Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

コーヒーの味

2019年01月28日 23時26分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今日の午後、関内のむかしよく入った喫茶店でコーヒーを飲んだ。関内で昼から午後にかけて会議がある時に、食事のあとによく利用した。退職後も2度ほど入った。昔風の少し照明を落とした木目の黒光りした椅子やテーブルが懐かしい。
 いつものとおりマンデリン450円を注文した。値段がこの10年以上変わっていないように記憶している。店の中は暖かく、級風注意報の出ている寒い外から入ると眠気に誘われそうになったが、30分ほど読書タイム。
 しかしマンデリンのはずのコーヒーなのだが、どうも酸味が強く、そしてコクを感じなかった。いつものマンデリンの味とは違うのだが、そんなに舌に自信はないので、そのまま飲んだ。それとも私の覚えている味が違うものなのか、単に本日の舌の具合が悪かったのか。
 ただし、落ちついた雰囲気と暖かさに満足したので、気持ちよく支払いを済ませて店をあとにした。
 だが、あのコーヒーの味は今思い出しても違う豆だったように思う。

 先ほど、夜のウォーキングを30分ほど行ってきた。風は止み、思ったほど寒くなかった。明日の予報は11℃で本日より2℃低い。本日感じた寒さは強い北風によるものであったことがわかる。

年度末の慌ただしさがそろそろ

2019年01月28日 20時30分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 会議終了後の居酒屋お付き合いは回避、早めに帰宅した。とくに具合が悪いわけではないが、やはり家で食事をするのがうれしいものである。

 所用は早く済んだのだが、県立歴史博物館は月曜なので休館日であった。月曜日だということをすっかり失念していた。県立博物館に着いて「休館日」の標示をみてがっかり、同時に自分のうっかりミスにがっかりした。

 本日は風がとても強く冷たかった。関内近辺で歩いているときにビル風にあおられて野球帽が飛ばされただけでなく、向かい風となった寒風が行く手を阻み、まっすぐに進めなくなった。さらに道路上を細かい砂粒が正面から吹き付けて、目も開けられずしばらく立ちすくんだ。近くのビルのロビーに駆け込んで、しばらくの間、風を避けた。

★北風に吹かれて星の散らばりぬ     今井杏太郎
★ふたりして岬の凩きくことも      大木あまり


 明日は特に予定が入っていなかったのに、本日急遽明日の会議が飛び込んできた。午後から出かけなくてはいけなくなった。年度末に向けてどこか慌ただしくなってきた。

気持ちのゆとり

2019年01月28日 11時05分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝は団地で業者と立ち合い。昼前には家を出て、横浜駅、関内駅傍で所用を済ませてから夕方からの会議のために石川町にある組合の会館へ。時間にはゆとりのある一日のスケジュールである。

 可能ならば、神奈川県立歴史博物館で、「かながわの遺跡展 潮風と砂の考古学」を見たい。友人が「おすすめ」とメールを送ってくれた。

 夕方の会議の前のコーヒータイムは、どのような飲み物にしようか、コーヒーか、紅茶か。明るい喫茶店がいいか、薄暗い隠れ家のような喫茶店がいいか、いろいろ思い描くのもまた楽しい。

 会議終了後は、久しぶりに参加者といつもの居酒屋にいくつもりでいる。居酒屋で飲むといっても、本日はまだウーロンハイ1杯くらいでのお付き合い程度にしておきたい。昼と夜の2回とも外食というのは退院後初めて。家にいるときと特に変わったものを食べるわけでもないが、何となく緊張する。
 問題は昼食の量。お店に入ると量が多すぎる上に高いので、コンビニでおにぎりか量の少ない小さな弁当を探すことになりそう。小さい時にずいぶん食べた魚肉ソーセージが食べたいので、1本くらい購入したい。しかしスーパーではだいたい3本か5本まとめて売っている。これでは多すぎる。

「藤沢周平句集」から 二

2019年01月28日 07時21分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連


☆「・チエホフを読むやしぐるる河明り 「雪櫟(ゆきくぬぎ)」 場所は(鶴岡でもハンブルクでも、ラトビアのリガでも、バリでも)差し支えない。ただしそこにはかならず読みかけのチエホフから火照った顔をあげて、雨後のほの暗い河明りを見つめる若者がいるだろうと思わせるところに、この句のなみなみでない普遍的な奥行きがある‥。‥そこに顔をのぞかせているのは、多分永遠の青春性といったものであろう。」
「・曼殊沙華みな山に消え夜の雨 「浮鴎」 私は森澄雄の俳句を、どことなく西欧的な感触を持つ硬質の抒情といった印象でおぼえている‥。‥森の風景句には、シュールレリスムの画家たちの絵にみるような一種の光沢のある色彩、陰翳を拒否した明るさがあった‥。その印象鮮明なわりには、やや平面的な風景把握に転機がおとづれるのは、第二句集「花眼(かがん)」からであろう。森は高名な「雪嶺のひとたび暮れて顕はるる」、「餅焼くやちちははの闇そこにあり」といった句で、風景の重層的な仕組み、るいは心象がとらえる事柄の内部風景にまで踏み込んで作句することになる。‥われわれは森の句にみちびかれて、ようやく夜の雨の闇のかなたになお濡れながら咲く曼殊沙華をみるのである。」(青春と成熟 -鑑賞・森澄雄の風景)

★「私は郷里の初冬の風景が好きなのである。暗鬱な雲が垂れこめ、空は時どきそこから霙やあられを降らせる。そして避けるとしか言いようがない雲の隙間から、ほんの僅かの間日が射し、黒い野や灰色の海を照らし出す。そういう日日の反復のあとに、ある夜静かに休みなく雪が振りつづけ、朝になると世界が白くなっているのである。初冬に至って、私が生まれ育った土地は、他の土地と紛れるところのない、まさにその土地であるしかない相貌をあらわすのである。
 郷里では私はふだんより心が痛みやすくなっている。人にやさしくし、喜びをあたえた記憶はなく、若さにまかせて、人を傷つけた記憶が、身をよじるような開墾をともなって蘇るからであろう。‥郷里はつらい土地でもある。私はその夜、めずらしく途中で目ざめ、また海の音を聞いた。‥。★冬潮の哭けととどろく夜の宿  ★野をわれを霙うつな打たれゆく」(初冬の鶴岡)