本日は何をするわけでもなく、モーツアルトのピアノソナタのCD2枚をそれぞれ2~3回ずつ聞き、藤沢周平の俳句と、俳句に関するエッセイを収めた文春文庫「藤沢周平句集」を眺め、妻の買い物のポーターを務めてぐずぐず過ごした。
休養日&休肝日としてはこんなものか。一日家に閉じこもるよりは、買い物につきあい往復8千歩近くを歩いたのはたいしたものであるかもしれない。
☆「(長塚)節の作品がとらえている自然ほど、なつかしいものはない。私が歌人の中で、ただ一人節とその作品を記憶するのは、その作品の中に、いまは次第にほろびつつある郷里の自然、機械はまだ登場せず、いたるところに神と人間との合作ともいうべき風景が見られた村を、まぼろしのように見るせいかも知れない。」(「「海坂」、節のことなど」)
句集より
★膚痩せて死火山立てり暮の秋
★軒を出て狗(いぬ)寒月に照らされる
★桐の花踏み葬列が通るなり
★病葉が晴天高きより落ち来
★天の藍流して秋の川鳴れり
★百合の香に嘔吐す熱のゆゑならめ
★メーデーは過ぎて貧しきもの貧し
★磨滅するしるべに道に落葉降る
★黒南風の潮ビキニの日より病む
★こがね蟲面を逸れし鋭さよ
★野をわれを霰うつなり打たれゆく
★わが虚飾砕かれて咳飛び出づる
★ひかりなき鐘もま白き梅のひま
★眠らざる鬼仰ぎみる冬銀河
★曇天に暮れ残りたる黄菊かな
☆「芭蕉にはまだとこか模糊としたところがあって、明確な顔が浮かんでこない。蕪村は明快だが、明快すぎて人間的な体臭が希薄なように思われる。‥一茶は、必ずしも私の飲みではなかった。私はどちらかと云えば蕪村の端正な句柄に、より多く惹かれていた。」(小説「一茶」の背景)