昨日の午後遅くに三菱一号館美術館で開催されている「フィリップスコレクション展」を見に行った。
ピカソやゴッホ、モネ、ドガ、セザンヌ、スーラなどの作品を堪能できた。
今回感銘を受けた中に、オスカー・ココシュカの「ロッテ・フランツォスの肖像」(1909)、「クールマイヨールとダン・デュ・ジェアン」(1927)。そしてハインリヒ・カンペンドンクの「村の大通り」(1953)。
ココシュカは名は知っていたが以前にどんな作品を見たか、読んだかは失念していた。作品を直に見たのは初めて。画面の明るさや構図の取り方に惹かれた。今後着目してみたいと思った。
カンペンドンクという名は失念していた。しかしこの「村の大通り」には記憶がある。第1回「青騎士」展に参加していた画家である。白い牛2頭が下辺に配置され、印象に残る作品であった。ポストカードは購入しなかったが、8枚つづりのカードに取り上げてあった。何かの解説書で目にした記憶がある。小さな子供とこの絵を見ながら会話をすると面白い。
チラシの裏面に掲載されているピエール・ボナールの「棕櫚の木」(1926)、「リヴィエラ」(1923)、チラシ裏面の「犬を抱く女」(1922)にも惹かれた。ボナールは横浜美術館での「ヌード展」で認識を新たにした画家である。
「棕櫚の木」はリンゴを持った妻マルトが下辺の真ん中に立っている。棕櫚はリンゴの木ではないが、妻が持つリンゴによってたぶんアダムとイブの関係なのであろう。ボナールがどのような信仰を持っていたかはわからないが、リンゴの木を契機とした原罪としてのイヴとアダムが無ければなかった人間の歴史を肯定的に捉えている作品に思えた。
「犬を抱く女」の赤に白の縦じまの服装と斜めに俯く姿勢の人物像が印象的である。意識的な描かれたと思われる、背景の中央にある縦の模様(柱?)と人物の頭、犬の頭、ボトルの楯の線が俯きの人物をきわだたせている。
ジョルジュ・ブラックの作品に7点も会えたのは、嬉しかった。「レモンとナプキン」(1928)、「ブドウとクラリネットのある静物」(1927)、「円いテーブル」(1929)、「ウォッシュスタンド」(1944)、「驟雨」(1952)、「フィロデンドロン」(1952)、「鳥」(1956)の7点。7点と数が多いわりに年代的に1920年代と1950年代の作品に偏っている。「ウォッシュスタンド」を除いて。コレクターの意志の表れなのだろうか。それとも今回の展示企画者の思いなのだろうか。
「ブドウとクラリネットのある静物」、「ウォッシュスタンド」の2枚のポストカードを購入した。構図的には縦長のウォッシュスタンドに惹かれる。
「ブドウと‥」はテーブルの上に回想上に積み上げられたかのような生物の配置が、不安定どころか安定したものとして私の目に飛び込んできた。色彩のバランスにも惹かれた。カードの最下段にある「驟雨」は不思議な風景画である。右端に描かれた太陽光線のあたった雨、中央左寄りの人工物としての自転車の細い線、そして畑かと思われる黄色空間を書こうフェンスと思しき金属。いづれも人工物が細く、よわよわしく描かれている。どういい世界を描こうとしたのか、興味が尽きない。
ジョルジュ・ルオーの作品が1点あった。「ヴェルレーヌ」(1939)。
いかにもルオーという作品だと思う。どうしてこのようにルオーの作品を見ると親近感が湧いてくるのだろうか。
なお、配布していたA4一枚の厚紙に印刷された8枚組のカードは、二種類あったようだが、当日は1種類しかなかった。