Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング再開

2019年01月20日 22時43分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は団地での打合せののち、買い物担当として横浜駅まで出かけて、いくつかの食材を購入。喫茶店で佐藤鬼房の小さな句集を詠み終えた。あと1回ほど句を取り上げて終了ということになってしまう。ネットでは12の句集すべてについて佐藤鬼房の自選句が網羅されていた。これは後ほど読む機会があればいいのだが。

 昨日は運動と云えるようなウォーキングをしなかった。これより30分ほど出かけてくることにした。昼間の暖かさが残っていれば嬉しいのだが。

 明日の午後は市立病院へ行って診察を受ける日である。午前中は可能ならば眼科で緑内障の点眼薬を処方してもらいたいとは思っている。
 病院はインフルエンザにかかりる確率の高いところだといわれる。せめてマスクでもして行こうと思う。自衛となるか、ならないか、不明であるが‥。

ハサミとカッターナイフ

2019年01月20日 21時21分23秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 1975年に就職したての頃、模造紙大の紙を切る作業が必要になった。私は当然にもカッターナイフと大きなスケールないし物差し、そしてカッターナイフを使う際の下敷きとなるものがあると思って、当時の庶務担当、消耗品管理をしていた先輩の高齢者にその旨を伝えた。そうすると「何を言っているんだ?」という顔をされた。
 「ここにはそんなものがあるわけがない。ハサミがある」と云われた。当時は技術職員は設計書の添付図面に青焼きの図面を利用しており、模造紙大の紙は供えられており、必要に応じて切ったりしていた。当然カッターで処理をしているものと思って技術職員に聞いたら「ハサミしか買ってくれない」とのこと。ハサミを利用して必要な大きさに揃えていたり、折り目を強くしごいて手で切っているとのことであった。私は驚いた。
 ハサミで切るとまっすぐには切れない。入札用にいくつも設計図書の添付図面を作るにも大きさがバラバラになる。カッターナイフを丁寧に使えば、少なくとも青焼き用に紙でも10枚はまったく同じ大きさに揃えることが出来る。
 若い技術職員は、何回か折りを繰り返して手で紙を裁断して、出来るだけ大きさを揃え、切り口が一直線になるような努力もしていたのだ。
 事務職員の係では紙を裁断することはあまりない。自分たちが必要ないから購入しない、ということがまかりとおっていたことに私は唖然としたことがある。
 その日、技術職員と居酒屋で飲みながら。まずは技術職の係長をとおしてカッターを購入することを事務職の係長に申し入れさせてみることで、話をまとめた。それで要望は適った。

 そのときの会話で、「事務職はハサミ、技術職はカッターを使いたがる」という話が出てきたのを記憶している。その時は「そんなものかな」と思って聞いていたが、この後の経験ではよくあたっているような経験を幾度もした。
 新卒の学生でも文系の学生は「紙を切る」というとまずハサミを思い浮かべると聞いた。工学系の新卒の学生は私の知る限り「カッター」だという。こんなことですら理系と文系の差があるのかと未だに不思議に思っている。
 そして学生時代、立て看を作るときにどうしても模造紙の半端が出るのだが、私は折り目を3~4回ほどしごいて破っていた。ハサミを使わなかった。しかしどうしてもハサミを使いたがる友人もいた。ただし党派や寮やサークルによって細かいことは違いがあったことは覚えている。
 私がカッター使うきっかけは、中学校の美術の授業である。美術の教師はカッター派であった。今思うとちょっと変わった美術の先生だったのかもしれない。

 そして妻はハサミばかりを使う。私はカッターナイフばかりをつかう。二人の癖はいつもまじりあうことはなく、平行線である。


「佐藤鬼房句集」から 5

2019年01月20日 11時11分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 句集「半跏坐」から
★凍(しば)れ日の破船に据わるわが素首
★曼殊沙華噴き出で逃げ場なき齢
★魔の六日九日死者ら怯え立つ
★砂に陽のしみ入る音ぞ曼殊沙華
★野葡萄や死ぬまで続くわが戦後
★痛むゆゑ背骨がわかる寒の雨
★ふりむかぬ鬼籍のひとや朴の花
★一湾の眺めを肴年忘れ


 句集「瀬頭」から
★煩悩はむしろ生きがひ日脚伸ぶ
★落葉焚本物の吾などは死に
★いくつもの病掻きわけおでん食ふ


 第3句、「六日九日」は広島・長崎の原爆の日のこと。その犠牲者たちがなぜか「怯え」立つのか。すでに亡くなった犠牲者知多はいつになったら「怯え」ずにその死でもって自ら立つことが出来るのか。彼らは原爆によって亡くなり、戦後の在りようによって二度目の死を体験させられていないか。死を二度死ぬ、この句には果たして亡くなった方に何回死を押し付けるのであろうか。
 第4句、あの曼殊沙華の燃え立つ色は、太陽の陽が砂にしみいる音であるという把握。死を象徴する曼殊沙華の咲く地面の砂に、太陽の陽は、作者の紡ぐ俳句のように死に届くのであろうか。
 第5句、このように生きてきた人びととどう心を通わせることが出来るか。
 第9句のように私も生きてきた。現にそのようにして生きている。そして第10句のように若い時に抱いていた「本物の吾」への志向にもかかわらず、結局は「本物の吾」などは存在していないこと実感している。そんな年の取り方をした。