Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「佐藤鬼房句集」から 2

2019年01月17日 22時07分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 句集「夜の崖」から

★爆音下水かがやいて蟻溺る
★遠く呼びあふ汽笛その尾に凍る星
  原爆の図
★殺戮へ降る雨黒く声阻む
★鶺鴒(せきれい)の一瞬われに岩のこる
★熔接の火走る見よや冬鴎
★重油浮く入江の寒さ戦あるな
★蜘蛛の巣に腹部を黒くきりぎりす
★枯野あたたか鉄錆の服をぬぐ
★旋盤の削屑(きりこ)へ冬日縞目なす
★雨しぶく鞴(ふいご)祭の唄はずむ


 蟻、きりぎりすは抑圧や被害を被る人びとの象徴。
 第1句、どこかの基地の爆音なのであろう。軍用機の爆音下でもがき続ける人々の生活を蟻が溺れる様にたとえている。
 第2句、汽笛の音が消えていく夜空に凍星を見つけた。呼び合う汽笛とは、戦争で亡くなった人びととの交感と解釈できる。それには無念の死という重い現実が光っている。
 第4句、鶺鴒が不意に眼を過ぎり、一瞬鶺鴒が足をかけて止まった岩が眼前に見えるのみ。鶺鴒の速さに感嘆している。過去の体験が不意に日常に浮かび上がった一瞬の後消えることを詠んだと解釈するのは飛躍しすぎだろうか。
 第6句、港の造船関係の職場で働いていたのだろうか。港内の海に浮かぶ油に、戦の時に海に浮かんだ重油を思い出したのだろうか。戦が迫っている政治状況に敏感になっている戦後の生活の一断面。
 第9句、旋盤で出た金属の削り屑を「きりこ」ということは初めて知った。私の元の職場の傍にも旋盤工場があって、夕方赤い夕日を受けた「きりこ」を幾度も見た。労働の終る間際の美しい時間であった。
 第10句、ふいごまつりは、旧暦11月8日(新暦で12月14日頃)。ふいご(たたら)を使用する鍛冶屋,鋳物師などの職人たちが行なう神事で、たたら祭ともいう。金属関係の守護神とされる金屋子神または金山彦神・金山姫神をまつる。火を扱う職人にとっては安全祈願の火でもある大切な祭りである。
 私の職場にも昔は鍛冶工がいて、毎年鞴祭りをおこない、各職場から一升瓶が届けられたが、鍛冶工の廃止とともに行われなくなった。今では全国的にも鍛冶屋さんがいなくなっている。
 

妻の熱発

2019年01月17日 19時39分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻が高熱を出した。インフルエンザの予防接種は10月にしているので、インフルエンザではないと思われるが果たしてどうであろうか。以前に風邪と診断された時に近くの病院で貰った薬と解熱剤を服用した。
 なかなか下がらなかったが、先ほどからようやく熱が下がり始めた。

 朝に熱が少しあるようだったが、私は講座があり出かけた。午後家に電話をしたら熱が下がらないということなので、急きょ弁当と、胃腸に負担のかからない総菜を購入して帰宅。電子レンジで温めて夕食を済ませた。

 明日の夜は私が遅くなるので、昼間に作っておく必要がありそうだ。食材は何とかなりそうである。

 明日の夜は私の属した支部の新年会、そこに顔を出す。退職者会へのお誘いである。なつかしい仲間との再会でもあり、毎年楽しみにしている。同時に若いと思っていた組合員が定年年齢に達したと聞くと、複雑な気持ちにもなる。ただし残念ながらお酒は飲めない。

兵庫県南部地震から24年

2019年01月17日 17時26分30秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は、24年前の1995年阪神淡路大震災をひき起こした兵庫県南部地震(M7.3)地震が発生した日である。早朝の地震の情報にビックリすると同時に、なかなか被害の状況が明らかにならず、もどかしく思いながらテレビを見ていた。被害状況が甚大であることが少しずつ分かるようになり、驚いた。
 当日は宮城県の松島で政令指定都市の仲間との泊り込みの会議が設定されており、私は問題なく松島に行けたのだが、神戸・大阪・京都からの方はとうとう連絡も取れず、参加されなかった。確か名古屋の方は大幅に遅れて参加されたような気がするが、はっきりは覚えていない。
 参加した各都市の仲間と救援や支援の在り方などを急きょ議論して、翌日早々にそれぞれの都市に戻ったことを記憶している。
 私も立ち上げたばかりの小さな支部の責任者であったが、組織力量以上の支援体制を組合員と議論して決めたことなどを覚えている。
 労働組合の支援の在り方を模索しながらだったが、決して多くはなかった組合員が全力で協力してくれた。このときの経験が私どもの支部の力量を拡大し、その直後から組織率が格段に飛躍した。また日常業務の拡大充実に「災害対応」を見据えた方針を確立できた。
 災害にどう正面から取り組むか、日常活動とどのように結び付けていくのか、おおいに勉強となった。災害から1年後、神戸市の仲間を読んで、災害対応について勉強会も開いた。

 亡くなった方6434名、行方不明3名、負傷者約4万4千名、物的被害に遭われた方も多数おられる。日本全体の災害対策の中でも、大きな画期となった大惨事であった。雲仙岳の噴火災害に続いてこの災害、そして東日本大震災は現役時代の忘れられない災害である。

 毎年、この日と、3月11日には、そのとき自分が何をしたのか、どう行動したのか、出来たこと、出来なかったこと、取組みたかったこと、などを思い出しながら追悼している。