Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ルーベンス展」(国立西洋美術館) 3

2018年11月22日 23時12分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ルーベンスの作品は、その躍動感が命だと思う。動きのある人間の姿態は時に劇的にあまりに誇張しすぎるきらいもある。「キリスト昇架」、「キリスト降下」「聖母被昇天」などはどちらかというと抑え気味にした躍動が見るものを感動させる好例だと思う。結構誇張のあまり、危うい均衡を保ってもいるのもあるのではないか。
 1604年頃の「パエトンの墜落」(ワシントン・ナショナルギャラリー)は、人も馬も極めて劇的で現実離れした描き方をしている。しかし現実感が保たれた作品である。
 日本では「イカロスの墜落」としてブリューゲルに帰せられる作品がある。私はこのイカロスとパエトンとの関係はよくわからない。
 図録の解説では、同じくオウィディウスの返信物語に基づいた話として、太陽神アポロの戦車を暴走させたために、太陽の熱で地上が焼き払われ、ジュピターが雷でパエトンを撃ち殺し、戦車の暴走を止める、というもの。
 パエトンと馬車の馬が図の右下側に真っ逆さまに墜落している様子が描かれている。雷が右上から中央をとおって左下に貫いている。馬は墜落しつつ遁走し、女神たちは驚愕している。
 図録の解説によると闘いの場面を想定しながら描いた可能性があり、イタリアでの学習成果のひとつということになっている。この初期のころからルーベンスの躍動的で劇的な作品の特徴が発揮されたのであろうか。
 右下の焼かれた地上よりも雷の光の方が明るくそれで照らし出された光が、劇的な要素をさらに強調しているようだ。その光から外れて一番暗い場面に、雷に打たれたパエトンを配置するという効果が魅力的であると思う。




 1638年頃の「聖アンデレの殉教」(カルロス・デ・アンパレス財団)は今回の展示でいちばん印象に残った作品であった。ルーベンスの死の前年の完成で、ルーベンスが60歳を過ぎた頃の作品である。
 十二使徒のひとりのアンデレがローマ総督によって十字架に磔にされ、取り巻いた群衆がアンデレの教えに教化され総督を脅したため、総督がアンデレを十字架から下すように命じた。しかしアンデレは降りることを拒否し、天から光が射し、昇天したという言い伝えを描いた作品。
 宗教画や神話というのは、信仰しないものには理解が困難な筋も多い。しかし信仰を糧に多くの芸術家がさまざまな解釈を独自に加え、人間的要素、劇的要素を加えて抱負かしたこともまた事実であろう。逆に信仰ゆえに普遍性を喪失したもの、他の信仰を持つものからは敵意を増幅させたものもある。
 ルーベンスなどの作品が現代にまで残るのは、信仰に基づく説話や神話に普遍的な人間の要素を加えものが、現代のわれわれに通じる何かをもたらしたということであると理解している。その普遍性に惹かれるものや、現代性を垣間見ることで、私たちは鑑賞している。
 アンデレという理想や信念に生きようとした人間の意思のありよう、それをとりまく人間の表情、アンデレの思想に共鳴してしまった総督の妻の存在が右端の総督の表情を困惑と逡巡とで目がうつろである。またアンデレは「聖人であること」にこだわり、その矛盾したともいえる生き様に恍惚としている。
 生きて教えを広めるのではなく、死によって思想の正しさを達成せざるを得ない生き方、というのは残念ながら私の選択するところとは違う。総督の右手の力の無さも「どうしてたら良いのか」という逡巡を表わしているようだ。乗っている馬すら戸惑いを見せているようだ。
 左端の女性を除いた人物全員が、この劇的な物語の語り部としてどこかでモヤモヤとしたものを語っているようだ。綱とを解いてアンデレを下ろそうとする人物もその行為が完結しないものかしさにいらだち、総督の妻も助けたい意志と助けられない現実、釈放を決断した夫に対する評価とそれが報われない苛立ち、赤子を抱いて傍観しているような女性の不思議そうな表情、さまざまな人物が描きこまれている。
 なお、左端の青い布をまとった女性は聖母マリアではないだろうか。あらゆる人間の困惑や戸惑いや悩みを引受けるマリア信仰がここに収斂していると思う。天の光と地上の対極に位置しており、その視線は天の神に向いているというよりも、総督を見ているようでもある。総督が救いの対象であるかのようだ。



