、3時過ぎの時も4時を過ぎたと思っていた。起き出して時計を見て不思議に思った。

 3時過ぎの時は、医師から1年以上前にもらっていた眠剤を1/3錠を服用し、ようやく眠りについた。眠剤を飲むとすぐに眠れるが、短い時間で目が覚める。だいたい3時間から4時間、そして起きたときに少々頭が重く感じることが多い。本日も目覚めはあまりすっきりとはならなかった。使用するのは1年に3~4回くらいだろうか。

 昨日はどうして眠れなかったか、理由はよくわからない。久しぶりの長時間の会議で脳がフル回転で疲れたのであろうか。あるいは旅行の疲れが原因だったのだろうか。