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ルーベンス展からまずは「セネカの死」(1615-16、プラド美術館)。寝ろ皇帝の家庭教師であった古代ローマの哲学者セネカが、陰謀への加担を疑われ、自殺を強要された故事に基づいた作品。静脈切断だけでは死にきれず、毒を服し、湯を張った盥に身を沈め、絶命した逸話に基づいた作品である。
展覧会では、この絵はセネカの貌が非常に印象深く、絵から呼び止められるような感じを受けて、作品の前に止った。暗い背景の奥には何も描かれておらず、暗い背景からセネカの身体が光を放っている。キリストのように描かれている。
当時、セネカの思想がキリストに重ねられ、その死が自殺から強要された死へと変化していく。この絵でも、盥は小さく身を沈めることは無理であり、画面の右手に新たに腕の静脈を切る男が書き添えられている。
この作品、セネカの顔の表情は迫真的で、この部分はセネカ地震の手になるものらしいという。
後ろの兵士2名やセネカの身体はルーベンスらしく筋骨隆々として、ルーベンスらしいといえるかもしれない。だが、左でセネカの死の模様を筆記しているか、セネカの言葉を書き留めているような若者の表情はこの絵の全体の雰囲気からはズレている。腕が異様に太く顔や身体とのバランスが悪い。明らかに他人の手である。ルーベンスの描いた部分は少ないのではないだろうか。
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次に取り上げるのは1612年の「キリスト哀悼」。キリストの目に左手を添えでいる青ざめた女性は聖母マリア。赤いマントの男はヨハネ。一番左端の奥に頭部だけ描かれているのがマグダラのマリアらしい。
力なく足を投げ出すキリストは顔は青ざめ死の表情だが、身体はどこか生々しい。身体が異常に長く描かれており、描写力の問題ではなく、存在感を示す描き方に思えた。マリアとキリスト、そして左側の男二人はとてもリアルだと思う。だが、ヨハネを含め右側の男女5名はどこかとってつけたように現実離れして、生気がない。この人物5名はルーベンスの手ではないのではないか、と思う。
暗い教会で蝋燭の焔などに照らされていることを想像すると、左半分は浮き上がるように見るものに迫ってくるのではないか。特にキリストの進退は白く浮かび上がるように見えると思う。キリストの足の裏があまりに生々しい。見るものにキリストへの信仰心を駆り立てる、というよりも、死、について考えさせる契機となるのではないか。
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この作品については2013年の「ルーベンス展」で展示された「キリスト哀悼」(1614、アントワープ王立美術館)の作品と混同してしまった。
このときの解説では、今回展示されている「リヒテンシュタインコレクション」は、かなり質の劣る工房作である」と断定している。私はこのアントワープ王立美術館の作品が最初にあり、これが原作でいろいろと広まったり、再構成されたのかと思ったのだが、製作年代はこちらの方が後だったので、私の仮説は意味がなかった。しかしこちらの方が場面がより具体的で、リアルに感じる。とりまく人の表情も資源に仕上げていないか。洞窟を描いているところはヤン・ブリューゲル(父)の影響があるらしい。
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もう一つの「キリスト哀悼」(1601-02、ボルゲーゼ美術館)は初期のローマ滞在時の作品という。ティントレット、マンテーニャなどの影響が指摘されているという。マリア、左のアリマタヤのヨセフの描き方は違和感は少ないが、右の赤いマントのヨセフ、マグダラのマリアなどは頭部と身体があまりにバラバラに見えてしまう。こんな体のねじり方はあまりに不自然である。別人の手で書き換えられたのではないかと思う。またキリストの身体はこと切れた人間の姿態としては先ほどの作品ほどにはリアリティがない。特に左右の太ももの太さが違い過ぎる。
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これは今回展示されている「死と罪に勝利するキリスト」(1615-22、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション)。筋骨隆々として堂々たる体躯のキリストである。特に赤い衣が印象的である。
十字架上で息絶えた前作のようすからは単に「復活」しただけでなく、肉体が若くそして筋肉質に更新されたようである。目の生き生きとした精力的な青い色が見る者の心を見透かしている。この眼光では薄暗い聖堂内の墓碑画として見ると、気の弱いものは足がすくんだかもしれなまい。
十字架上に固定された釘の跡が向かって右の足の甲に見えるが、腹部の槍の傷、手の釘の跡は見ることが出来ない。
両足で踏みしめた髑髏と蛇が、「死と(原)罪に勝利するキリスト」の題の由来であろう。この蛇が極めて生々しい。下から眺めるとこの蛇の生々しさが最初に目につくかもしれない。
キリストの周囲の躍動する天使達のうちキリスト右側の天使の異様にねじれた身体は無理があり、羽も不自然であるが、向かって左のラッパを吹く天使は私にはとてもリアルに見える。ただし衣は除いて。
解説によれば、構成の補筆が広範囲に及んでいるらしく、本来の姿は失われているとのこと。
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私はこの作品でも、2013年の時の「ルーベンス展」の時に展示された「復活のキリスト」(1616頃、パラティーナ美術館)と混同した。
こちらは衣が白で、いっそう精力的に筋骨隆々としている。右わき腹の槍の傷跡、左足の釘跡がさらに生々しい。こちらの穂がキリストがクローズアップされており、眼光ももっと鋭く感じる。さらに右側の天使は若者、左の天使二人は幼児で現実味がある。また葬られた時の白い衣を右の天使が脱がしており、より「復活」のようすを劇的に描いている。
私はこちらの白い衣の「復活のキリスト」の方がよりルーベンスの描いた雰囲気が残っているように思うのだが、どうだろうか。