 ルーベンスの師であるオットー・ファン・フェーンにも「聖アンデレの殉教」(1594-99、シント・アンドリース聖堂)という作品がある。この作品の影響を受けていると解説には記されている。しかし師の作品はあまりに静的で、ドラマ性の感じられない。いかにも中世的な作品である。信仰の場での作品としては成立するのであったろう。しかしルーベンスは、人間としてのドラマを描きたかったのであろう。この作品が現在も生き続ける根拠がわかる。

「トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティックロシア」展

2018年11月22日 19時15分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の講座は「キーワードで観る美術鑑賞」という5回連続の講座である。毎回美術展のチラシを配布してくれる。今回配布されたチラシに、明日からBunkamuraザ・ミュージアムで始まる「国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティックロシア」があった。

 この美術展はノーチェックだった。このチラシによるとトレチャコフ美術館展は約10年ぶり、と記してある。しかしイワン・クラムスコイの「忘れえぬ女」(1883)は強く印象に残っており、そんなに昔だったかと首をかしげた。たぶん画家個人の展覧会以外は図録は購入しないので、このときも図録は購入していない。

 このチラシに掲載されている作品は、どれもが魅力的だと思った。とりわけ、アブラハム・アルヒーポフ「帰り道」(1896)、イワン・シーシキン「正午、モスクワ郊外」(1869)に惹かれた。前者の情感があり、見ていて飽きない物語があるようだ。後者はオランダの風景画を思い浮かべた。

是非訪れたいと思う。

久しぶりに地下鉄の遅延に出くわす

2018年11月22日 18時23分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 講座が終了した後、歩いて横浜駅まで。喫茶店で1時間ほど読書と昼寝。昼寝の方が長かったかもしれない。

 そしていつもの眼科に寄ろうと地下鉄のホームについたら、どうも様子が怪しい。地下鉄の車両が上り・下りともホームに止まったまま動いていない。人はそれほどホームにも電車にもおらず、静かにしている。
 通信系統の不具合で、運転を見合わせている旨のアナウンスが繰り返されていた。ボーっと歩いて改札を通り過ぎたので、アナウンスに気がつかず、さらに改札口にあったと思われる掲示にも注意が向かなかった。
 ホームで待つこと、約20分ほどだったろうか。快速のあとに普通がすぐに来てホッとした。17時を過ぎていたら電車やホームからは人が溢れ、大騒ぎだったかもしれない。20分待たされたのは残念だったが、ラッシュ時ではなかったのはさいわいであった。
 退職してから初めて乗っている電車の地温・運転見合わせに遭遇したと思う。


心地よい睡眠

2018年11月22日 17時26分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は1時過ぎに布団に入った。すぐには寝付けなかったものの、眠剤は飲まずに多分30分以内には寝入ったと思われる。7時半過ぎに目が覚めた。6時間は寝たと思われる。寝る時間をもう30分ほど早めにできれば、いい具合であろう。
 目覚めたときの気分は上々。講座の開始時間15分前に会場に無事到着。

 本日は今季一番の冷え込みであったとテレビで先ほど気象予報士が延べていたようだ。横浜では15時過ぎの14.3℃が最高気温になるようだ。そして13時半ころに少し雨がパラついた。傘は持参したものの、リュックから取り出すことはなかった。
 桜木町駅や横浜駅界隈で行き交う人はすっかり冬支度で厚いコートを着ていた。私はいつものとおり碓井ダウンのコートの下は、長祖での開襟シャツ1枚。桜木町駅から横浜駅まで歩いてうっすらと汗をかいた。