Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「藤沢周平句集」から 一

2019年01月27日 22時35分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 本日は何をするわけでもなく、モーツアルトのピアノソナタのCD2枚をそれぞれ2~3回ずつ聞き、藤沢周平の俳句と、俳句に関するエッセイを収めた文春文庫「藤沢周平句集」を眺め、妻の買い物のポーターを務めてぐずぐず過ごした。
 休養日&休肝日としてはこんなものか。一日家に閉じこもるよりは、買い物につきあい往復8千歩近くを歩いたのはたいしたものであるかもしれない。

☆「(長塚)節の作品がとらえている自然ほど、なつかしいものはない。私が歌人の中で、ただ一人節とその作品を記憶するのは、その作品の中に、いまは次第にほろびつつある郷里の自然、機械はまだ登場せず、いたるところに神と人間との合作ともいうべき風景が見られた村を、まぼろしのように見るせいかも知れない。」(「「海坂」、節のことなど」)

 句集より
★膚痩せて死火山立てり暮の秋
★軒を出て狗(いぬ)寒月に照らされる
★桐の花踏み葬列が通るなり
★病葉が晴天高きより落ち来
★天の藍流して秋の川鳴れり
★百合の香に嘔吐す熱のゆゑならめ
★メーデーは過ぎて貧しきもの貧し
★磨滅するしるべに道に落葉降る
★黒南風の潮ビキニの日より病む
★こがね蟲面を逸れし鋭さよ
★野をわれを霰うつなり打たれゆく
★わが虚飾砕かれて咳飛び出づる
★ひかりなき鐘もま白き梅のひま
★眠らざる鬼仰ぎみる冬銀河
★曇天に暮れ残りたる黄菊かな


☆「芭蕉にはまだとこか模糊としたところがあって、明確な顔が浮かんでこない。蕪村は明快だが、明快すぎて人間的な体臭が希薄なように思われる。‥一茶は、必ずしも私の飲みではなかった。私はどちらかと云えば蕪村の端正な句柄に、より多く惹かれていた。」(小説「一茶」の背景)



モーツアルト「ピアノソナタ第11番、第12番ほか」

2019年01月27日 20時43分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 恥ずかしながら、午前中にアップした記事の表題を「ピアノ協奏曲‥」と記してしまった。「ピアノソナタ」の間違いである。何とも恥ずかしい。訂正した。
 さて夕方からはやはりモーツアルトの「ピアノソナタ第11番イ長調『トルコ行進曲つき』 K.331、第12番ヘ長調 K.332、幻想曲ニ短調 K.397」。
 このCDは午前中のCDに続いてよく聞く。特に幻想曲K.397は幻想曲K.475の直前に作られたといわれ、魅力に富んだ曲である。
 「演奏は一度限りの出来事である。演奏会行き、その時しか聴けない演奏に耳を傾け、その余韻にひたり記憶を探る楽しみは、音楽を聴く本来の姿勢であろう。少なくともエディソン以前はそうであった。レコードの出現が事態を一変させてしまった。‥音楽は、何度繰り返して聞くことが可能であっても、その1回1回が唯一の体験でりたい。レコードも、聴いた後の一瞬の静けさを生かしたいものである。‥自分のレコーディングの際も、完璧なものを記録に残すというより、まず生きた演奏を録音することを心がけたつもりである。モーツアルトの曲を、ある演奏家がある日弾いた演奏として聴いて戴ければ幸いである。」(内田光子)

   

モーツアルト「ピアノソナタ第14番、第17番外」

2019年01月27日 12時13分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 休養日兼休肝日の本日、朝の起床は何と9時半。寝たのが2時半だったので、7時間布団の中にいた。ぐっすりと寝た。昼間喫茶店で1時間半近くも寝たにもかかわらず、気持ちよく寝た。
 「夢を見ない」と私は以前から記している。時々夢を見たと思われる気持ちが目覚めたときにあるが、その夢を記憶していることがまったくないのである。それを私は「夢を見たことがない」と表現している。
 本日はその夢を見たという痕跡もない。夢を見たらしいときというのは、目が覚めた時、どこかもどかしいような、不達成感が多く残っている。気分がすっきりと晴れない。どこかで重石を引きづったように目が覚める。何かを見たような気分で懸命に思い出そうとするが、何も思い出せない。そこに関わっていると一日気分が落ち込んでくるので、思い出すことをやめてしまう。



 さてすっきりと気持ちよく目覚めて本日、モーツアルトを聴きたくなった。棚から取り出して来たのが、内田光子のピアノの1984年の録音による版。「幻想曲ハ短調 K.475」、「ソナタ第14番ハ短調 K.457」、「ソナタ第1番ハ長調 K.279」、「ソナタ第17番ニ長調 K.576」がおさめられている。この内田光子によるモーツアルトのピアノソナタについてはこのCDを聴くことが多い。
 幻想曲のアダージオ、第14番の第2楽章が私の好みである。二つの曲はベートーベンに大きな影響を与えたといわれている。
 第17番はモーツアルトの最後のピアノソナタと云われている。最後の唐突ともいえる終わり方が何とも不思議である。
「時代が移り、思想や生活様式が変わり、和声の常識がくずされ外部からの刺激がますます強くなっても、音楽は人の内と語り合って生きていく」(内田光子)。