私が成人式を迎えたのは、1972年の1月。もともと参加する気持ちなどなかった。学生時代は住民票を仙台に移していたのだが、案内は来なかったように思う。あるいは記憶がないだけかもしれない。
当時は政治不信の時代、政治家である市長の訓示に反発する学生が多かった。行政主導の成人式典の在りようそのものにも批判が多かった。私は、成人式そのものがピンとこなかった。大学のバリケードの維持に邁進していて、基本的には成人式など無視をしていた。
バリケードの中での食事の買出しで、仙台市の成人式典の会場をたまたま通り過ぎた時、ちょうど式典から出てきた振袖姿の女性たちが集まっていた。中に生まれたばかりの赤子を抱いている女性が談笑しているのを間近に見た。そのとたん私は、「私の運動や主張は彼女たち、彼たちには届きようもないな、無理なのだな」と思ってあらあらためてショックを受けた。
成人式が彼女たちにとっては人生の大きな節目なのであったろう。成人式に対する不信が、あくまでも個人的な感慨にとどまっていた。分かってはいたが、彼女たちの心には届かないことを、眼前に具体的に突き付けられた気分になった。
私たちの思いを伝えたところで、また理解してもらったとしてもどうなるものでもないことも十分承知をしていたつもりである。
そんなことをふと思い出した。成人式典会場での感想をどう自分の中で処理をしたのかは覚えていないが、どこかでつながるような地に足のついた生き方をしたいと思ったことは確かである。
68歳に間もなくなるが、未だに成人式というものが私には理解できない。やめてしまった方がいいように思っている。私の子どもは、20歳の誕生日に正装した写真を撮影して、世話になった親族に「何とか20歳になりました」と報告した。あとは本人に、社会人としての自覚を求めただけである。子どもがどのように私の気持ちを受け取ったか、確かめてはいない。
本日は横浜市の港北区にある興禅寺というお寺に行ってきた。七福神の福禄寿が松ってあるとのことであった。市営地下鉄の高田駅から歩いて10分ほどであったろうか。少し遠回りしてお墓を一周してから境内へ。
境内を一巡りしてから、速足で地下鉄の駅でとなりの日吉本町駅と日吉駅の間にある金蔵寺を訪れ寿老神を巡った。その足で日吉駅経由で帰宅。
出かけるのに手間取り、時間が少なく、金蔵寺までは小走りで向かった。金蔵寺は40年ほど前に甘酒を振る舞ってもらったが今回はすでに七福神ののぼりばたもなく静かな境内。むかしは幼稚園を併設していたが、いまは幼稚園は廃園となったいた。代わりに立派な葬儀場が建っていた。園児を集めるのが難しくなったのであろう。時代の流れというのであろう。
興禅寺で写真を撮影してみたが、しかし抗してみると如何にピントが甘いかよくわかってしまう。
あまりに情けないものがある。落ち着いてピントを合わせたいものに合わせるということがまるで出来ていない。
落ち着きのない自分が嫌になる。

境内を一巡りしてから、速足で地下鉄の駅でとなりの日吉本町駅と日吉駅の間にある金蔵寺を訪れ寿老神を巡った。その足で日吉駅経由で帰宅。
出かけるのに手間取り、時間が少なく、金蔵寺までは小走りで向かった。金蔵寺は40年ほど前に甘酒を振る舞ってもらったが今回はすでに七福神ののぼりばたもなく静かな境内。むかしは幼稚園を併設していたが、いまは幼稚園は廃園となったいた。代わりに立派な葬儀場が建っていた。園児を集めるのが難しくなったのであろう。時代の流れというのであろう。
興禅寺で写真を撮影してみたが、しかし抗してみると如何にピントが甘いかよくわかってしまう。
あまりに情けないものがある。落ち着いてピントを合わせたいものに合わせるということがまるで出来ていない。
落ち着きのない自分が嫌になる。







本日・明日と世の中は連休。現役や若い世代が楽しむ連休中の混雑をひどくするようにはしたくない。わずか一人、二人の高齢者が出ていかなくとも混雑には変わりはないが、そもそも混雑の中に行きたくないのが本音である。
私たち夫婦がひっそりと外出を楽しむとすれば、三が日に行った七福神巡りくらいが無難ではなかろうか、というのが先ほどまでの夫婦の会話である。若い人が訪れていることも少なく、混雑もしているとは思えない。人出があったにしても夫婦二人がその混雑を増幅することもないと思われる。
そろそろボチボチと‥。
七福神網では新年の季語。解説では元旦から七日までとある。果たしいこの記述、性格なのだろうか。
★何もかも捨てて生きたし七福神 藤井静三
私たち夫婦がひっそりと外出を楽しむとすれば、三が日に行った七福神巡りくらいが無難ではなかろうか、というのが先ほどまでの夫婦の会話である。若い人が訪れていることも少なく、混雑もしているとは思えない。人出があったにしても夫婦二人がその混雑を増幅することもないと思われる。
そろそろボチボチと‥。
七福神網では新年の季語。解説では元旦から七日までとある。果たしいこの記述、性格なのだろうか。
★何もかも捨てて生きたし七福神 藤井静三